2021/09/30

「タブー」の語源

「タブー」の語源

『部落学序説』とその関連ブログ群においては、「禁忌」ということばをよく使用しています。

筆者がこの「禁忌」を使用する場合は、おもに、部落研究・部落問題研究・部落史研究に従事しておられる学者・研究者・教育者の、その研究の前提となっている枠組み、研究上の意識的・無意識的な制限を指して批判的に用いているのですが、「タブー」を使用する場合、そのほとんどは他者のことばを引用する場合です。

『岩波国語辞典』には次のような説明があります。

【禁忌】忌んで禁じること。①月日・方位・食物などについて、習俗として、きらって避けること。②→タブー。③ある病気に対して用いることを禁じなければならない薬品・薬品、または温泉の質。

【タブー】ふれたり口に出したりしてはならないとされているもの。禁忌。未開人の社会に見られるような、おかすことが禁じられている、神聖または不浄な事物・場所・行為・人・言葉の類。▷taboo(禁じられたの意のポリネシア語から出た英語。

両者を比較すると、共通点もあれば相違点もあります。

筆者が、この『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆する際に使用している資料・文献は、最初は、『部落学序説』執筆完了後に公開する・・・としていたのですが、読者の方(部落解放同盟新南陽支部)から早急に公開すべきである・・・との要望が寄せられ、1年前に、「参考文献」として公開しました。読者の方は、筆者が『部落学序説』で引用する文献はすべて入手される・・・ということでしたが、「参考文献」として一括して公表したあと、読者の方は、それらを入手され、読破されたのでしょうか・・・。

その「参考文献」の中から、「禁忌」・「タブー」に関することばを拾い集めると、『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者が、どのような論述を展開していくことになるのか・・・、容易に判断されるのではないかと思います。

しかし、手元に同じ資料があったとしても、その資料から、同じような解釈が発生するとは限りません。

「参考文献」にあげている、『習俗-倫理の基底-』の著者・佐藤俊夫は、その書を執筆したときの思潮的状況(筆者の青年時代の思潮的状況)をこのように記しています。

「何ぞというとすぐ、右か左か、個人か社会か、実存主義か社会主義か・・・というような、のるかそるかの厳しい岐路にたっているのだという点ばかりが、あまりにも強調されすぎるようなである。もちろん、現代の倫理的状況がそのようなものだということに、べつだん全面的に反対しようというのではない。このような「二者択一」のけわしい断崖に追いつめられた状況こそは、まぎれもない現実の事実というものであろう。だが、これは現代のいわば第一義の道なのである。第一義の道、それはけっしてウソとはいわぬ。しかし、第一義の道だけでどこまでも通そうというのは、これはどうにも息の詰まる話だ。現代はたしかにきびしい時代である。だが、このようにきびしい世にも、多くのひとは多くのばあい、昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆくのだ。そしてこれもまた、まぎれもない同じ現代の事実というものである。このようなまことに平凡きわまる、だが一面からいえば、それゆえにかえって、涙ぐましいまでに厳粛ともいえる人間の生活・・・そのようなものの面白さにもっと目を向けてもいいのではないか。「習俗」の面白さは、まさしくそういう面白さだとわれわれは思うのである」。

無学歴・無資格の『部落学序説』の筆者は、佐藤俊夫のいう「何ぞというとすぐ、右か左か、個人か社会か、実存主義か社会主義か・・・というような」先鋭化された世界に身を置いてこなかったし、ときとして、筆者のおかれた状況を無視して問いかけられる「右か左か、個人か社会か、実存主義か社会主義か・・・というような」問いを前にして違和感を覚えることのみ多かったように思われます。筆者は、佐藤俊夫がいう「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」名もなき民衆のひとりとして生きてきたに過ぎないのです。

20数年前、山口県の小さな教会に赴任してきて、教区の部落差別問題特別委員会委員を押しつけられていく中で、教団・教区・分区の内外において、「差別か被差別か、差別か反差別か、解放運動か融和運動か・・・」という問いを突きつけられるようになりましたが、正直いって、「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」名もなき民衆のひとりでしかない筆者にとっては、最初から最後まで、違和感に満ちた問いかけでしかありませんでした。

