2021/09/30

学問論 1.独学

学問論 1.独学

筆者が所属している宗教教団は、学歴・学閥の社会です。

人間の価値は、彼岸の世界では、万人みな「平等」・・・と言われますが、此岸の世界では、血筋・家柄、学歴・学閥による「差別」は当然とみなされます。

学歴のないものは、学歴ある者より一段下の存在とみなされます。公立高校出身より、私立大学出身者の方が学歴に相応して学力があると認定されます。北海道の旭川大学出身者は、山口県の東亜大学・徳山大学・萩国際大学出身者同様、どの高校卒業者よりも学力が上とみなされるのです。学力だけでなく、人間としての価値も学歴に比例するとみなされます。

『独学のすすめ』を書いた加藤秀俊は、日本の社会の現実をこのように語ります。「ごく一般的にいって、学問の業績というのは、学歴だの学位だのを背景にしている。いい大学で教育うけ、研究をつづけ、その結果として業績がある」。

『部落学序説』を執筆する筆者は、一切の学歴を持ち合わせていないので、「いい大学で教育うけ、研究をつづけ、その結果として」生じる「学問の業績」とは一切無縁であると思われます。

よく知人から、「あなたが書いている論文くらい、誰でも書ける。ただ、常識と著しく違う論文を書いて世の嘲笑のネタにされたくないから書かないだけだ・・・」と言われます。その言葉には、学歴あるものが学歴ないものの無学さを哀れむ淋しい響きが漂っています。

『独学のすすめ』の著者・加藤秀俊は、「学校に入らなければ学問はできない、などという思想は、ついこのあいだ出来たばかりの新興思想にすぎないのであって、人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であった・・・。人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外のなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。」といいます。

しかし、加藤は、さらに続けて、こういいます。「学校というものは、「独学」で勉強することのできない人たちを収容する場所なのだ、といえないこともあるまい。一般的には、学校に行けないから、やむをえず独学で勉強するのだ、というふうにかんがえられているが、わたしのみるところでは、話はしばしば逆なのである。すなわち、独学できっちりと学問できない人間が、やむをえず、学校に行って教育を受けているのだ。学校は、いわば脱落者救済施設のようなもので、独学で立ってゆけるだけのつよい精神をもっている人間は、ほんとうは学校に行かなくたって、ちゃんとやってゆけるものなのである」。

ここまで言い切られると筆者はついて行けなくなります。私の娘は、地方国立大学で4年間学んで、そのまま大学院に残っていますが、娘の書いた学士論文を読んでみて、「地方国立大学は、きちんと娘を指導してくれたのだ・・・」と、感謝の思いを持ちました。独学では、決して身に着けることができない、できたとしても、時間と費用と、言葉に表わせない試行錯誤の努力が必要なことを考えると、地方国立大学での4年間、あるいは6年間は、娘にとってはかけがえのない時間だったと思うのです。

無学歴よりも学歴があるほうがいいに決まっています。ただ、学歴があるかないかは、家庭環境や経済事情が反映しますので、学歴の有無で、人間の学力や価値まで判断されるようになることについては問題を感じます。しかし、筆者の所属する宗教教団の現実をみても、血筋・家柄、学歴・学閥による「差別」は、日本の社会の中に深く静かに蔓延しているように思われます。

無学歴を「部落差別」のしるしとして、学歴獲得闘争を展開していったのが、部落解放同盟でした。被差別部落出身のこどもに大学卒の資格を取得させるために、特別入学枠や特別奨学金の制度を作らせました。それを使って、学歴社会の中に、学歴をもって入って行った被差別部落出身者も多いのではないかと思います。

