2021/09/30

学問論 2.被差別部落の身元調査について

学問論 2.被差別部落の身元調査について

「部落学」が、現実に存在する「部落」に関する学問であるためには、「部落学」は、実証主義的にその研究を遂行しなければなりません。

「部落」が何であるのか。「部落民」が誰であるのか、どのような人なのか。その問いに対して、出来る限り具体的に考察しなければなりません。

しかし、つい最近まで「部落とは何か」、「部落民とは誰か」について、具体的に考察することは、「差別」である・・・と考えられてきました。ある学校教師は、同和教育の場で、その校区の被差別部落を直接、具体的にとりあげたために、運動団体から、その「被差別部落を差別した」として糾弾を受けたことがあります。

現在では、ほとんど不問にふされている事柄も、ある時期は、運動団体から糾弾の対象にされた・・・という事例は決して少なくないのです。そのため、学校教師は、「同和教育」の名目で指導をするとき、具体的に、その校区の被差別部落の歴史や文化、現代直面する問題や解決について触れることを躊躇するようになり、ありきたりの、生徒や学生が眠気のくるような話に終始してきました。その校区の被差別部落と、縁もゆかりもない他所の被差別部落、存在するかしないか確認しようがない抽象的な被差別部落について指導してきました。しかし、そのような「ひとごと」の教育内容では、学習しても、生徒や学生が学習自体に興味を持つことはなかったことでしょう。

部落あるいは部落民について、具体的に考察することは差別である・・・、そんな禁忌状態に、多くの人々は追いやられていたのです。部落あるいは部落民について語るときは、何か悪いことをしているかのように、そっと、ひそひそ話の形で行われたのです。

筆者は、部落あるいは部落民について話題にすることが差別なのではなくて、部落あるいは部落民について「ひそひそ話」をすることが差別につながると思うのです。

筆者は、ときどき、「あなたは、どうして、そこが被差別部落であると知っているのですか。被差別部落出身の私でも知らないのに・・・」といわれることがありますが、それは不思議に思うには及びません。その地域が被差別部落であるのかどうか、その地域に行って、直接、その地域の住民に、そこが被差別部落かどうか聞いたからです。

被差別部落を尋ねたときは、いつも妻と一緒でした。妻に道路地図をみてもらって、あらかじめ図書館で調べた場所に行くのですが、たどり着いた場所が被差別部落なのかどうかわかりません。そこで、その住人をみつけて、その地域が被差別部落かどうか尋ねるのですが、多くの場合は、すぐ返事をくれます。ときどき、「何を調べているのですか」と聞かれることがありますが、筆者は正直に答えることにしています。「被差別部落の歴史を研究していて、この地域の名前が出てきたので、どういう場所か確認したくて・・・」。筆者は、そのことで、一度も、抗議を受けたことはありません。

あるとき、山口で知り合った、ある不動産会社の社長とこんな会話をしたことがあります。その社長は、「あなたは、どうして被差別部落かどうか、確認することができるのですか・・・」と質問してきます。筆者は、逆に、「あなたは、どのように確認しているのですか・・・」と質問をしました。すると、彼は、「大きな声で、ここは部落かと聞くと、差別だといって糾弾されかねないので、部落から少し離れたところで、あそこは部落かと、耳元でそっと聞いている・・・」というのです。

筆者が、その不動産会社の社長と同じような方法で、被差別部落の地名と人名を調査しようとしたら、ほとんど何も知ることもなく終わったことでしょう。『部落学序説』を執筆することなど、想像もできなかったと思います。

あるとき、筆者と妻の2人で調査した被差別部落の在所を、部落史の「研究家」である高校教師と、徳山藩の元穢多村の住人の方々と、ツアーを組んで周ったことがあります。ツアーのための資料を作成したのも、その資料に従って道案内するのも筆者でした。

山口県の被差別部落の人も、自分の住んでいる被差別部落と、姻戚関係者の住んでいる被差別部落以外の部落については、ほとんど何も知らない・・・ということでした。近世幕藩体制下の旧穢多の在所を全て知っている人はほとんどいないということでした。

その被差別部落めぐりは、徳山藩の元穢多が葬られているという、被差別部落の真宗寺院を尋ねることではじめました。そして、山陽道を東に進み、下松・光市の被差別部落と真宗寺院、室積浦の「遊女の碑」と「元遊郭の建物」を尋ねて、それから、観音信仰の名所・周防国極楽寺までの道のりに配置された「穢多」の在所と「穢多寺」を尋ねました。部落解放同盟の方々も、「こんなツアーははじめて・・・」と感慨深そうでした。その中には、近世幕藩体制下の「穢多寺」と「茶筅寺」が含まれていました。そのとき撮った「穢多寺」の写真には、武家屋敷の風格を持った堂々たる真宗寺院の姿が写っています。この写真は貴重な写真になりました。というのは、相次ぐ台風の襲来で、その寺は大規模に修理をしたため、その当時の面影が失われてしまったためです。