佐藤俊夫は、続けてこのように記しています。

「たとえばまた、人と人との交際にあって、一番大切なものは何かというようにきかれれば、「自他の人格の尊敬」とか「相互の人権の尊重」とか答えるのが模範解答というものであろう。しかし、じっさいのわれわれの日常交際にあって、あいつは虫が好かぬとか、気分のいい男だとか、われわれの交際を現実に左右しているのは、はたして「人格」の「人権」のというようなしかめつらしい理由であろうか。どうもそうではないので、あいつはしゃべるときに唾をとばすのが困るとか、あの貧乏ゆすりは何とかならぬものだろうかとか、鼻のわきのイボをみているとどうにもウズウズしてくるとか・・・およそ「人格」とも「人権」とも関わりのないことがらが、じつはわれわれの交際のかなりの部分を左右しているのである」。

そのあとに続く佐藤俊夫のことばを拝借すれば、「部落解放運動は「何をいうか」の思想さえしっかりしていれば、「如何にいうか」の表現などはどうでもいい・・・」というのは、「何ぞというと、差別か被差別か、差別か反差別か、解放運動か融和運動か・・・というような」、第一義の道に生きるひとびとの「暴言」に対して、『部落学序説』の筆者は、「如何にいうか」に力点をおいて、「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」名もなき民衆のひとりとして、おなじく、「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」被差別部落の古老に共感してその執筆を続けているのです。

部落解放同盟新南陽支部のひとびとは、筆者が、「無学歴・無資格」を標榜することを理解できないでいます。

彼らにとって、「無学歴・無資格」は、部落差別のしるし・マイナス価値以外の何ものでもないからです。「無学歴・無資格」は差別の重要なメルクマールとして、同和対策事業・同和教育事業によって克服されなければならないマイナス価値として認識され、同和対策事業・同和教育事業の重要な課題として認識されてきました。

やれ高校進学率が何パーセントだの、大学進学率が何パーセントだの、その数字をあげることのみ汲々としてきた現実があります。

そのような雰囲気の中で、みずからの無学歴・無資格を臆面もなく語り続ける筆者は、彼らにとっては、Inferiority Complex の持ち主としてしか、その目にはいらなかったのでしょう。「無学歴・無資格」にこだわる筆者は、彼らの目からみると、筆者の人格の瑕疵・欠点・汚点・・・としてしか見えないのではないかと思います。

同和対策事業・同和教育事業によって、高学歴の被差別部落のひとと、無学歴の一般のひととの人間関係は、日本全国津々浦々に生じた可能性は多分にあります。

筆者が所属している日本基督教団の部落解放運動の第一人者である東岡山治牧師と、『部落学序説』の筆者との関係は、そのような関係にあります。被差別部落出身である、同志社大学大学院を卒業、高学歴を背景に運動をされている東岡山治牧師と、被差別部落とはなにの関係もない無学歴・無資格の筆者との間には、暗くて深い絶望的なまでの「学歴差別」が横たわっています。

おなじ「学歴差別」は、部落解放同盟新南陽支部と筆者の間にも存在しています。

しかし、筆者のいう「無学歴・無資格」は、そんなにめずらしいものではありません。

筆者が中学校を卒業したのは、1963(昭和38)年です。団塊の世代のもっとも生徒数の多い年です。

文部省の統計調査では、その年、卒業した生徒数は、2491231名です。その年の高校進学者数は、1691740名です。その差799491名は中学校卒ということになります。その3年後、短期大学に進学したもの108052名、大学に進学したもの292958名、あわせて401010名ということになります。この数字をひとつの式であらわすと次のようになります。

中学卒業生徒数2491231-大学・短大卒業生数401010=無学歴・無資格2090221

現代社会では、一般的に「学歴」といわれるものは短大卒以上のことですから、筆者の年代は、「学歴」を身につけたのは40万人のみであって、ほかの200万人は「無学歴」を生きている・・・といっても過言ではありません。筆者のいう「無学歴」は、その背後に、同じ年代の200万人の「無学歴」を前提にしているのです。