ときどき、筆者は考えるのですが、部落解放運動の成果として、大学進学率を向上させることによって、同じ被差別部落の住人の中に、学歴のある者と学歴のない者との間に「学歴差別」が発生することについては、彼らはどのように考えてきたのだろうか・・・、と。「部落差別こそ、日本社会の根源的な差別。学歴差別は問題ではない。」と、部落解放運動に従事している方々から聞きましたが、筆者にとっては、「差別の本質がなにかわかっていない人のたわごと・・・」としか受け取れませんでした。日本の近代・現代の全ての差別は、この学歴差別と密接な関係があるのです。

筆者が、部落解放運動の指導者であったと仮定したら、被差別部落のこどもたちを「学歴社会」へ送り出すのではなく、差別社会を根底から変えるために、「脱学歴社会」の構築を運動のテーゼにしたことでしょう。部落解放同盟は、部落差別だけでなく、人種差別・民族差別・性差別にまで視野を広げていますが、学歴差別そのものについてはほとんど関心をしめしていません。学歴差別の本質に迫らない部落解放運動というのは、筆者にとってはあまり魅力的ではありません。

『独学のすすめ』を書いた加藤秀俊は、学問・教育の目標は、「多面的な人間」をつくることにあるといいます。「切りわけられた羊カンだけにしか興味をもとことのない「専門バカ」をつくることは、教育の目標ではない。」といいます。

しかし、加藤は、日本の社会では、「多面的な人間」のような「タイプの人物は、めったに見あたらない」といいます。政治家は政治、実業家は商売、学者は学問、音楽家は音楽・・・、「みんなが整然と分業して黙々とはたらいている。」といいます。

23年前、山口県の小さな宗教施設に赴任してきたとき、前任者が宗教施設の運営をめぐる問題で自害したと言われていましたが、筆者の着任後も、宗教団体が抱える問題の見本市のようにいろいろな問題が多発しました。信者の夫婦が、自分の会社の倒産のあと、借金返済のため、似非同和行為とみなされる同和事業設立に関与しはじめたり、被差別部落出身の信者が一挙離脱したり、部落差別問題とめぐって、小さな宗教施設は激流にもてあそばれる木の葉のような存在になってしまいました。

筆者が、部落差別について、あからさまに言及する理由のひとつに、被差別部落の人々から受けた嫌がらせや中傷の経験の多寡があります。

ただ筆者は、どのような状況にあっても、冷静にそれを分析して、その背後にある原因を追究しようとする傾向があります。そんな性格が、置かれた状況に対して、いつも早急な反応をすることを控えさせるのです。

今は、当宗教施設を離脱して久しくなりますが、ある被差別部落出身は、他の信者によびかけて、筆者に無理難題をぶつけてきました。「本当に、部落差別がなくなればいいと思っているなら、その証拠をしめしてほしい。」というのです。そのひとのいう「証拠」というのは、筆者の、被差別部落出身でない「妻と子」を離縁して、彼らが指名する被差別部落の女性と再婚してほしいというのです。「教祖の教えに反する」とその人を退けると、彼らは、筆者を兵糧攻めにしました。それも効果ないとわかると、関係者連れ立って、小さな宗教施設を離脱して行きました。

あるとき、傷害事件で服役したことがあるという被差別部落の人がやってきて、「ぶち殺すぞ!」と脅迫されたことがあります。関係者に頼まれたのでしょう。「殺せるならころしてみろ!」と大喧嘩になったことがあります。しばらくして、その被差別部落の長老のかたから、「うちの部落からはお宅にお参りには行かないでしょう。みんな、あそこの坊さんは怖いと言ってます。」と聞かされたことがあります。

筆者が所属する教団の同和担当部門に、あれやこれやの問題を相談したとき、被差別部落出身で長年に渡って部落解放運動に関係してきたトップは、「それは、あなたが被差別部落の人々に信頼されていない証拠だ。」の一言で筆者の訴えを退けてしまいました。筆者は「そんなバカな・・・」と思いました。教団の同和担当部門がのりだしてきて、小さな宗教施設が直面している問題解決に「助力」してくることを期待していたのですが、その期待は見事裏切られてしまいました。

