2021/09/30

歌うことができる<高佐廻り地名記>

歌うことができる<高佐廻り地名記>



高佐廻り地名記
                                                          吉田向学校訂 2010・2・12
                                                          大田剛志指導 2010・3・2

(注1)蔵田家文書にある表紙奥書きを入れて半紙22枚に達筆で書かれたもの、吉部の賦の三倍はある長編で嘉永7年(1854)73翁吉岡順平祐永の作で、その4年後の安政五年の春、蔵田安治郎がこれを写したことになっている。地名と史実を織りこんだもので、高位の歴史はこの地名記にすべて盛りこまれているといってよいほどの力作である(『むつみ村史』)。

(注2)下記の高佐廻り地名記は、吉田向学によって校訂されたものです。7・5調の4行詩に組み替え、鉄道唱歌のメロディーで歌うことができるようにしたものです。校訂の際に、『むつみ村史』の高佐廻り地名記の中から削除された、被差別部落の歴史と伝承にかかわる部分を『ふるさとの歌』に初出の高佐廻り地名記を参考に復元しました。この歌の歴史的背景と意義については別稿とします。

(注3)3月1日と2日、期せずして<高佐郷>在住の元高校教師で郷土史研究家の大田剛志先生ご夫妻と出会い、『高佐廻り地名記』の原文(古文書)のコピーをいただき、筆者の<歌うことができる高佐廻り地名記>について校正していただきました。原文、大田剛志先生ご夫妻の校訂、高佐村の住民の方とのふれあいで得た情報をもとに以下の通り訂正しました。



