2021/09/30

徳山藩の「下着」に関する統制

徳山藩の「下着」に関する統制

今回は、徳山藩『衣類定』の中に出てくる「下着」に関する統制を一覧表にしました。「下着」といっても、現代的な意味での「肌着」を指す「下着」ではありません。ここでは、上から数えて2番目の「上着」という意味で捉えることにしましょう。

「下着」に関しては、衣類統制令が出される前の衣類をできるかぎり有効活用しているところがありますので、「新調」と「有合」、「古」・・・という指標でもって、徳山藩の武士身分33階級の衣類が規制されます。原則として、身分の序列の上・下と、許可される衣類の「新調」・「有合」が対応しています。

身分が高いほど、絹・紬の着物の「新調」が許され、それより下位の身分は、「有合」がある場合のみ絹・紬の着物の着用が許可されます。もし、「有合」がない場合には、絹・紬の着物の着用は許されず、「新調」もできません。

徳山藩の場合、原則として、高20石を超える禄高を支給されている「別当」以上の階級のみが、その身に、絹・紬の着物を着用することができます。

禄高20石~15石の「徒士」~「小膳部」の階級は、「有合にても絹紬の類着用停止」という規制を受けることになります。たとえ、絹・紬の着物を持っていても、衣類統制令あるいは倹約令が有効であるうちは、着用を「停止」することになります。藩財政等が改善される場合、その衣類統制令あるいは倹約令が改訂・廃止されることによって、再び着用することが許される場合もあります。

それまでは、「徒士」~「小膳部」階級にとって、絹・紬の着物は、「資産」として保存されることになります。

禄高13石以下の「足軽・中間以下」の階級の場合、絹・紬の着物を「下着」を持つこと自体が禁止されています。徳山藩の場合、足軽の禄高は13石、中間の禄高は10石です。しかし、これは、「切米」で支給され、「高10石の場合は、3割5分の率で3石5斗が手取り」となります。幕末期の天保年間においては、6割5分の税率に「馳走米」が天引きされますので、実際の手取り額は「2石9斗」であったと言われます。

徳山藩は、禄高13石で、絹・紬の着物の着用は、経済的に無理・・・、と判断したのでしょうか・・・?

「下着」についても、「名字家名持候百姓」町人の「妻女」・・・、武士階級の「足軽・中間」階級以上の待遇を受けているといえます。

衣類統制の内容から身分(階級)を見ていきますと、近世幕藩体制下の身分、一般説・通説・俗説とは異なる世界が見えてきます。・・・、その世界、すでに、『部落学序説』の最初で論及しています。筆者、軍事・警察である<非常民>としての、武士身分の階級が有効な社会を「武士支配」、軍事・警察に関与しない民を<常民>として、その社会を「百姓支配」として論じてきました。

徳山藩、百姓・町人の藩に対する貢献度によって、徳山藩の武士身分33階級の準格扱いにしていますので、「徒士」以下の一般士分とその妻女が身にまとうことができなかった絹・紬を身にまとっていた百姓・町人身分が少なからず存在していたのです。

衣類統制を、近世幕藩体制下の身分制度の強化を図るために設定された・・・、と解釈するのは、いかがなものでしょうか・・・?

衣類統制によって、経済的ゆとりを捻出させ、「武士」身分、「百姓」身分を問わず、「非常」(戦争・動乱等)、「非日常」(凶作・飢饉等)に各自対処せしめたところに、その政治的意図・目的があったのではないかと思われます。

衣類統制の中に、「過酷な身分制と差別」を読み込むことは、間違いではないのでしょうか・・・?

区分身分武士百姓区分
 家老有合の小袖の着用可
絹紬の類新調・有合共に可

(妻女)小袖の新調着用可
*銀300目以上の小袖禁止
 左に同じ準格の百姓町人
用人
一般士分馬廻新調・有合の絹紬の類着用可
(妻女)有合の小袖着用可
 左に同じ準格の百姓町人
馬廻
中小姓
茶道有合の絹紬の類着用可
(妻女)有合の小袖着用可
 準格の百姓町人
祐筆 左に同じ
膳部 
別当 
徒士有合にても絹紬の類着用停止
(妻女)有合の絹紬の類着用可新調不可
 左に同じ準格の百姓町人
陣僧有合にても絹紬の類着用停止
(妻女)有合の絹紬の類着用可
有合にても絹紬の類着用停止
(妻女)有合の絹紬の類着用可
名字家名持候百姓
持弓
蔵本付
細工人
船手
小膳部
中間・足軽以下検断絹之類一切禁止
木綿の新調・有合共に可

(妻女)上に同じ
絹之類一切禁止
木綿の新調・有合共に可

(妻女)上に同じ
百姓
足軽
足軽組外
中間
中間組外
猟方
時方
舸子
厩之者
煮方之者
飯炊之者
諸細工人
小人
挟箱之者
傘之者
駕籠之者
道具之者
荒仕子

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