そんな中、筆者は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の聞き取り調査に立ち会ったのです。そして、筆者の中に広がりつつあった被差別部落に対する負のイメージとは異なる古老の証言に接したのです。「本願ぼこり」どころか、「部落ほこり」に陥っている被差別部落の人々は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語る、彼ら自身の歴史を知らないのではないか・・・、と思わされたのです。山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語る話は、岩国の至るところで見られる、泥沼に咲く、美しい蓮の花のように思われたのです。筆者は、被差別部落に対する種々雑多な思いを捨てて、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語る話の解明に精神と努力を集中するようになりました。

話は、またまた脱線してしまいましたが、筆者と残された信者で、20数年、この小さな宗教施設を維持してきたのです。筆者は、当然、宗教家のほかに副業を持つことを余儀なくされました。そのとき、先輩教師は、「副業を持つことは、宗教教師を辞めたに等しい」と言って、筆者を露骨に排除しはじめました。副業というのは、情報処理関連の仕事(プログラミング)でした。彼は、「コンピュータは人間管理の道具、宗教者が携わる仕事ではない。」というのです。山口県の職業訓練校でパソコンの指導を請け負ったときも、幼児教育に携わる彼は、「幼児教育は、真っ白なこころに教祖の教えを刻み付けるので聖なる仕事といえるが、職業訓練校で、この世のけがれに染みた女性に教えるのは、宗教教師の仕事としては相応しくない。」と筆者を批判してきました。学歴を誇る彼は、無学歴の筆者にこのようにいいます。「学者でもないのに学者ぶった話をするな!」。

『独学のすすめ』の著者・加藤秀俊は、「日本は、ナワ張り根性の強い国であり、ひとは「専門」にとじこもることによってのみ安全保障にめぐまれる国なのである。多面的存在としての人間を、日本の文化は排除することが多いのだ。」といいます。筆者の経験では、「日本の文化」だけでなく、筆者の所属する宗教団体も絵に描いたように同じ体質を持っているのです。加藤は、「多面的人間」は、多少評価されて「器用貧乏」と受け止められるに過ぎないといいます。

筆者は、42歳の男の厄年に、データベースのシステムエンジニアの資格を取得、50歳のとき、「50の手習い」で、当時通産省の情報処理技術者試験(シスアド・第2種)に合格しました。副業のために受けたとった資格ですが、当然独学です。部落差別をめぐる複雑怪奇な「ことば」や「ふるまい」に対して精神的なダメージを受けていた筆者にとっては、プログラミングは、あいまいさのない、真と偽の単純で論理的な世界でした。宗教教団の先輩教師の批判・中傷に屈せず、情報処理技術を磨いたことは、結果的には正解でした。パソコンは、独学のための、極めて有意味な知的生産ツールと化したからです。梅棹忠夫の『知的生産の技術』を100%自分のものにすることができたからです。外国の文献を読むことも難しくなくなりました。OCRと翻訳「支援」システム(翻訳システムではありません)があれば、筆者の場合、日英・英日、日独・独日の双方向の翻訳が可能になりました。

山口県立徳山高校の教師に頼まれて、受け持ちの生徒の受験校決定の資料として、大学の学部・学科、担当教授の研究実績と研究テーマの情報収集をインターネットでしたことがありますが、情報処理技術を身につけているかどうかで、「独学」の質に大きな差ができることが分かりました。

もちろん、インターネットだけに情報源を限定すると、ろくな論文が書けません。理由は、『部落学序説』執筆に使用する、大半の資料は、インターネット上では収集することは出来ないからです。やはり、基本的な文献は、自分で購入して精読しなければなりません。伝統的な研究方法を実践した上で、インターネットの情報を補助的に使用するという方法が一番いいのではないかと思います。

今や、独学の最大の問題点は、研究方法や技術の取得ではなく、研究の主題を何にするかという一点に集約されることとなったのです。

研究テーマをどのように見出すか? 