高佐廻り地名記読み
1
山廻村始めとしやままわりむら はじめとし
陣願山の境内はじんがんやまの けいだいは
昔の小名は城構むかしのおなは しろがまえ
麓に大休堀の川ふもとにたいきゅう ほりのかわ
2
岡は武稽古馬場広きおかはぶけいこ ばばひろき
古事書留めて記録谷こじかきとめて きろくだに
境に三ケ所峠越えてさかいにさんかしょ たおこえて
敷草野山・井屋ケ迫しきくさのやま いやがさこ
3
谷尻久箱宝林とたにじりくばこ ほうりんと
過ぎて境内福寿山すぎてけいだい ふくじゅさん
高佐を守る氏神社たかさをまもる うじがみしゃ
八幡様ぞましまするはちまんさまぞ ましまする
4
古木の松に杉桧こぼくのまつに すぎひのき
若宮御社に引並びわかみやおんしゃに ひきならび
龍神様ぞましまするりゅうじんさまぞ ましまする
牛馬の守りありがたやぎゅうばのまもり ありがたや
5
広き氏子に大宮司ひろきうじこに だいぐうじ
後は子の日植松にうしろはねのひ うえまつに
前は荒人・色気谷まえはこうじん いろけだに
若狭盛りの境内はわかさざかりの けいだいは
6
竹木は茂き森ケ台たけぎはしげき もりがだい
切畑川の水流れきりはたがわの みずながれ
宮の馬場より詠むればみやのばばより ながむれば
東は高き観音地ひがしはたかき かんのんぢ
7
妙性院の大寺ありみょうしょういんの だいじあり
寺内広き開作地てらうちひろき かいさくち
当寺十二世発明のとうじじゅうにせい はつめいの
慈限和尚の仕置にてじげんおしょうの しおきにて
8
淀の写しの水車よどのうつしの みずぐるま
鳴滝村の境内はなるたきむらの けいだいは
半田・正亀・滝の平はんだしょうがめ たきのひら
勝負ケ迫や小助峠しょうぶがさこや こすげたお
9
穴観音の奥深きあなかんのんの おくふかき
前の芝より詠ればまえのしばより ながむれば
中に大川・往還筋なかにおおかわ おうかんすじ
宿の人馬も賑はしややどのじんばも にぎわしや
10
脇に行者の貴法院わきにぎょうじゃの きほういん
不動明王・愛宕様ふどうみょうおう あたごさま
螺貝・錫杖音高きほらがいしゃくじょう おとたかき
竜王山の麓にはりゅうおうざんの ふもとには
11
少し岡は垣之内すくなしおかは かきのうち
山部は穢す皮張場やまべはけがす かわはりば
長吏の役は高佐郷ちょうりのやくは たかさごう
何そ非常のあるときはなんぞひじょうの あるときは
12
ひしぎ・早縄・腰道具ひしぎはやなわ こしどうぐ
六尺二歩の棒構ひろくしゃくにぶの ぼうかまい
旅人強盗制道したびびとごうとう せいとうし
高佐郷中貫取たかさごうちゅう つなぎとり
13
前は郷家の店酒屋まえはごうかの みせざかや
諸事の買物閊なししょじのかいもの つかえなし
懸木・てね木の売旦那かけぎてねぎの うりだんな
上は三安座頭坊かみはさんやす ざとうぼう
14
匹季の神徳引くときはしきのしんとく ひくときは
錫杖・琵琶の手面白やしゃくじょうびわのて おもしろや
百八煩悩数珠とりてひゃくやつぼんのう じゅずとりて
土民御祈躊・地神経どみんごきとう じしんきょう
15
門前・須通り・中尾村もんですどおり なかおむら
向こうに見えし安附のむこうにみえし あんづけの
元結山の麓川もったいやまの ふもとがわ
久保や神田を打過ぎてくぼやかんだを うちすぎて
16
岸高村の高面所きしたかむらの たかめんじょ
上は白砂・両家村かみはしらすな りょうけむら
薄地の田地石安きうすじのでんち こくやすき
鐘地ケ峠より詠ればかねちがたおより ながむれば
17
東向こうの大歳はひがしむこうの おおとしは
大歳神と大晦日おおとしがみと おおみそか
宮ケ浴をば左に見みやがえきをば ひだりにみ
有の木迫や大丸子ありのきさこや おおまるこ
18
大伝村や大迫のだいでんむらや おおさこの
浴谷深き下谷のえきたにふかき しもたにの
湧き出る清水・済ケ迫わきでるしみず すみがさこ
水の流れの両平はみずのながれの りょうひらは
19
大地ヶ浴や寺ケ浴おおぢがえきや てらがえき
船地ケ迫の分れ道ふなちがさこの わかれみち
北は小村の歳の森きたはこむらの としのもり
祝い小餅に飛びかざりいわいこもちに とびかざり
20
水の流れの川上はみずのながれの かわかみは
諸国御法度・博打岩しょこくごはっと ばくちいわ
藁で囲んで昔からわらでかこんで むかしから
非人と食の歳の宿ひにんとじきの としのやど
21
岡は片亦大境おかはかたまた おおざかい
日々に儲けの日用原ひびにもうけの ひようばら
西は高佐の羽月村にしはたかさの はづきむら
馬の名物昔からうまのめいぶつ むかしから
22
横和の松の境内はよこわのまつの けいだいは
千本松と名も高きせんぼんまつと なもたかき
森地の田地・開作地もりちのでんち かいさくち
北は福田の大境きたはふくだの おおざかい
23
