2021/09/30

<高佐郷の歌>を研究するときの姿勢

<高佐郷の歌>を研究するときの姿勢


<郷土>に関する歴史資料をひもといて、近世幕藩体制下の<穢多村>を尋ねるのは、なかなかしんどいものです。

一般的には、<触れるな、さわるな・・・>と言われた世界に足を踏み入れることになりますから・・・。

山口県文書館の研究者の方が書かれた<同和問題と地方史研究者の責任>という文章に、このようなことが書かれています。学術研究用の資料集として復刻された『防長風土注進案』の<被差別部落>に関する記事に対する学者・研究者・教育者に、その取り扱いをめぐる<自覚と自戒、留意と配慮>をうながしたものです。

<20数年前には郷土史家の保有する地元の史料が発端となって、その地の役場や学校の文書記録までもが焼却処分になった・・・>。

その被差別部落がどこの被差別部落なのか、部落史研究の門外漢である筆者は何も知りません。ただ、その被差別部落に関する差別文書だけでなく、関連史資料まで<焼却処分>されたとなりますと、筆者、<産湯と一緒に赤子を捨てた・・・>という恐るべきことがらを想定してしまいます。

その被差別部落が生きてきた、ほんとうの歴史も同時に失われてしまったのではないか・・・、と。

今回、<高佐郷の歌>を調べていて、その史資料の少なさに驚かされます。関連史資料の少なさの背景に、<関連史資料が意図的に隠されてしまったのではないか・・・?>という疑念を抱かざるを得ないからです。

<同和問題と地方史研究者の責任>に取り上げられた、被差別部落の関連史資料を焼却処分に付した被差別部落と、<高佐郷>内の2つの被差別部落(未指定地区・・・?)とが重なることがないことを願いながら、この文章を続けていくことになります。焼却処分までして隠蔽した歴史を、無学歴・無資格、部落史研究の門外漢である筆者が明らかにすることは、精神的に耐えられないことがらでしょうから・・・。

筆者、<高佐郷>の2つの被差別部落を、絶対座標ではなく相対座標を用いて、<高佐北穢多村>・<高佐南穢多村>と呼ぶことにします。<高佐郷>の2つの<被差別部落>の住人の方々は、筆者が、何を知り得て、何を知り得ていないか、確認することができるでしょうし、被差別部落の人々を差別してやまない現代の<差別者>にほんとうの地名を曝す愚をおかすこともなくなるでしょうから・・・。

《明治大正郷土史研究法》の著者・古島敏雄氏は、「歴史という人間の営みによってつくりあげられる過去の姿の解明には、ほとんど常に村・地域の利害関係の緊張を呼び起こす要素を含んでいる・・・」といいます。そして、「問題が比較的近い過去に属するならば・・・個人の私事をあばくという反省を呼ぶようなものが、郷土人にはある・・・」といいます。

前述の<同和問題と地方史研究者の責任>という文章でとりあげられている<郷土史家>は、郷土の歴史・・・、被差別部落の歴史を含む郷土の歴史を<あばく>営みをされたのでしょうか・・・? 筆者、その具体的内容について何も知りませんが、郷土の歴史を<あばく>営みは、決して少なくありません。

たとえば、<同和教育研修>などもそうでしょう。

講師によって、郷土の歴史を学習したあと、部落史の学者・研究者・教育者などの識者の案内で、被差別部落の中を散策してまわる・・・、という場合も、多くの場合は、被差別部落の歴史の真実を知ることにつながるより、その被差別部落が如何に差別されてきたか、部落史の学者・研究者・教育者が前提としている賤民史観の枠組みの中での確認にとどまってしまう。それも、結果的には、<あばく>ことにつながり、部落差別完全解消に帰することはほとんどありえない・・・。融和事業・同和対策事業の利権に与ってきた被差別部落の古老を動員して、賤民史観を被差別者自らに確認させる・・・、というオプションを組み込まれたような<同和教育研修>は、部落差別完全解消からほど遠い、むしろ、部落差別の拡大再生産のいとなみであると言えるでしょう。

筆者が、この文章を書く目的は明白です。

部落史の学者・研究者・教育者の手のあかで汚れてしまった<高佐郷の歌>をそこから救い出し洗い清めることにあります。ことばを変えれば、<高佐郷の歌>の賤民史観的解釈をはぎとり、その中にある<高佐郷の歌>に秘められている本来の歌の響きを取り戻すことにあります。

高佐郷の2つの被差別部落には、筆者が、『部落学序説』でとりあげている、<山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老>と同じく、彼らの先祖伝来の歴史を担い、先祖伝来の土地に根ざして生き抜いている古老がいる・・・、と思われます。いつか、尋ねていって、その話しをお伺いすることになります。

無学歴・無資格、学問とはほとんど縁のない筆者の<机上の研究>、そこから紡ぎだした<机上の論理>は、最終的には、その地に生きる被差別部落の古老との出会い、そのほんとうの歴史を共有することに終わる・・・。

奥阿武郡の大庄屋の『蔵田家文書』・・・、無学歴・無資格、学問と無縁な筆者がたどりつくことができない山口県文書館の書庫の中にありますが、高佐郷の2つの被差別部落に関する多くの史資料、ないし記事を含んでいるのではないかと思われます。それらの文書は、<焼却処分>されていないようですから、いつか、<高佐郷の歌>に隠されているほんとうの意味を、歴史の真実を明らかにしてくれる日が訪れるでしょう。

<同和問題と地方史研究者の責任>に、「今なお<文書館にある関係史料は全部焼いてしまえ>と呼号している一方の当事者もいる・・・」とありますが、「同和問題にかかわる史実と史料は<両刃の剣>・・・、差別を継承、助長、再生産していく凶器ともなれば、差別の撤廃、同和教育、部落解放を推進していく有力な武器ともなりうる・・・」。

被差別からの解放は、被差別の歴史を否定することによってではなく、差別思想である賤民史観的装いを剥ぎ取って、ほんとうの歴史を明らかにすることによってもたらされる・・・、筆者、そう信じてやまない・・・。

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