『学者の値打ち』の著者・鷲田小彌太は、「最近流行で、評価の決まっていない「未解決問題」・・・私なら、こういう問題に直進することをおおいに勧めたい」といいます。

そして、「問題は、しかし、こういう最新の未解決問題を研究するのはいいが、問題の解決はおろか、研究する方法も見だせず、あっちをうろうろ、こっちをうろうろで、結局、さまざまな意見があります、ということに終わる」ことであるといいます。・・・それに、万が一どんなにすばらしい研究成果を出したとしても、それを評価してくれる専門家が指導者にいなければ、どうしようもない」と。

鷲田によると、研究にはオリジナリティが必要であるが、オリジナリティの評価は、大学の教授でないとできないらしいのです。「小・中・高の教師には、オリジナリティは要求されない。むしろ、彼・彼女が、独創的な意見や理論の持ち主でも、教室にそれを持ちこんで教えるのは、むしろ「有害」とされる。高校までの授業は、テキスト(標準教科書)にもとづいて進められるべきものとされる。」というのです。

独学者が論文を書く場合、いきなり、高校教師に勝る質の論文が要求されることになるのでしょうか。「学問の命」であるオリジナリティが、論文に要求されることになるのでしょうか・・・。

鷲田は、学問を3つに分類しています。「幇間的学問」・「有閑的学問」・「学問のために学問」。

●幇間的学問
鷲田は、「幇間的学問」を、「特定の政治的立場に功利的にサービスするための学問」として定義します。何も「政治的立場」に限定する必要はないでしょう。既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くは、部落解放同盟という「運動的立場に功利的にサービスするための学問」として営まれてきました。部落解放運動にとってマイナスになることは差別として意図的・無意図的に排除されてきたのです。既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くは、この「幇間的学問」の範疇に入ります。

●有閑的学問
鷲田は、「有閑的学問」を「現実から逃避する学問」として定義します。最近の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くは、この学問の範疇にも入ります。部落差別は、近代の国家権力によって、直接的にも間接的にもつくられてきたにもかかわらず、差別の淵源を国家権力とは関係のないところ、伝統文化や慣習・風俗に追いやろうとします。国家権力を免罪し、差別の「現実」から遠ざかり、差別そのものを解決不能な世界へ追いやろうとします。

●学問のための学問
鷲田にいわせると、最も学問的な学問と言えるのかも知れません。多くの学者は、かろうじてこの学問の範疇にとどまっていると信じたいものです。

学歴も資格もない筆者の『部落学序説』は、どの学問の範疇に入るのか・・・。実は、鷲田がいう学問の範疇のいずれにも入らないのです。筆者は、『部落学序説』は、「批判・検証の学」として位置付けています。「幇間的学問」・「有閑的学問」・「学問のために学問」に勝って、研究者・学者・教育者・運動理論家の説を、比較検証して、それぞれの学問の正当性を論ずる学問であると思っています。無学歴の素人に何が分かるか・・・との声もありますが、プロの研究者・学者・教育者・運動理論家は、このような方法は採用しません。『学問と「世間」』の著者・阿部謹也がいう、学者の世界に支配的な「世間」が、このような研究方法を阻むからです。学者の「世間」と何の関係もない、無学歴の筆者であるがゆえに、比較研究の上、いとも簡単に、Aという学者の説を受け入れ、Bという学者の説を退けることをやってのけるのです。読者は、筆者に対する批判を展開しようとすれば、AかBのいずれかの学者を批判しなければならなくなります。『部落学序説』は、相反する学説に取り囲まれているのです。しかも、そのいづれからも自由になって、新しい学問、新しい説を提唱しているのです。

鷲田は、その著『研究的生活の方法』で、「大学を出て10年間、対価を望まず研究に打ち込んだら、一定水準の研究成果が生まれます。」といいますが、無学歴の独学者であっても、10年間、ひとつのテーマを追求すれば、一定水準の研究成果に達することができるのではないでしょうか。

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