2021/09/30

心の高鳴りのない最近の<渋染一揆>研究

心の高鳴りのない最近の<渋染一揆>研究・・・

「東北地方の片田舎で、深い雪の下に埋もれるように生きながら、土くさい素朴さをもって・・・こぼれ溢れるようなヒューマニズムを展開した・・・人物がいた」。

その生涯は、「まったくの謎のまま・・・」であるといわれます。

しかし、その人は、「日本思想史に比肩するもののない破格抜群の・・・思想」を展開し、「元禄・享保・宝暦などと呼ばれる頃、八代将軍徳川吉宗が支配していた1700年代の前半という時代に・・・鮮烈で燦然たる人間平等の思想をうちだし」た・・・。

「人ニオイテ上下・貴賤の二別ナシ」。

「その人は、人間の上下・尊卑・貴賤の差別をいっさいみとめず・・・封建的身分制度にまっこうから反対」した・・・。

その人は、支配階級である武士階級に対して、「耕サズシテ貪リ食ウハ、天地ノ真道ヲ盗ム大罪ナリ。」として厳しい批判をなげかけ、不当な利益追求で民衆を困窮に陥れる一部の町人階級に「批判攻撃の舌鋒」を鋭くした・・・。

その人の名は、安藤昌益。

『安藤昌益の闘い』(人間選書)の著者である寺尾五郎氏は、その第2章で「昌益についての諸見解」として、既存の安藤昌益研究を批判しています。

その最初の項が、「心の高鳴りのない最近の研究」・・・。

寺尾五郎氏は、戦後の安藤昌益研究を批判してこのように綴ります。「戦後日本においては、言論の自由もあり、昌益に関する新事実も発見され、資料も整備され、研究者も少しは増えたというのに、かえって昌益研究は低調なものとなり、こまごまとした実証の穴堀りはよくやるが、肝心の思想研究では密度がうすく硬度もなく、水でうすめた酒のような味気ないものになってしまっている」。

「特に最近の昌益研究は、心の高鳴りを全く欠いた”白けきったもの”となり、思想水準の低い訓詁の学に近いものが多いようである」。

安藤昌益の研究者、寺尾五郎氏は、安藤昌益に勝るとも劣らぬ、歯に物を着せぬもののいいようをされていますが、百姓の視点・視角・視座から『部落学序説』を執筆する筆者にとっては、寺尾五郎氏の学者・研究者・教育者批判には、ある種の痛快さを感じます。

寺尾五郎氏は、戦後の安藤昌益の学者・研究者・教育者の多くは、「既存の大きな潮流、先行する系統に昌益をはめこんでいないと不安らしい。」といいます。

戦後、「学問の自由」・「言論の自由」が保証されたにもかかわらず、学者・研究者・教育者の中にある保守的体質は、みずからそれを反故にして省みない・・・。既存の研究の大きな潮流、先行する系統の学問の傾向に身をゆだねることをもって、自らの学問の学問であることの担保をとろうとしていると思われるのです・・・。

多くの安藤昌益研究は、「何の論証もなければ、根拠も示さず、ただ・・・そう「見える」というだけの印象話である」。

戦後の学者・研究者・教育者がすることといえば、「実証主義的研究」のことばを隠れ蓑にして、「似たものさがし」や「無いものさがし」にいたずらに時間を費やす・・・。寺尾五郎氏のいう「似たものさがし」というのは、特定の安藤昌益の「用語」の語源と用法を、史資料にたずね、「古典のあそこにもあればここにもあると探し出」し、それでもって、安藤昌益の「用語」のみならずその思想全体を解明したとする安直な姿勢のことです。

寺尾五郎氏は、「”似たものさがし”や”無いものさがし”のやり方というものは、思想の研究を書かれた書物の字面だけから行おうとする、一種の文献学的な方法である。・・・これもまた一つの手がかりであることは事実であるが、それはきわめて初歩的な低次の準備に過ぎない。書誌学的詮索、文献学的な分類や系統化は、思想研究の準備作業に過ぎないのである。・・・死体の腑分けはやれるが、生きた人間の病をなおせなければ医者ではあるまい・・・。」といいます。

「一人の人間がどれほどの闘いをしたか、どれだけ傷つきどれだけの誇りをもっていたか・・・たとえ先行の諸思想と同じ用語、同じ概念が使われていても、その言葉に賭ける主体の燃焼の度合いはそれぞれ違うのである・・・」。

筆者は、寺尾五郎氏のこの言葉を読みながら、このことは、最近の渋染一揆研究についてもあてはまるのではないかと思いました。「言論の自由」が、渋染一揆研究の質の向上に機能せず、「こまごまとした実証の穴堀り」に終始し、「肝心」の部落差別完全解消のための「思想研究」から後退し、渋染一揆研究が、「水でうすめた酒のような味気ないものになってしまっている・・・」。

『部落学序説』の無学歴・無資格である筆者は、いとも簡単に、戦後の「安藤昌益研究」と戦後の「渋染一揆研究」をオーバーラップします。そして、両者を比較・検証して、戦後の「安藤昌益研究」を批判する寺尾五郎氏の視点・視角・視座を自分のものにして、戦後の「渋染一揆研究」を批判検証することに、なんのためらいもありません。

寺尾五郎氏は、「これはなにも昌益研究のみならず、すべての分野がそうなのだ・・・」、といいます。

部落史研究の専門研究の中の更に専門研究である「渋染一揆研究」・・・、それだけが、寺尾五郎氏のいう「すべての分野」の例外事項であるという可能性はほとんどないと思われます。「渋染一揆研究」も、「肝心」なこと、部落差別完全解消という理念をうしなって、現在の被差別部落の人々の前身である、近世幕藩体制下の司法・警察という職務に従事した「非常民」としての「穢多・非人」を、「差別された人々」・「賤民」と断定することによって、現在の被差別部落の人々をも差別の奈落におとしこめようとします。

寺尾五郎氏は、笑うに笑えぬ話を記しています。

「これはなにも昌益研究のみならず、すべての分野がそうなのだといってしまえばそれまでのことだが、たとえば、戦後の日本においては数多くのマルクス学者が排出し、精密きわまる文献学的研究は異常なほどに進んだが、そのかわりただの一人のマルクス主義者もいなくなってしまったようなことと、軌を同じくする傾向なのかもしれない」。

現在の渋染一揆研究が、「渋染一揆」を、<賤民の、賎民による、賎民のための>「一揆」として結論づけて、そこから一歩もでようとしないなら、現在の渋染一揆研究にどれほどの意味があるでしょうか・・・? 岡山の「旧穢多」の末裔が、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の差別的研究に反旗をひるがえすことができないのは、何を意味しているのでしょうか・・・? 渋染一揆について、「数多くの・・・学者」・研究者・教育者を「排出し、精密きわまる文献学的研究は異常なほどに進んだが、そのかわりただの一人」として、日本の歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」を否定し、被差別部落の人々を、とくに、その小・中学生のこどもたちを「賎民史観」から解放せしめる学者・研究者・教育者が「いなくなってしまった・・・」のは何を意味しているのでしょうか・・・?

政治家の「精神的貧困」、企業界の「精神的貧困」、学者・研究者・教育者の「精神的貧困」・・・、それが、いまの日本だけでなく、あすの日本をも駄目にします。被差別部落のこどもたちを、日本の歴史学と<教育>に内在する差別思想である「賎民史観」から解放し、差別なき社会を実現するために身を挺する学者・研究者・教育者は一人も出てこないのでしょうか・・・。

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