「何ぞというとすぐ、右か左か、個人か社会か、実存主義か社会主義か・・・というような」、また、「何ぞというと、差別か被差別か、差別か反差別か、解放運動か融和運動か・・・というような」、第一義の道に生きるひとびと・「学歴」あるひとびとと違って、「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」団塊の世代200万のひとりとして、「無学歴・無資格」を標榜しているに過ぎません。

部落解放同盟新南陽支部のひとは、そんな筆者を「悲劇の主人公を演じる。」と評していますが、「無学歴・無資格」を「悲劇」・・・としてとらえるのは、部落解放運動の間違った認識にもとづくものです。「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」民衆のひとりに過ぎない筆者の目からみると、部落解放運動が人間解放運動に連座するためには、「学歴」を取得したりさせたりすることで「学歴」社会を承認・追従していくことではなくて、「脱学歴」社会をつくるべく闘争すべきであったと考えられます。

「部落解放運動」は、Inferiority Complex (劣等感)にとらわれた被差別部落の知識階級の、「何ぞというと、差別か被差別か、差別か反差別か、解放運動か融和運動か・・・というような」、第一義の道に依拠せず、「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」民衆の中に、所与の人生を引き受けていきる「プライド」と「自尊感情」を、逆に、育てていくべきではなかったのではないでしょうか・・・。

被差別部落の「昔ながらに相も変わらぬ、たわいもない喜びと悲しみのうちに、生まれ、育ち、老い、そして死んでゆく・・・」民衆を、部落解放運動の旗手・担い手としての自負の精神から、「高き」から「低き」を見下すように「いびつ」なかたちでしか表現できない部落解放同盟新南陽支部のブログ『ジゲ戦記』・・・。同和対策事業終焉とともに、部落解放同盟から離脱、それだけでなく、部落解放運動からも離脱して、『ジゲ戦記』などという「ごたく」を並べる姿をみていると、「ブルータス、おまえもか!」と叫びたくなります。

私の知っている、「闘う部落解放同盟新南陽支部」は、そんな腑抜けではなかった・・・。

部落解放同盟の組織から離れ、自分ひとり、同和行政をめぐる不正に関与しなかった「正義のひと」として無罪潔白を証明するかのような、「大阪、京都、奈良と立て続けに部落解放同盟の聞くにたえない事件が報道されている。かつて、その組織に所属していたものとして思うことは、これは3県だけの問題ではなく、全国的に表出してくる問題だということと、部落解放同盟が持ついびつな力の源は歴史にあり、それに自分も加担したのだという慙愧である・・・。」という文章はいただけない。「悲劇の主人公」をきどって、「それに自分も加担したのだという慙愧である・・・。」とその心情を吐露するのは演技のしすぎではないでしょうか・・・。

「清濁あわせてのみほし、それを清に変えていこうとするのでなければ、「部落解放運動」なんて成功するはずはない」。そう言明してやまなかったのは、部落解放同盟新南陽支部そのものだったのですから・・・。

部落解放同盟新南陽支部のみなさん、今からでも遅くはない。山口県連という組織に復帰し、その組織が抱えているすべての問題を引き受け、その運動が、真の部落解放運動の名に値するように、その組織と運動を純化すべきです。被差別部落民として、部落解放運動家として、あなたたちが捨ててかえりみない、部落民としての「プライド」と「自尊感情」を後生大事に、大切に。生きてみられたらどうでしょう。

私の知っている部落解放同盟新南陽支部は、そういう存在であったはず・・・。

またまた、大きく脱線してしまったようです。そう、そう、この文章・・・、「タブー」の語源について執筆するはずでした。

佐藤俊夫著『習俗-倫理の基底-』のよると、ポリネシア語の「タブー」は、字義的には、「特に bu 徴をつけた ta 」という意味だそうです。「ブをつけたタ」・・・、次回、佐藤俊夫著『習俗-倫理の基底-』をてがかりに、禅問答のような定義を検証してみたいと思います。


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『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

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