2021/09/30

第1条「男女衣類可為木綿」条項の真意

第1条「男女衣類可為木綿」条項の真意

「岡山藩」の「渋染一揆」の原因となったと言われる「倹約御触書」は、単なる倹約個条のアトランダムな寄せ集めではなく、「岡山藩」の倹約取締方が考えに考え抜いた、ひとつの法体系であったことは、すでに述べてきた通りです。

筆者は、「倹約御触書」を、「岡山藩」がそれを出した趣旨にそって、一般法的部分(第1~16条)と特別法的部分(第17~29条)に分類しました。そして、この「倹約御触書」は、そのすべてが、当時の百姓・町人である「常民」に対しても、司法・警察として、警察権・検察権をもっていた、穢多・庄屋等の村方役人などの「非常民」に対しても、公布されるべきものであったと認識してきました。

「倹約御触書」が全箇条、読み上げられ、すべての藩民に徹底されることによって、「岡山藩」が意図した政策が実効あるものとなるからです。

筆者は、一般法部分(第1~16条)を、さらに、倹約令部分(第1~7条)と商業統制部分(第8~16条)に分類し、倹約令部分については、日常生活に対する倹約令部分(第1~3条)と、非日常生活に対する倹約部分(第4~7条)に分類してきました。

今回、「倹約御触書」の衣類統制に関するもっとも基本的な第1条を検証してみたいと思います。

この「倹約御触書」第1条は、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の論文や文章の中に必ずといっていいほど、登場してきます。

たとえば、稲垣有一等著『部落史をどう教えるか』(解放出版社)においては、この第1条は、このように紹介されています。

一、男女とも衣類は木綿にしなさい。
 また、目立つような染色はしてはいけない。
 ただし、70歳以上10歳以下の者であれば、質素な絹物を下着として着用してかまわない。

この文言を、「倹約御触書」の第1条と比較してみますと、次のようになります。

一、男女衣類可為木綿
 
ゑり袖口にも田舎絹之類之外無用
 
綿服目立敷染物不相成
 
夏物ハ木綿ゆかた
 染地布類帷子奈良縞高宮稿生平之類持掛り不苦候

 但七十以上十歳已下之者共有合候麁末之絹類裡下着ニ相用候義ハ不苦候

 尤小児は小切継に持懸り不苦
 併目立候品は不相成候事


 『部落史をどう教えるか』は、教科書ではありません。「部落史学習」「学習指導」書として出版されたものです。出版された1984年当時の「教育現場からの要請に応えるべく、・・・先進的な取り組みに学びつつ、さらに部落史学習の発展に資する内容のものを作りたい・・・」として、出版されたものです。

「学習指導の対象は、主として中学生にしているが、小学校高学年や高等学校、さらに社会啓発の場でも、少し工夫していただければ十分にご利用いただけるものと確信している・・・」と言われます。

その『部落史をどう教えるか』の中で、紹介される、「岡山藩」の「渋染一揆」の原因とされる「倹約御触書」の衣類統制の基本的な条文、第一条を資料として提供されるとき、<取捨選択>が行われているのです。

『部落史をどう教えるか』で紹介されている第一条は、「一、男女衣類可為木綿・・・目立敷染物不相成・・・ 但七十以上十歳已下之者共有合候麁末之絹類裡下着ニ相用候義ハ不苦候」のみで、「ゑり袖口にも田舎絹之類之外無用綿服・・・夏物ハ木綿ゆかた染地布類帷子奈良縞高宮稿生平之類持掛り不苦候・・・尤小児は小切継に持懸り不苦 併目立候品は不相成候事」は欠落しています。

「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々からは、またまた、「重箱の隅をつつくような姑息な研究・・・」と言って批難されるかもしれませんが、「ゑり袖口にも田舎絹之類之外無用綿服・・・夏物ハ木綿ゆかた染地布類帷子奈良縞高宮稿生平之類持掛り不苦候・・・尤小児は小切継に持懸り不苦 併目立候品は不相成候事」の部分は、「教材」としての資料から省略することができることがらなのでしょうか・・・?

「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の中には、第一条をとりあげるに、その最初の部分、「一、男女とも衣類は木綿にしなさい。」のみをとりあげられる方々も少なくありません。

筆者は、そのことによって、「倹約御触書」の衣類統制の恣意的解釈の可能性が拡大されていく可能性があるように思われます。恣意的な解釈は、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」が浸潤してくる要因になります。

しかし、無学歴・無資格の筆者としては、「倹約御触書」の衣類統制の基本的な個条(第一条)を正当に解釈するためには、第1条の一部ではなく、すべての文言を視野に入れてなされるべきであると思われます。

『部落史をどう教えるか』の該当箇所を執筆された、大阪教育大学の中尾健次氏は、「倹約御触書」の全体の枠組みを論ずることなく、恣意的に、第1条と第25条を比較して、このように述べています。

「農民・町人に出されたものと、被差別部落に出されたものとを比較するため、同趣旨のものを抜き出して・・・部落外の民衆の衣類は、「木綿」と決められているものの、染色については、「目立つような」もの以外、とあるだけで詳しい規定はない。一方、被差別部落は、無紋で渋染か藍染というふうに、具体的に決められている。・・・こうした差別法令・・・」。

中尾健次氏の部落史研究方法は、恣意的に「同趣旨のものを抜きだして」比較した結果、一般の「民衆」「被差別部落民」の違いは、染色の色にある・・・、との結論を導きだします。

「岡山藩」の藩民に対する木綿衣類の強制は、「農民・町人」同然であるから、そこには差別性は認められないが、「被差別民衆」に対してのみ、「染色の色」として「渋染・藍染」が強制されているので差別になる、というのでしょうか・・・?

筆者は、「渋染一揆」の学者・研究者・教育者は、そう判断したことで、「倹約御触書」の衣類統制の基本的な条目、「一、男女とも衣類は木綿にしなさい。」の背後にある、「倹約御触書」を出した「岡山藩」の藩政の統治理念・政策が、「渋染一揆」研究の背後に退いてしまう要因になったと考えています。

「一、男女とも衣類は木綿にしなさい・・・」の法文の背後にあるもの、無学歴・無資格、歴研究の門外漢であるにもかかわらず、少しく探究してみたいと思います。

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