その被差別めぐりには、もうひとつの伏線がありました。それは、キリスト教の社会福祉事業家であり、キリスト教伝道者であった賀川豊彦の弟子で、被差別部落出身者であった詩人・松木淳が旅の先々で歌った歌をてがかりに、被差別部落の人々がどのような思いを持って山口の地を旅していたのか、その足跡をたどることでした。何を考え、何を思い、何を感じていたのか、確かめつつ歩いていると、被差別部落出身の詩人・松木淳の情念が伝わってきます。

このツアーは、筆者に、ある変化を引き起こしました。それまで、被差別部落の人々、部落解放同盟の方々から入っていた情報の流れがストップし、逆に、筆者の方から、被差別部落の人々や部落解放同盟の方々の方に一方的に情報が流れだしたのです。それ以来、筆者は、今日の『部落学序説』につながる孤独な作業を続けることになったのです。徳山市立図書館の郷土史料室の資料、近隣の宮脇書店で手に入れた関連図書を前に、気の遠くなるような、スクラップ&ビルドを繰り返してきたのです。

筆者は、被差別部落の土地と人を訪ねるのは差別であるとは思いません。場合によっては、被差別部落の人の身元調査も必要です。

一生連れそう夫婦の間に、秘密はない方がいいと思います。部落差別は、その出身者にとって非常に大きな問題でしょう。先祖の歴史が重く圧し掛かってきます。そんな重大な問題を、一生連れそう伴呂に、ひとことも告げず、秘密にしたまま一生を過ごすのは、筆者には、決して幸せではない、悲しい人生だと思われるのです。

『部落学序説』で繰り返しのべてきたことに、「人間の偉大さは、所与の人生を引き受けて生きていくことにある」というのがあります。所与の人生とは、自分の意志や決断とは関係のないところで背負わされる人生の重荷のことです。自分を生んだ親と世の中を恨んでも何の意味もありません。自分の意志の及ばないところは、「所与」として受け止め、自分の人生の中で担いきって生きていくこと・・・、人間としての偉大さはそこのあると思うのです。

一生連れそう伴呂と、本当にひとつとなって生きて行きたいなら、結婚前に、伴呂のことを徹底的に調べることも決して間違いではありません。しかし、調べるときは、自分ひとりで調べるべきです。筆者の、被差別部落の調査経験では、被差別部落の人々は、真剣に問えば、真剣に応えてくれるのです。

時々、結婚を前に、興信所や探偵社を通じて身元調査をする人がいますが、筆者は感心しません。なぜなら、「探偵」という仕事の担い手の中には、明治以降は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」が、明治4年の太政官布告61号のあと、転身して「探偵」になった人が多いのです。解放出版社から出ている藤林晋一郎著『身元調査』に詳しく記されています。近いうちにこの『部落学序説』でも「探偵」についてとりあげます。自分の大切な人生の決断は、第三者の手を借りずに、自分自身で行うべきです。愛している人の重荷を伴に担うことができるかどうか、自分で調べて自分で決断すべきです。

山口出身の詩人・松木淳の歌を紹介しましょう。筆者は、幾たびも、松木淳のふるさとを車で通り過ぎます。その度にいろいろ考えさせられます。

旅に出し十四の春の日を想ひ
さふらんの花に
母がなつかし
(注)サフランの花はクリスマスの時にパンに入れて食べます。こころとからだの傷や痛みを癒すという伝説があります。

豌豆の花の盛りの故郷を
また見る日あるか遠く旅行く

黙々と煉瓦運びつ
古里の父のことなど思ひつヾくる

荊冠よし貧苦またよし病みもよし
我が行く道は父のみ旨ぞ

エタの児の悩みは口にすまじぞと
今の今迄
思いつめしが

秘めしわが身の素性をば
彼女に
語りし夜の街はづれ道

彼女はただ愛のみに生く
と我を去りて
遂に嫁ぎぬ 幸あらばよし

悲しきは認識不足
差別する 反抗する
愚かしき人々

山河はいたくも恋しさはあれど
差別の村ゆ古里は憂じ

泣きぬれてふっと目覚めぬ
古里の小野の小径に在る夢をみき

松木淳の詩集は、いろいろな人々に貸してあげたのですが、あるときとうとう返ってきませんでした。きっと手放したくなかったのでしょう・・・。

小学校の教師でキリスト者であった詩人・八木重吉はこのような詩を綴りました。ほとんど忘れかけていたので、正確に再現できるかどうかこころもとないのですが・・・。

ひとは近づけば美しく見える
もう一歩近づけば醜く見える
さらに近づけばもっと美しく見える

身元調査をするなら、徹底的にすべきです。

 

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