2021/09/30

「渋染」・「柿染」・「茶染」の違い

「渋染」・「柿染」・「茶染」の違い・・・


喜田川守貞著『近世風俗志』(岩波文庫)・・・、読めば読むほど、喜田川守貞の博学ぶりに驚嘆させられます。

近世幕藩体制下の池田藩で御用学者をしていた熊沢蕃山、あるとき、「博学とは、いかほどの書を見ることに侍るや。」と、問われて、「数多の書にわたりても、見せばき者あり。博学ならずして広き者あり。」と答えたとか・・・。

喜田川守貞氏、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からみますと、<博学にして見広き>民俗学者のように見えます。著者に、尊敬の念を抱いて、『近世風俗史』をひもときますと、『近世風俗史』・・・、筆者に多くのことを語りかけてきます。

権力者の視点から学問をする「見せばき者」としてではなく、民衆の視点から学問をする「見ひろき者」として・・・。

昔、読んだことのある本の中に、読書の冊数と情報量の関係についての文章がありました。その著者の顔は覚えているのですが、著者名も著書名も忘れてしまいました。そう書いているうちに、その人の名前を思い出しました。その人の名は、鈴木健二氏(旧制東北大学文学部美学美術史学科卒)・・・。鈴木健二氏の話では、一般的に、ひとつの主題に関する本を20冊読めば、その主題に関する95%の情報を入手したことになるとか・・・。ただ、残りの5%の情報を入手するには、膨大な時間と費用と努力が必要であるとか・・・。

5%の世界は、その道の学者・研究者・教育者にまかせて、無学歴・無資格のただのひとは、95%の世界で、ほとんど研究されていない分野について調べれば、その道に習熟できる・・・、という内容であったと記憶していますが、今、筆者が執筆している「百姓の目から見た渋染・藍染」についても同じことがいえます。

「渋染・藍染」に関する95%の情報を分析、批判・検証することで、「渋染・藍染」に関する諸問題を解明することは決して不可能なことではありません。5%の史資料を追い求めて、新しい史料を発掘し、「渋染一揆」の本質をあきらかにしょうとする、「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の課題と、『部落学序説』の筆者の課題とは質的にも量的にも異質なものです。

『部落学序説』の筆者は、「部落学」という、「常民の学」としての「民俗学」の対極にある学問として、「非常民の学」としての「部落学」を提唱し、無学歴・無資格にもかかわらず、研究主題・研究方法、そして、使用する史資料等を明らかにして、独自の視点・資格・視座から、部落問題・部落差別問題・部落史問題の見直しをしているわけですから、5%の専門領域での話は、筆者の能力外の話です。

5%の専門領域の話は、「渋染一揆」の学者・研究者・教育者にまかせるとして、『部落学序説』の筆者は、95%の、その気になれば、誰でもひもとくことができる資料の世界を散策することにしましょう。

最近、喜田川守貞著『近世風俗志』を引用することが多いのですが、『近世風俗志』を引用しはじめてから、「風俗産業」からのアダルト・メールが、毎日、数十通舞い込むようになりました。インターネットで検索しますと、『近世風俗志』と「風俗産業」の「風俗」の見極めがつかないことが原因なのでしょうか・・・?

筆者の目からみますと、その世界も「5%の専門領域」の話で、筆者のよくするところではありません。

話を元に戻しますが、喜田川守貞氏によりますと、「渋染」は、「柿渋染」の略語です。

しかし、「柿渋染」の略語は、「渋染」だけではありません。「柿渋染」のうしろ2字をとった「渋染」だけでなく、最初と最後の2字をとった「柿染」も、「柿渋染」の略語として存在していた可能性があります。

筆者が、「・・・していた可能性があります。」という、控えめな表現を使用しますと、「5%の専門領域」に身をおいて研究されている、「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々は、「単なる推測」あるいは「妄想」に過ぎないと酷評されます。

しかし、世の中、特に歴史の世界では、物事に白黒の決着がついている問題は、きわめて少ないのではないでしょうか・・・? 歴史上のひとつの事件、ひとつの思想をとっても、様々な解釈と評価がなされるのが常です。何を選択し何を捨象するかは、それを研究するひとの関心と能力に大きく影響されるのが常です。

「5%の専門領域」での研究しか、研究として認められないというのは、学者・研究者・教育者のおごりたかぶりでしょう。

近世幕藩体制下の池田藩の簿用学者・熊沢蕃山は、そのような学者は、日頃から学び研鑽を続ける「無学の平人」にはるかに及ばない・・・、といいます。

もう一度、話を元に戻しますが、喜田川守貞氏によりますと、「渋染」は、「柿渋染」の略語です。しかし、『近世風俗志』には、「柿渋染」の略語として、「渋染」以外の用語が存在しているようです。それが、「柿染」・・・。

『広辞苑』では、「柿染」は、「柿色に染めること」を意味しますが、近世幕藩体制下において執筆された『近世風俗志』は、「柿染」は、「柿色に染めること」ではなく、「柿渋染」のことを指して用いられているようです。

しかも、『広辞苑』は、「柿染」を、「柿色に染めること」と定義していますが、『近世風俗志』において、「柿染」は、決して、「柿色に染めること」ではありません。

喜田川守貞氏は、「柿色」を表現するときには、別な表現、「柿色茶染無地・・・」というような表現を使用します。喜田川守貞は、「柿色」を表現するときは、率直に「柿色」と表現しています。

