2021/09/30

「倹約御触書」の構成

「倹約御触書」の構成


「岡山藩」の「渋染一揆」の原因のひとつに数えられる「倹約御触書」の全体の構成を図示してみました。

これまで『部落学序説』で言及してきた「非常民論」に沿って、「倹約御触書」の内容を<色別>したのが左図ですが、「岡山県」の「倹約御触書」をこのように分類したことで、またまた、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々から、「非難中傷・罵詈雑言」を浴びせられることになるのは必定でしょう。


これまでの「渋染一揆」の学者・研究者・教育者は、この「倹約御触書」を、個々の法令の寄せ集めのように取り扱ってきました。

「渋染一揆」研究に際しては、「倹約御触書」は、箇条書きに紹介されるのみで、個々の法令を分類して、「倹約御触書」を体系的に解説しようとする学者・研究者・教育者は、ほとんどいませんでした。

しかし、無学歴・無資格、歴史学の門外漢である筆者は、それにも関らず、あえて、「倹約御触書」の法体系について言及することにしました。

筆者の目からみますと、この「岡山藩」の「倹約御触書」、とても考え抜かれた「触書」であるように思われます。

「岡山藩」の「倹約取締方」が、練りに練って書いた文章であって、それは、決して、思いつくまま、項目を羅列したわけではありません。

この「倹約御触書」・・・、郡内のすべての「藩民」を対象にしています。

非常の時、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として行動する、「村方役人」等・「医者」(岡山藩では常民とは異なる扱い)・「穢多」などの「非常民」と、それ以外のすべての藩民である「常民」、すべてが、「倹約御触書」の対象として網羅されています。

「常民」に関する統制は、日常の生活に関する統制(冠婚葬祭を含む)と、商業に関する統制とから構成されています。近世幕藩体制下の「岡山藩」においても、藩民の商取引の行為を禁止することはできなかったのでしょう。商業に関する統制は、「岡山藩」が目論む、藩財政再建10年計画の基本方策と密接に結びついています。

この、「常民」の、<日常の生活に関する統制>と<商業に関する統制>は、「岡山藩」領のすべての藩民に向けられたものであり、第17条以下の<非常民に関する統制>に言及されていない場合は、第1~16条が適用されることとなります。

<非常民に関する統制>は、この「倹約御触書」においては、その対象が、3種類に分類されています。第17~23条は、村方役人(大庄屋・庄屋とその配下の役人)に対する統制です。第24条は、医者。第25~29条は、百姓支配の村方役人とちがって、武士支配の、司法・警察官である「穢多」・「目明し」等に対する統制です。

「倹約御触書」をなぜ、そのように分類するのか・・・?

それは、古文書学上の研究方法、<様式史的研究>・<類型学的研究>に由来します。

「倹約御触書」の第25~29条、一般的に、「別段御触書」を呼ばれているものの<様式>を念頭に入れて、第17~23条の<様式>と比較検証しますと、両者の<様式>が、極めて酷似していることに気付かされます。

筆者の分析では、この「倹約御触書」の第17~23条も、「岡山藩」の常民に対する統制令である第1~16条からみれば、<もうひとつ>の「別段御触書」になります。

「医者」については、かなり省略されていますが、第24条も、「倹約御触書」の第25~29条の「別段御触書」の様式の要素をもっています。

『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、「倹約御触書」は、アトランダムな、場当たり的な、個々の項目の羅列・・・、ではなく、考えに考えぬかれた、体系的に構成された法文であると思われます。

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