2021/09/30

高佐郷の歌探訪メモ

高佐郷の歌探訪メモ

部落解放同盟新南陽支部・部落史研究会の方々からよく求められることは、筆者の<研究作業>の経過を見えるようにしてほしい・・・、ということです。無学歴・無資格の筆者、部落史研究とはほとんど縁のない門外漢ですので、その<研究作業>の過程を明らかにすることがどれほどの意味があるのか分かりませんが、できるだけその要望に応えることをこころがけてきたつもりです。


下の一覧表は、『田舎牧師の日記』に書きとどめた<高佐郷の歌>の探索の旅のメモです。以下の一覧表は、『田舎牧師の日記』を<高佐>で検索したときにヒットした文書群ですので、、必ずしも本来の意図にそぐわないものも含まれている可能性があります。

<結論>からいいますと、<高佐郷の歌>は、近世幕藩体制下の長州藩・奥阿武宰判の高佐村の寺子屋教育で科目<村廻り>を指導していたときの<教科書>であり、その当時のこどもに対する教育において、後年、明治以降の近代学校教育において、差別思想である賎民史観にもとづいて<賎民>とラベリングされておとしめられていく<旧穢多>身分がどのように教えられていたのかを示す重要な文献として評価されます。そこには、<旧穢多>に対する差別意識はつゆも確認することはできません。

逆に、寺子屋の地理教育の教科書<高佐廻地名記>の一部、筆者がいう<高佐郷の歌>に被差別部落の地名が含まれていると<曲解>し、それを差別文書と同等の扱いをして、『むつみ村史』から削除してしまった、山口県文書館の研究者たちの<部落差別意識>を反映しているに過ぎないと思われます。

08/07/29 ●津和野から萩への街道、ひまわり10万本・・・
09/05/09 ●穢多村の原風景<高佐郷>・・・
09/12/01 ●年齢を感じさせられた一日・・・
09/12/03 ●徳山市立図書館郷土史料室で・・・
09/12/03 ●古書の価格にびっくり・・・
09/12/03 ●獣医をしていた<かわた>の末裔の話し・・・
09/12/04 ●<高佐郷の歌>にみる地名に対する禁忌・・・
09/12/05 ●ときどき古文書がほほえむときがある・・・
09/12/05 ●イチョウの木の葉舞い散る図書館通り・・・
09/12/07 ●途中で気づいて引き返す・・・
09/12/08 ●保守作業に時間がかかりそう・・・
09/12/12 ●<高佐郷の歌>の史資料追加・・・
09/12/17 ●理解しがたい詩・・・
09/12/18 ●<高佐郷の歌>、2種類追加・・・
09/12/18 ●<高佐郷>のヒンカチ・・・
09/12/19 ●週報をつくり終えたとき体力の限界・・・
09/12/21 ●古書<山口県の地名>が安価である理由・・・
09/12/30 ●サーバーが警告を出す・・・
10/01/01 ●高佐郷の歌に関する資料に目を通す・・・
10/01/12 ●<高佐郷の歌>の史資料に目を通す・・・
10/01/13 ●地図上の高佐廻りの旅・・・
10/01/14 ●高佐廻りの旅の起点を確認・・・
10/01/15 ●高佐郷の25000分の1の地図を入手・・・
10/01/16 ●地図を前に、頭の中で旅する<高佐廻り地名記>・・・
10/01/16 ●地図上の<高佐廻り>の旅は容易ではない・・・
10/01/17 ●<高佐郷の歌>は高等批評の対象・・・
10/01/20 ●真冬の高佐郷をたずねる・・・
10/01/20 ●馬酔木の花の咲くころ・・・
10/01/23 ●高佐郷の2つの<穢多村>・・・
10/01/23 ●部落史研究の中心・・・
10/01/24 ●高佐郷の歌の調べが聞こえてくる・・・
10/01/25 ●高佐郷の歌について検証・・・
10/01/26 ●精神的に疲れた一日・・・
10/01/29 ●高佐郷の歌と柳田民俗学・・・
10/02/01 ●<垣ノ内>の在所を示す古地図・・・
10/02/05 ●ついでに、長野県の被差別部落についても・・・
10/02/09 ●悲しいこと・・・
10/02/10 ●配布する資料の準備・・・
10/02/10 ●悪戦苦闘のすえ地形図と航空写真が一致・・・
10/02/12 ●部落史研究会で配布する<高佐郷の歌>の資料作成・・・
10/02/13 ●みんなで高佐廻り地名記を熱唱・・・
10/02/13 ●歌うことができる<高佐郷・ふるさとのうた>・・・
10/02/17 ●夢にまで出てくる高佐廻り地名記・・・
10/02/25 ●故郷喪失者・・・
10/03/01 ●雨にけむる国道315線を走って・・・
10/03/01 ●お昼もご馳走になって・・・
10/03/01 ●おみやげまでもらって・・・
10/03/02 ●再び、高佐郷をたずねる・・・
10/03/03 ●非常の時は<悲>常の時・・・
10/03/03 ●<歌うことができる高佐廻り地名記>の改訂・・・
10/03/03 ●洗練される<高佐廻地名記>の歌・・・
10/03/03 ●高佐郷はとらつぐみのいる里・・・
10/03/03 ●ページの制約ぎりぎりまで・・・
10/03/03 ●文献史学と部落学・・・
10/03/05 ●高佐郷のうぐいすの鳴き声・・・
10/03/05 ●高佐村庄屋・蔵田家の末裔の方にたどりつく・・・
10/03/06 ●足元から鳥がたつ・・・
10/03/06 ●地名は変数のよう・・・
10/03/06 ●山間の<高佐北穢多村>を尋ねる・・・
10/03/06 ●高佐郷の古地図を入手・・・
10/03/08 ●4月末までに近世の古文書が読めるようになるために・・・
10/03/09 ●寺子屋の教科書としての村廻り・・・
10/03/09 ●本当のことを調べる人もいなければ・・・
10/03/09 ●高佐回地名記からはみだした歌・・・
10/03/10 ●みぞれが降る朝の思い出・・・
10/03/15 ●部落史研究会で配布した資料・・・
10/03/17 ●<弥陀>の春日さす穢多宗門寺・・・
10/03/17 ●<畔頭>の末裔の方に学ぶ・・・
10/03/17 ●頬白峠を越えてたどりついた慕古心・・・
10/03/18 ●花粉症でダウン・・・
10/03/18 ●高佐廻地名記成立に関するある仮説・・・
10/03/19 ●なぜ明治以降、高佐南穢多村の人々は差別されるようになったのか・・・?
10/03/19 ●<渋染一揆>再検証・・・
10/03/19 ●教会会計の帳尻あわせ・・・
10/03/20 ●午前中は安息日の規則違反・・・
10/03/21 ●朝4時に起きて・・・
10/03/22 ●古文書の独学方法・・・

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