道祖ケ峠と申すなりどうそがたおと もうすなり
往還下れば猫亦のおうおかんくだれば ねこまたの
岡は恐ろしいぎの平おかはおそろし いぎのひら
日も晩景の暮石はひもばんけいの くれいしは
24
身廻り谷の淋しさよみもおりたにの さびしさよ
昔狸の化け物やむかしたぬきの ばけものや
産女の出たる咄ありうぶめのでたる はなしあり
岡の広きは上野台おかのひろきは うえのだい
25
茅やあえらの草深きかややあえらの くさふかき
近辺諸村の草刈場きんぺんしょそんの くさかりば
前のひろきは道祖ケ原まえのひろきは どうそがはら
夜深に通る人々はよふけにとおる ひとびとは
26
古狼・狐の声を聞くおおかみきつねの こえをきく
西の麓は横貝とにしのふもとは よこがいと
高佐七つの清水川たかさななつの しみずがわ
来光山の高大寺らいこうざんの こうだいじ
27
諸国当国御札所しょこくとうこく ふだどころ
月賞拝す観世音がっしょうはいす かんぜおん
高山登る道筋はたかやまのぼる みちすじは
午王の森や塔の森ごおうのもりや どうのもり
28
岡は大社の宮ぞありおかはたいしゃの みやぞあり
日熊権現ましまするひのくまごんげんましまする
社内も広き大宮司しゃないもひろき だいぐうじ
竹木は茂き御立山たけぎはしげき おたてやま
29
後は広き宇生賀村うしろはひろき うぶかむら
前は地吉の畠ありまえはじよしの はたけあり
箕面平と申すなりみもおりだいらと もうすなり
山根や持や坂本のやまねやもちや さかもとの
30
百性方の立来よしひゃくしょうかたの たつきよし
腕をさすりて我勝てにうでをさすりて われがてに
水の流れは妙ケ崎みずのながれは みょうがさき
西の麓は金拳にしのふもとは かなこぶし
31
寺ケ浴には行者ありてらがえきには ぎょうしゃあり
不動明王信心にふどうみょうおう しんじんに
螺貝・錫杖賑はしやほらがいしゃくじょう にぎわしや
養寿院とは申すなりようじゅいんとは もうすなり
32
所帯吉野の庭の花しょたいよしのの にわのはな
後の谷に草穴のうしろのたににくさあなの
奥の深きはわらんべうおくのふかきは わらんべう
下は中山小村でもしもはなかやま こむらでも
33
高佐由緒のある村でたかさゆいしょの あるむらで
八幡宮の祭礼にはちまんぐうの さいれいに
御能写の道具ありおのううつしの どうぐあり
獅子・羯鼓や笛・太鼓ししかっこうや ふえたいこ
34
笙・篳篥の鳴物でしょうしちりきの なりもので
車の上の百芸はくるまのうえの ひゃくげいは
中山村の家伝なりなかやまむらの かでんなり
車錺るは畑の村くるまかざるは はたのむら
35
楽に揃うて行水でらくにそろうて ゆくみずで
信心社内にひき附るしんじんしゃないに ひきつける
付と賑ふ獅子の舞つけとにぎわう ししのまい
中山村の水流れなかやまむらの みずながれ
36
大坪なのる地名ありおおつぼなのる ちめいあり
首塚や灰塚やなまくびつかや はいづかや
正守長者の古跡ありまさもりちょうじゃの こせきあり
金銀留めてある咄きんぎんためて あるはなし
37
見ざる知らざる土の底みざるしらざる つちのそこ
昔咲いたる花のあとむかしさいたる はなのあと
法恩・白砂・薄地なりほうおんしらすな うすじなり
少し下れば坪の内すこしくだれば つぼのうち
38
ふいつく山を向こうに見ふいつくやまを むこうにみ
松尾まがりの真中にまつおまがりの まんなかに
後井村の境内はうしろいむらの けいだいは
鶴生山の三岳寺かくしょうざんの さんがくじ
39
弁才天様ましまするべんさいてんさま ましまする
七観音も御寺にしちかんのんも おんてらに
月賞・柏手絶へもなしがっしょうかしわで たえもなし
神仏信心詣ふでありしんぶつしんじん もうであり
40
ぼんすい山の後にはぼんすいやまの うしろには
深きれん淵・水流れふかきれんぶち みずながれ
雑穀作る畠の中ざっこくつくる はたのなか
原に古跡は正八幡はらにこせきは しょうはちまん
41
昔由緒のある宮でむかしゆいしょの あるみやで
解除ならぬ古所の宮かいじょならぬ こしょのみや
詣ふでも気おふ鈴の音もうでもきおう すずのおと
柏手絶えぬ五社参りかしわでたえぬ ごしゃまいり
42
少し岡は水ケ峠すくなしおかは みずがたお
不動の堂より詠ればふどうのどうより ながむれば
嘉永六から相生のかえいむつから あいおいの
松の噂も高佐ごやまつのうわさも たかさごや
43
南はたかき伏馬山みなみはたかき ふしまやま
後は広き吉部の平うしろはひろき きべのひら
前は山畠・小松原まえはやまはた こまつばら
高佐五ケ村草苅場たかさごかそん くさかりば
44
北は小村の高の峰きたはこむらの こうのみね
竹沢山や村の財たけたくさんのむらのざい
修甫山近く重宝のすおやまちかく ちょうほうの
漆ケ久保や宮面のうるしがくぼや みやつらの
45
少し岡は塔の本すくなしおかは どうのもと
