2021/09/30

<高佐郷の歌>

<高佐郷の歌>

インターネット上で、<高佐郷の歌>を検索してみますと、まずヒットするのが、ブログ『ジゲ戦記』・・・。

そのプロフィールに<高佐郷の歌>全文が掲載されていますので、ブログ『ジゲ戦記』にアクセスすれば、すぐ目に入ります。

今回、<高佐郷の歌>に出てくる<地名>をてがかりに、被差別部落の地名に関する<禁忌>について少しく考察をしてみることにしました。

筆者の手元にある<高佐郷の歌>は、全部で4種類。最初の3つは、<高佐郷の歌>を発掘された、山口県文書館の元研究員、現在、山口大学の講師をされている北川健先生の論文の中に出てくるもの。最後のひとつは、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々のブログ『ジゲ戦記』で紹介されている<高佐郷の歌>・・・。

この最後の<最後の高佐郷>の歌は、北川健先生の3番目の1983年版の<高佐郷の歌>に、部落史研究会の方々の独自の解釈が読み込まれているという点で、第4番目の<高佐郷の歌>としてとりあげることにしました。前3つが<差別者>の立場からの<高佐郷の歌>の解釈であるとしましたら、最後の<高佐郷の歌>は<被差別>の立場からの<高佐郷の歌>の解釈であると言えます。

とりあえず、現時点で、その気になれば誰でも読むことができるブログ『ジゲ戦記』<高佐郷の歌>をとりあげてみることにしましょう。

少岡ハ垣ノ内
山部は穢す皮張場
長吏の役ハ高佐郷
何そ非常の有時ハ
ひしぎ早縄腰道具
六尺二歩の棒構ひ
旅人強盗制道し
高佐郷中貫取

1983年版の<高佐郷の歌><せいとふ>とかな表記されているいる箇所は、ブログ『ジゲ戦記』版では<制道>と漢字表記に改められているところをのぞけば、両者はほぼ同じです。

しかし、部落史研究会の方々が、その<高佐郷の歌>に読みを付すことで、北川健先生の1983年版の<高佐郷の歌>と、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々のブログ『ジゲ戦記』版の<高佐郷の歌>とでは大きな違いが出てきます。

部落史研究会の方々は、上記の<高佐郷の歌>を次のように読んでいます。

1 ショウオカハカキノウチ
2 ヤマベハケガスカワハリバ
3 チョウリノヤクハタカサゴウ
4 ナンゾヒジョウノトキアラバ
5 ヒシギハヤナワコシドウグ
6 ロクシャクニブノボウカマイ
7 タビビトゴウトウセイトウシ
8 タカサゴウナカカンドリ

無学歴・無資格の筆者、高校生時代、古文は苦手科目であまり熱心に勉強してきませんでしたので、この<高佐郷の歌>を読むときにも、その読み方にほとんど自信はありません。乏しい、筆者の文学的知識に依拠して考察をすすめれば、日本の詩歌には、<五七調><七五調>がありますが、この<高佐郷の歌>は、<七五調>にあたります。

しかし、この<七五調>は、部落史研究会の方々の読みでは、<高佐郷の歌>の2行目から7行目までにあてはまりはしても、1行目と8行目は該当しません。

1 ショウオカハ・カキノウチ
8 タカサゴウ・ナカカンドリ

部落史研究会の方々の読みでは、一行目は<五五調>、8行目は<五五調>の<字あまり>になっています。8行詩のうち、1行目と8行目が強調された形になっています。無学歴・無資格、古典文学とはほとんど無縁の筆者、こういう<強調>がどの程度一般性があるのか、判断することができる資料をもちあわせてはいません。

筆者の乏しい知識では、本来<七五調>であるべきはずの句を<五五調>で読むのは、<読みの間違いではないか・・・>と想定せざるを得なくなります。部落史研究会の方々が<ショウオカ>、あるいは<ナカカンドリ>と読まれていることばの品詞はなになのか・・・。彼らは、それを地名であると認識しておられるようです。<高佐郷>における<穢多>の在所を示す地名・・・。

しかし、筆者が、徳山市立図書館の郷土史料室で史資料にあたった限りでは、<高佐郷>には、古代・中世・近世・近代を通じて、<少岡>・<中貫取>という地名はありません。『地下上申』・『風土注進案』・『山口県風土記』、そして<高佐郷>に関する郷土資料を探っても、<高佐郷>の地名の中には出てきません。

そういう意味では、1行目の<少岡ハ>と8行目の<中貫取り>は、<七五調>の基本に立ち戻って、<ショウオカハ>は<□□□□□□□>として、<コウサゴウナカカンドリ>は<□□□□□□□ □□□□□>として読みを正規化する必要があります。

無学歴・無資格、文学とはほとんど縁のない筆者が、文学の専門家から笑われるのを覚悟してあえて、新たな読みを付すとすれば、<ショウオカハ><スクナキオカハ>と読み、<コウサゴウナカカンドリ><コウサゴウチュウ ツナギトリ>と読むことになります。

その理由は、のちほどとりあげるとして、<高佐郷の歌>の読みは、次のようになります。

1 スクナキオカハ カキノウチ
2 ヤマベハケガス カワハリバ
3 チョウリノヤクハ タカサゴウ
4 ナンゾヒジョウノ トキアラバ
5 ヒシギハヤナワ コシドウグ
6 ロクシャクニブノ ボウカマイ
7 タビビトゴウトウ セイトウシ
8 
タカサゴウチュウ ツナギトリ

この<高佐郷の歌>・・・、山口県の部落史研究、あるいは同和教育においては、軽々しく取り扱うことができない、被差別部落の地名が入った歌として認識されてきました。その経緯は、筆者の手元にある、山口県文書館の元研究員で、現在山口大学の講師をされている北川健先生の3つの<高佐郷の歌>の、<公開>のための3つのパターンを検証すればすぐ分かります。

北川健先生は、山口県の部落史研究において、際立って良心的な研究者ですが、その北川健先生をも巻き込まずにはいなかった、被差別部落の地名に対する、必要以上の、極端な<禁忌>(タブー)、筆者、無学歴・無資格、山口県の部落史研究の門外漢であるにもかかわらず、批判検証をこころみたいと思います。

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