2021/09/30

偽造された「穢多請状」としての「別段御触書」

偽造された「穢多請状」としての「別段御触書」

近世幕藩体制下の公文書に「請状」というものがあります。

「請状」は、「請状を求める側によって作成され、請状を提出する側は自分の名前が書いてある所に、印を捺すだけとなっている・・・」そうです。

(1)この「請状」、中身は、藩政の中枢機関から出された「触書」ですが、「触書」の末尾に、「この度・・・御書付御差出あそばされ候趣、御読み知らせ仰付けられ、謹んで承知奉り候。」と「触書」をしかと受けとめたことをのべる文章が続きます。

(2)そのあと、「御請状仰せ付けられ候通り、廉々その意を得奉り候。自今私共申し合わせ、幼少の者どもに至るまで随分念を入れ、御請状の趣相守り申すべく候。」と、「触書」に対する遵守が宣言されます。

(3)さらに、「触書」に違背した場合は、お仕置きをあまんじて受け入れますと誓約します。「万一不心得者共御座候て、大ぞうに相心得、不束の筋出来仕り候はば本人は申すに及ばず、私共居村中残らず如何躰に御仕置仰せ付けられ候ても、その節に至り御断り立て少しも御座なく候由、仰せ渡されその意を得奉り候」。

(4)最後は、「依って御請状連判仕り相調へ差上げ申す所如件」で、結ばれます。

長州藩の公文書の中には、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」を構成する「穢多」・「非人」に対して出された「穢多請状」・「非人請状」があります。

すべての「請状」が、上記の例のように、(1)触書の内容を了承、(2)触書に項目を順守するとの誓約、(3)触書に違背したときのお仕置きに異義を申し立てないこと、(4)(1)から(3)を納得した上で、請状に捺印することを含んでいるわけではありませんが、長州藩の「穢多請状」・「非人請状」は、このような構成になっています。

もちろん、「触書」は、「穢多」・「非人」に対してだけ出されたものではなく、「藩士」・「御家人」・「町人」・「百姓」に対してもだされたのですから、その「請状」も、それなりそれぞれの身分に応じた「請状」が存在しているわけです。

この「触書」と「請状」、たとえば、「庶民」に対しては、藩政の中枢から、「町奉行」→「郡奉行」→「大庄屋」→「庄屋」→「百姓」(町人を含む)へと伝達されていきます。

「触書」はひとつですが、「請状」の、(5)「差出者」と(6)「受取者」の部分(佐藤進一著『新版古文書学入門』)、「請状を求める側」「請状を提出する側」は、各段階で、書き直されていきます。第一段階、「郡奉行」→「大庄屋」、第二段階、「大庄屋」→「庄屋」、第三段階、「庄屋」→「百姓」(町人を含む)へと・・・。

長州藩の「穢多請状」の場合、ふたつの流れがあります。ひとつは、上記の「庶民」に対して出される流れ、もうひとつは、「触書」の内容によって、「藩士」・「御家人」同様、「代官」を通して直接伝えられる流れ・・・。

いずれの場合も、「請状」の(1)から(6)の部分は、それぞれの段階で変化していきますが、しかし、「触書」の内容である項目については、変更されることはありません。「触書」が、上から下へと伝えられていくとき、いつのまにか、その「触書」の項目数やその内容が書きなおされる・・・、ということはありえないことがらです。

まして、「触書」の一部を削除したり、分割したりすることは、もってのほかです。

もし、藩主の「触書」が、上から下へと伝えられていくとき、その一部が欠落し、完全な状態で伝えられないときは、その当事者は、あとで、お仕置きを受けることになるでしょう。「村役人・大庄屋共不行届候段、重々不らちの義に付、依而御呵・追込・閉門被仰付候・・・」ということになります。

筆者は、岡山藩の「穢多請状」・「非人請状」については、その史資料を持ち合わせていないので断言することはできませんが、今回例に出した、長州藩の「穢多請状」は、長州藩固有の藩政事情から発生したものではなく、幕府の諸藩に対する「御触書」に端を発している「穢多請状」なので、当然、岡山藩においても、文書として記録・保存されていると思われます。

通常、「岡山藩」の「渋染一揆」の原因となったといわれる「別段御触書」は、どのような類の文書だったのでしょうか・・・?

『禁服訟歎難訴記』によりますと、「安政二卯極月より村々庄屋・平百姓・皮田百姓・町人・隠亡末々に至迄一等御倹約御触付あり・・・」とあります。

「岡山藩」の「穢多」は、「御倹約御触」の前段部分を安政二年に、聞かされていたのです。それに対しては、「岡山藩」の「穢多」は、「此度御倹約之義付御百姓一同之御請は仕候・・・」と考えていたようですが、次の年、安政三年の睦月の上旬、召集された「穢多」の前で、「別段」の「御触」が読み上げられるのです。その「別段」の「御触」は、次の言葉ではじまっています。

「一 郡内の穢多共義・・・」。

いわゆる「別段御触書」と言われているものの冒頭の言葉です。読み上げられた「触書」の末尾には、「請状を求める側」(5)「差出者」として「御郡奉行中」が、「請状を提出する側」(5)「受取者」として「大庄屋中」が記載されています。

無学歴・無資格、歴史学の門外漢である『部落学序説』の筆者としては、「岡山藩」の「倹約取締方」から出された「倹約御触書」と『禁服訟歎難訴記』の「別段御触書」を読み比べるとき、「岡山藩」の大庄屋は、「岡山藩」の「倹約取締方」から出された「倹約御触書」から、「岡山藩」の「穢多」に対する「穢多請状」を偽装・偽造したのではないかと推測せざるを得ません。

これは、筆者の推測でしかありませんが・・・。

このような、古文書の「様式」(Form)を視野に入れながらの「別段御触書」についての考察、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者たちからは、またまた、「非難中傷・罵詈雑言」に晒されることになるかもしれません。

「渋染一揆」に関する研究の大きな流れを作ったと思われる、柴田一著『渋染一揆論』、「別段御触書」のみをとりあげ、「倹約御触書」全体をとりあげることも、「倹約御触書」全体の中に「別段御触書」がどのような位置を占めているのか論じることも、ひとつの「倹約御触書」を、大庄屋が、わざわざ年末と年始に分けて、別々の「御触書」であるかのように、「岡山藩」の「穢多」に読み聞かせたのかについても、一切言及されることはありません。

「藩主」から出される「倹約御触書」を、「総体」として読み聞かせるのではなく、大庄屋が恣意的に、「百姓」用の「御触書」と、「穢多」用の「御触書」に二分して、別様の「御触書」を作る・・・、筆者の目には、「岡山藩」の大庄屋の大きな職務上の逸脱であると思われます。

「岡山藩」の「穢多」を強訴に駆り立てたもの・・・、その一因に、「倹約御触書」から「穢多請状」を偽造した「岡山藩」の大庄屋の法的逸脱行為があると判断します。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

Nothing is unclean in itself, but it is unclean for anyone who thinks it unclean.(NSRV)  それ自身穢れているものは何もない。穢れていると思っている人にとってだけ穢れている(英訳聖書)。 200...