弥生に四方の花見峠やよいによもの はなみたお
前尻村の境内はまえじりむらの けいだいは
石神森の大清水いしがみもりの おおしみず
46
湧き出る水も村の財わきでるみずも むらのざい
森地の田地高面処もりちのでんち たかめんじょ
岡は往還通り筋おかはおうかん とおりすじ
少し下れば段午房すこしくだれば だんごぼう
47
萩山口の分れ道はぎやまぐちの わかれみち
長き世を得る鶴巻のながきよをうる つるまきの
運ぶ連者の足出原はこぶれんじゃの あしでばら
寒暑を除る景の邑かんしょをさぎる かげのむら
48
万年山の高徳寺まんねんやまの こうとくじ
七堂伽藍の大寺もしちどうがらんの おおでらも
大仏・地蔵に般若経だいぶつじぞうに はんにゃきょう
先住和尚の仕置なりせんじゅうおしょうの しおきなり
49
前の家蔵岸高きまえのいえくら きしたかき
向ふに廣き馬一ツむこうにひろき うまひとつ
低い東の麓にはひくいひがしの ふもとには
往世も絶へぬ川瀬の音いくよもたえぬ かわせのね
50
水の流れは正木川みずのながれの まさきがわ
白崎吉部の大境しらさききべの おおざかい
今白崎は賑わしやいましらさきは にぎわしや
上の大炮御稽古場うえのたいほう おけいこば
51
両度に郡の御代官りょうどにぐんの おだいかん
御紋幕打ち御上覧ごもんまくうち ごじょうらん
陣笠揃ふて西目峠じんがさそろうて にしめたお
少し上は居場ノ原すこしくうえは いばのはら
52
亀山麓川尻にかめやまふもと かわじりに
羽宿・目代の継場ありはじゅくめだいの つぎばあり
人馬出浮の役所ありじんばしゅつふの やくしょあり
前の地名は鍛冶屋の田まえのちめいは かじやのた
53
森地の田地高面所もりちのでんち たかめんじょ
川の向こうは畑の村かわのむこうは はたのむら
山口往還通り筋やまぐちおうかん とおりすじ
日々に通路の諸商人ひびにつうろの あきんどら
54
奥は深山・滑谷おくはふかやま なめらたに
杉や檜の名木がすぎやひのきの めいぼくが
浴々谷に積りなしえきえきたにに つもりなし
これぞ御上の御立山これぞおかみの おたてやま
55
猥りの採用御制道みだりのさいよう ごせいとう
御山方の御役人おんやまかたの おやくにん
木印を入れて御採用きいんをいれて ごさいよう
御山の立札恐ろしいみやまのたてふだ おそろしい
56
東は生雲の大境ひがしはいくもの おおざかい
頬白峠と申すなりつらじろとうげと もうすなり
坂の麓は足谷のさかのふもとは あしだにの
谷水深き深山口たにみずふかき みやまぐち
57
東の後に村がありひがしのあとに むらがあり
雨風日除けの笠ケ迫あめかぜひよけの ささがさこ
野山も広き下谷にのやまもひろき しもたにに
笹ケ迫の修南山はささがさこの すなやまは
58
山芋つづら沢山なやまいもつづら たくさんな
秋は松茸・なば・しめじあきはまつたけ なばしめじ
水の流れの両平はみずのながれの りょうひらは
滑段田が西東なめらだんだが にしひがし
59
肉食好む鳶の巣のにくしょくこのむ とびのすの
坂の麓は神田川さかのふもとは かんだがわ
東向ふの谷深きひがしむこうの たにふかき
堅ひ浮世の石ケ浜かたいうきよの いしがはま
60
秋は栗・柿沢山なあきはくりかき たくさんな
春は浴々蕗のありはるはえきえき ふきのあり
りふぼふとりや蕨摘みりうぼうとりや わらびつみ
郷家へ売りて銭儲けごうかへうりて ぜにもうけ
61
奥山・石組・陰地なりおくやまいしぐみ かげちなり
下は森本・中蔵のしもはもりもと なかくらの
当尾の山の庵の跡とうおのやまの あんのあと
解きたる跡も虎の尾のときたるあとも とらのおの
62
春は美々し花風吹きはるはうつくし はなふぶき
廉名ケ坂の麓にはかどながさかの ふもとには
安光谷の水流れやすみつだにの みずながれ
末永村の境内はすえながむらの けいだいは
63
中に古木の厳嶋なかにこぼくの いつくしま
大明神様ましまするだいみょうじんさま ましまする
安芸の宮島写しにてあきのみやじま うつしにて
羽がいの白い五烏がうがいのしろい ごからすが
64
神の御使い恵比寿さまかみのみつかい えびすさま
御山詣ふでの鈴の音みやこもうでの すずのおと
拍手たへぬ五社参りかしわでたえぬ ごしゃまいり
逸も霜月初の申はやもしもつき はつのさる
65
宮居に積もる冬の月みやいにつもる ふゆのつき
末永々と往く年もすえながながと ゆくとしも
豊作続く高佐郷ほうさくつづく たかさごう
五穀繁昌地名の記ごこくはんじょう ちめいのき
御国役定の御礼場くにやくさだめの おんふだば
祐の久保と申すなりこそのくぼとは もうすなり
当職様の御名ありとうしょくさまの ぎょめいあり
*上記3行は組み込まれていません。

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