徳山藩の「衣類」の色に関する統制
徳山藩の『衣類定』には、衣類の色についての統制はありません。衣類の色でもって、身分を識別するという、あるいは、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者が指摘するような、色によって、身分を「差別」するという発想がなかったのかもしれません。
徳山藩の『衣類定』の場合、衣類統制の対象は、衣類の色(染色)ではなく、衣類の素材(絹・紬・麻・木綿)なのです。
それでは、徳山藩において、衣類の色はまったく統制がなかったのかといいますと、別の法令では、色の強制が記録されているものもあります。
それは、雨の日に着る合羽の色です。
記録には、「足軽并同格之者、中間并同格之者、青漆合羽・・・、荒仕子之合羽・・・向後一切柿合羽ニ可仕旨被仰付候事」とあります。
荒仕子は、「徳山藩士卒階級表」によりますと、武士身分の最下層の階級です。「作事奉行支配の人夫であって、一日米五合支給。」の身分です。その「荒仕子」階級、その職務遂行上身にまとう合羽の色を「柿色」ときめられているのです。「向後一切柿合羽・・・」という表現は、それが、強制であったことを物語っています。
足軽・中間の合羽の色、「青色」(藍色)も、その職務遂行上身にまとう合羽ですから、なかば、強制されたもの、いずれも「制服」のようなものであったと思われます。
近世幕藩体制下の凶悪犯・・・、雨の日、嵐の日に多発していました。そのとき、同心(足軽)は、「青漆合羽」を羽織って探索・捕亡にでかけたと思われます。荒仕子の場合、徳山藩全体で160人・・・、台風で河川が決壊するのを防ぐために集中豪雨の中、作業をしたと思われます。その時の制服のようなものです。現代社会においても、警察官は青色、道路公団の職員は柿色の制服をきて職務についています。
色に対する、民族の基本的な感覚・・・。昔も今も、それほど違いはありません。
徳山藩の衣類の色に対する統制、他にもあるのですが、またの機会があればご紹介申し上げます。
ところで、近世幕藩体制下の司法・警察の職務を担っていた徳山藩の「穢多」・・・、この「徳山藩士卒階級表」には出てきません。すでに、『部落学序説』の本論の中でご紹介申し上げたところですが、町奉行・郡奉行支配下の司法・警察の職務に対する報酬、徳山藩の藩法では、「一日一升」と定められていました。
「穢多」が職務を遂行するときに身にまとった「合羽」、何色だったのでしょうか・・・?
| 区分 | 身分 | 武士 | 百姓 | 区分 | 
| 家老 | 準格の百姓町人 | |||
| 用人 | ||||
| 一般士分 | 馬廻 | 準格の百姓町人 | ||
| 馬廻 | ||||
| 中小姓 | ||||
| 茶道 | 準格の百姓町人 | |||
| 祐筆 | ||||
| 膳部 | ||||
| 別当 | ||||
| 徒士 | 準格の百姓町人 | |||
| 陣僧 | 名字家名持候百姓 | |||
| 持弓 | ||||
| 蔵本付 | ||||
| 細工人 | ||||
| 船手 | ||||
| 小膳部 | ||||
| 中間・足軽以下 | 検断 | 青漆合羽 | 百姓 | |
| 足軽 | ||||
| 足軽組外 | ||||
| 中間 | ||||
| 中間組外 | ||||
| 猟方 | ||||
| 時方 | ||||
| 舸子 | ||||
| 厩之者 | ||||
| 煮方之者 | ||||
| 飯炊之者 | ||||
| 諸細工人 | ||||
| 小人 | ||||
| 挟箱之者 | ||||
| 傘之者 | ||||
| 駕籠之者 | ||||
| 道具之者 | ||||
| 荒仕子 | 柿合羽強制 | 
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