喜田川守貞氏は、「柿色」を定義して、「茶に近く赤がちなる茶なり」といいます。喜田川守貞氏にとって、「柿色」というのは、<赤みがかった茶色>のことなのです。

現代人が、「柿色」という色名を聞いて、すぐ、頭の中に思い浮かべることになる、柿の木になった柿の実の色ではなさそうです。

筆者は、喜田川守貞が「柿染」という用語を使用する場面から、「柿染」は、『広辞苑』の「柿色に染めること」を意味する言葉ではなく、「柿渋染」の略語としての「柿染」であると推察します。

<「渋染」・「柿染」は、「柿渋染」の略称である>

今後、「百姓の目から見た渋染・藍染」の主題のもとに文章を書き連ねていくとき、この<「渋染」・「柿染」は、「柿渋染」の略称である>という作業用の命題は、断り抜きで使用することになります。

喜田川守貞著『近世風俗志』に出てくる「柿染」は、『広辞苑』の定義に反して、「渋染」・「柿渋染」の同義語として使用し、「柿染」に関する記事は、「渋染」に関する記事として、断り抜きで使用することになります。

この命題が、正しいかどうかは、筆者が、「百姓の目から見た渋染・藍染」について文章を書き連ねていく過程で、論理的矛盾をきたすかどうかによって、『部落学序説』の継続的読者の方々には、容易に判断することができます。筆者は、それを先取りして、探究と執筆を断念することはありません。

喜田川守貞の『近世風俗志』をひもといて、「柿渋染」を追究していくとき、もうひとつ、把握しておかないといけない染色用語が「茶染」という言葉です。

筆者は、喜田川守貞のことばから判断するに、「渋染」・「柿染」は、「柿渋染」の略語であり、「柿渋染」の同義語として認識しますが、「茶染」については、「渋染」・「柿染」とは、別なカテゴリーの言葉・用語・概念であると思われます。

「茶染」は、「渋染」・「柿染」が染色の方法を示すのに対して、「茶染」は、日本の伝統的な花木草染めの7つの色系列のひとつ、「茶」系を示す言葉であると判断します。染色方法の如何にかかわらず、染色の結果、色が「茶」系統に染まっているときき「茶染」という言葉が使用されているように思われます。

なぜ、「・・・されているように思われます。」という表現を使用するのかといいますと、喜田川守貞が説く「茶染」は、実に豊富な内容を持ち、その内容を網羅して把握することは容易ならざるからです。断定する根拠が少ないときは、その旨、表現に盛るのが普通であると、無学歴・無資格の筆者は、断定表現を避けようとするのです。

喜田川守貞は、近世幕藩体制下の岡山藩で「渋染一揆」が起きた時代、「今世、流布の染色には、御納戸茶・鼠色・茶染等なり。」といいます。しかも、それぞれのカラーは固定されたものではなく、いくつものサブカラーがあるというのです。

「茶」の場合は、「黄赤あり、赤黒あり、黄黒あり。煎茶色を云ふなり。」といいます。

「弘化中女帯に江戸にて用ひし」「栗皮茶」、「御殿女中の服に染むる」「ひわ茶」をはじめとして、「茶色」には、「緑茶・媚茶・芝翫茶・瑠寛茶・市紅茶・路考茶・梅幸茶・うぐいす茶・焦茶・すす竹茶・かわらけ茶・白茶・藍海松茶・・・」など、実に多種多様な色が含まれるのです。

喜田川守貞がその著書の中で紹介している「茶」系統の色には、実にいろいろなサブカラーが含まれています。

5%の専門史資料を渉猟する、「渋染一揆」の学者・研究者・教育者は、それらの色が具体的にどんな色を表現しているのか、熟知しているのでしょうが、無学歴・無資格の筆者は、たとえ、その説明を聞いたところで、その違いを認識することはできそうにありません。

ともかく、「渋染」・「柿染」が、「柿渋染」という染色法をさす言葉であるのと違って、「茶染」というのは、染色方法ではなく、日本古来の7種類の伝統的なカラー系列の中の「茶色」系の色の総称として用いられているのです。

このことから、次の命題を作ることができます。

<「渋染・柿染」と「茶染」を混同してはならない>

つまり、『近世風俗志』に出てくる「茶染」に関する記事を、無条件に「渋染」・「柿染」に関する記事と混同、流用してはならない・・・。

この時点で、「渋染・・・の色は人をはずかしめる色」という、日本の歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」が作り出した、一般説・通説・俗説の「命題」は、『部落学序説』の筆者にとって、批判・検証の対象になってきます。

なぜなら、「渋染・・・の色は人をはずかしめる色」という命題は、染色法としての「渋染」・「柿染」と、染色の結果としての「染め色」の「茶染」を混同した謬説であると判断されるからです。

重箱の底をつつくような、近世幕藩体制下における色の詮索・・・。

しかし、重箱の底をつつくような、この色の詮索、喜田川守貞著『近世風俗志』の「渋染」・「柿染」・「茶染」に関する記事は、江戸における大きな事件に直結していくのです。


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