2021/09/30

「渋染一揆」の末裔が耳にした伝承

「渋染一揆」の末裔が耳にした伝承・・・


この前、BOOKOFFで、川元祥一著『部落問題とは何か』(三一書房)を入手しました。価格は、105円・・・。

この新書は、「1992年度、筑波大学第二学群日本語・日本文化学類の「日本の政治と社会」という講義の一環として行った講義録」だそうです。

著者の川元祥一氏は、その最後で、「渋染一揆とその精神」という文章を綴っています。

筆者に興味があるのは、岡山藩の「穢多」の末裔である川元祥一氏が、「渋染一揆」について、どのような伝承を受け継ぎ、どのような伝承を次の世代へ引き継ごうとしているか・・・、ということです。

川元祥一氏は、このように語ります。「私が小学校にあがる直前に、おばあさんが、私に話してくれた話があるんです。おばあさんが話してくれた話は、いくつもあって非常に印象的なものがあるんですけども、その中のひとつにですね。「昔、うちの村の者は茶色い着物しか着ちゃいけんことになって、大騒ぎをしたんで」というのがある。それだけなんです」。

川元祥一氏が祖母からきかされた「渋染一揆」に関する伝承は、茶色の着物の強制・・・だけでした。「それだけなんです・・・」という川元祥一氏の言葉は、実に率直な響きのある言葉で信頼するに足るものです。

川元祥一氏は、その祖母の言葉は、「頭の中に非常に鮮明に残」ったといいます。「どうして茶色い着物なのかなあ・・・」という疑問と一緒に・・・。その疑問は、やがて、川元祥一氏の子供時代の経験から、「杉の枯れ葉」の「茶色」と、祖母から聞かせれた「茶色」とがイメージ的に重なるようになっていったというのです。

川元祥一氏は、明治大学文学部に入って、「部落問題を勉強し始めてから」、祖母から聞いた「茶色」が「渋染」のことであり、そのことをめぐる「大騒ぎ」が、「渋染一揆」であることを知ったというのです。この「渋染」の色は、中世において「賤民の色」であったことも・・・。

その後、川元祥一氏は、「穢多歎書」の訴えを、「藩の仕事として夜の警備や街道の警備をしてるんだ、だから我々が茶色い着物しか着ないということになれば、盗っ人たちが我々を一目で見分けられる。これでは効果がなくなるから、このお触れはとり消してくれ。・・・茶色い着物、あるいは渋染の着物だけになると質屋に持って行ったって質屋はとらないであろう、そうすると生活困窮に陥ったときに、金銭がいきづまる。したがって・・・御触を取り消してくれという嘆願書を出した・・・」と解釈します。

川元祥一氏は、岡山藩の「穢多」は、「茶色い着物は着なかった・・・」といいます。

川元祥一氏が、1975年に執筆された、挿絵入りの物語『渋染一揆』の末尾のことば、「岡山藩部落民衆は、渋染の着物を着ることは、全くなかった。」ということばに呼応します。

一般的には、「渋染一揆」は、「渋染・藍染」を強制された、岡山藩「穢多」の「強訴」であると理解されていますが、川元祥一氏は、その祖母から聞いた伝承、「昔、うちの村の者は茶色い着物しか着ちゃいけんことになって、大騒ぎをしたんで」という伝承に忠実に、「渋染一揆」に関する記述を「渋染」に集中させ、いつのまにか、「藍染」を欠落させてしまうのです。

川元祥一氏にとって、その祖母の語る言葉は、とても大切な伝承だったのでしょう。伝承だけでなく、伝承を語り継ぐ、岡山藩の「旧穢多」の末裔である祖母に対しても、尊敬と敬愛の念を強く持っておられたのでしょう。

部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の多くは、自己の学者としての権威を背景に、中国地方の被差別部落の古老の語ることばを、「単なるたわごと・・・」として、軽視し、捨ててかえりみません。

川元祥一氏にとって、祖母から聞かされた伝承の真実を追求することがライフワークになってしまったのではないかと思われます。川元祥一氏の「部落学」構築に対する思いは、あついものがあります。こども時代の、「どうして茶色い着物なのかなあ・・・」という疑問は、68歳になられた川元祥一氏の脳裏にしばしば去来しているのではないかと思わされます。

「茶色い着物」については、後日触れることにして、「禁服訟歎難訴記」の「白ひ菅笠皆かつき・・・」ということばについて、今一度検証してみましょう。

筆者は、「禁服訟歎難訴記」の原典を見ていないので断定することはできないのですが、「白ひ菅笠」という文字、「白い菅笠」と読み間違われたのではないかと思われます。「白ひ菅笠」の場合、「しろい菅笠」(雨天用の菅笠ではなく晴天用の菅笠)と読めますが、「白い菅笠」の場合、「白衣菅笠」(「白衣」は、江戸時代には、「びゃくい」のことであり、普通の着物をさします)と読め、柴田一氏が解釈している「白装束に編笠」につながっていきます。

しかし、この場合、「白装束に編笠皆担ぎ・・・」という意味になり、あらたな解釈上の問題が生まれてしまいます。

「渋染一揆」に関する、文献と伝承のせめぎあい・・・、川元祥一氏の中では、いまだに継続されているようです。

部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」に依拠した、ひとごと、たにんごとの、時間潰しの、知的あそびでしかない、「渋染一揆」研究とはひとあじ違うものがあります。

少し、話は脱線することになりますが、次回、<白装束の穢多>について、参考事例を紹介することにしましょう。

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