2021/09/30

徳山藩の「衣類」の色に関する統制

徳山藩の「衣類」の色に関する統制

徳山藩の『衣類定』には、衣類の色についての統制はありません。衣類の色でもって、身分を識別するという、あるいは、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者が指摘するような、色によって、身分を「差別」するという発想がなかったのかもしれません。

徳山藩の『衣類定』の場合、衣類統制の対象は、衣類の色(染色)ではなく、衣類の素材(絹・紬・麻・木綿)なのです。

それでは、徳山藩において、衣類の色はまったく統制がなかったのかといいますと、別の法令では、色の強制が記録されているものもあります。

それは、雨の日に着る合羽の色です。

記録には、「足軽并同格之者、中間并同格之者、青漆合羽・・・、荒仕子之合羽・・・向後一切柿合羽ニ可仕旨被仰付候事」とあります。

荒仕子は、「徳山藩士卒階級表」によりますと、武士身分の最下層の階級です。「作事奉行支配の人夫であって、一日米五合支給。」の身分です。その「荒仕子」階級、その職務遂行上身にまとう合羽の色を「柿色」ときめられているのです。「向後一切柿合羽・・・」という表現は、それが、強制であったことを物語っています。

足軽・中間の合羽の色、「青色」(藍色)も、その職務遂行上身にまとう合羽ですから、なかば、強制されたもの、いずれも「制服」のようなものであったと思われます。

近世幕藩体制下の凶悪犯・・・、雨の日、嵐の日に多発していました。そのとき、同心(足軽)は、「青漆合羽」を羽織って探索・捕亡にでかけたと思われます。荒仕子の場合、徳山藩全体で160人・・・、台風で河川が決壊するのを防ぐために集中豪雨の中、作業をしたと思われます。その時の制服のようなものです。現代社会においても、警察官は青色、道路公団の職員は柿色の制服をきて職務についています。

色に対する、民族の基本的な感覚・・・。昔も今も、それほど違いはありません。

徳山藩の衣類の色に対する統制、他にもあるのですが、またの機会があればご紹介申し上げます。

ところで、近世幕藩体制下の司法・警察の職務を担っていた徳山藩の「穢多」・・・、この「徳山藩士卒階級表」には出てきません。すでに、『部落学序説』の本論の中でご紹介申し上げたところですが、町奉行・郡奉行支配下の司法・警察の職務に対する報酬、徳山藩の藩法では、「一日一升」と定められていました。

「穢多」が職務を遂行するときに身にまとった「合羽」、何色だったのでしょうか・・・?


区分身分武士百姓区分
 家老  準格の百姓町人
用人
一般士分馬廻 準格の百姓町人
馬廻
中小姓
茶道 準格の百姓町人
祐筆 
膳部 
別当 
徒士 準格の百姓町人
陣僧 名字家名持候百姓
持弓 
蔵本付 
細工人 
船手 
小膳部 
中間・足軽以下検断青漆合羽百姓
足軽
足軽組外
中間
中間組外
猟方
時方
舸子
厩之者
煮方之者
飯炊之者
諸細工人
小人
挟箱之者
傘之者
駕籠之者
道具之者
荒仕子柿合羽強制

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