2021/09/30

「差別者」と「被差別者」の疎通を妨げる禁忌

「差別者」と「被差別者」の疎通を妨げる禁忌

今回は、文献を一切引用しないで、筆者自身のことばで綴っていくことにしましよう。

『部落学序説』において、筆者は、「差別」と「被差別」の関係を4つのパターンに分類して考察してきました。

「差別(真)」・「被差別(偽)」と「被差別(真)」・「差別(偽)」の4パターンです。被差別部落出身でもないし、被差別部落出身者としてことばを発したり行動したりしていない筆者は「差別(真)」の立場で、この『部落学序説』とその関連ブログ群の文章を執筆してきました。

より具体的には、近世幕藩体制下の被支配の側に身を置いていた「百姓」の末裔、「常民」の末裔として、その対極にある支配の側に身を置いていた「穢多」の末裔、「非常民」の末裔に対する理解と認識を文章にしてきました。

昨年の5月14日に『部落学序説』の書き下ろしを開始して数ヶ月後、部落解放同盟山口県連新南陽支部の方から、抗議の文書をいただきました。手書きの文章です。

その抗議内容というのは、いままで、何回となく触れてきましたので、さらにことばを重ねる必要はないのですが、それは、筆者が、『部落学序説』を執筆するときの、被差別部落の地名・人名を取り扱うときの姿勢に関する批判でした。被差別部落の地名・人名を極度に「タブー視」することによって、『部落学序説』の文章は差別文章に陥っている・・・といわれるのです。

彼の批判は、筆者にとっては、予想外の批判でした。

従来の部落解放同盟の運動は、被差別部落の地名・人名を「タブー視」して、「差別者」に「被差別者」の地名・人名について一切言及させないもの・・・として理解してきましたので、『部落学序説』執筆に際しては、今日に至るまで、一切の地名・人名の実名記載はしていません。

ただ、例外として、出版された本の執筆者として使用されている「人名」については、そのまま引用しています。川元祥一・辻本正教・灘本昌久・東岡山治等です。彼らが、実名記載していると思われる「人名」まで「タブー視」することは、部落解放同盟山口県連新南陽支部の方がいわれる「極度のタブー視」にあたるでしょう。

しかし、『部落学序説』の筆者である私は、被差別部落の「地名」・「人名」そのものを「タブー視」することはありません。

被差別部落の「地名」・「人名」は、一部の例外(「差別名字と差別戒名」で言及)をのぞいて、「地名」・「人名」そのものを忌避しなければならない特性はないと考えています。

もし、被差別部落の「地名」・「人名」そのものが忌避されなければならない内容をもっているのだとしたら、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者は、被差別部落の「地名」・「人名」を避け、研究上の忌避扱いを徹底するようになってしまうでしょう。被差別部落の「地名」・「人名」だけでなく、部落研究・部落問題研究・部落史研究そのものから撤退を余儀なくされてしまうことでしょう。

部落研究・部落問題研究・部落史研究そのものから撤退は、もっと卑近な理由で、2002年の同和対策事業・同和教育事業の国家による終了宣言も影響して、学者・研究者・教育者の部落研究・部落問題研究・部落史研究からの撤退は現実のものとなっているのではないかと思います。

インターネット上で公開されている、部落差別問題に関する学士論文・修士論文・博士論文の概要を読めば、その傾向が著しく進展していること、全体として、部落研究・部落問題研究・部落史研究から後退している現実を確認せざるを得ません。指導教授がまともに指導しているとも思われないような学士論文や修士論文も少なくありません。

『部落学序説』の筆者の目からみると、部落研究・部落問題研究・部落史研究が大幅に後退していっている要因として、これまでの部落解放運動における「地名」・「人名」の極端な「タブー視」があげられるのではないかと思います。

部落解放運動が、被差別部落の「地名」・「人名」を禁忌扱いする一方、どの「地名」・「人名」を公表するかしないか・・・を部落解放運動の諸団体が恣意的に判断し、被差別部落の「地名」・「人名」の公開・非公開の「検閲」、フィルターの役割をになってきたことが、今日の部落研究・部落問題研究・部落史研究の進展の障碍となり、ひいては、部落差別完全解消の闘いを失速させているのではないかと思われます。

全国津々浦々に存在する被差別部落の完全解消につながる貴重な資料群は、こんにちの「時間」と「空間」に限定された、部落解放運動の担い手によって「私物化」され、「私的検閲」にさらされることによって、その史料的価値を剥奪・改竄・隠蔽にさらされ、部落研究・部落問題研究・部落史研究の資料足りえなくされているのです。

この問題を考えるとき、筆者は、よく漁業権の問題を思い出します。

漁業で生計を立てているひとびとにとっては、海は生活をささえる大切な場です。その海は、島国日本の貴重な資源として、先祖代々から受け継いできたものです。そして、それは子々孫々に渡って受け継がせていなかければならないものです。海は、漁師だけのものではなく、その周辺に生きているすべてのひとびとのいのちを養い育ててきたものです。

しかし、戦後、全国総合開発計画の名のもとに、産業の工業化・近代化が促進され、海は、工場から排出される有害物質で汚染され、魚に奇形を生じ、それを食べたひとびとに公害病を発生させました。海が公害で死に瀕したとき、多くの漁民は、漁師としていきることに絶望し、その絶望を見透かすかのように、国家と企業は、その漁師と組織・運動団体である漁業組合を相手に、彼らがまるで、彼らが漁をしてきた海のすべての権利を持っているかのように見立てて、彼らと交渉し、漁業保障とした施策を実施してきました。

そのとき筆者思ったのです。「海は漁師だけのものではない。みんなのものだ。漁師は、国家や企業と密約しないで、それらを破棄して、先祖伝来の海をとりもどすべきだ。そして、先祖から受け継いできた海を次の世代にも残すべきだ。」、と。

筆者は、おなじことを、部落研究・部落問題研究・部落史研究の場面においても考えるのです。

こんにちの部落解放運動の諸団体は、被差別部落の歴史にまつわる史料・資料に対して、「私的検閲」を行使し、その史料・資料を「私物化」し、「焼いてくおうが煮てくおうが俺たちの勝手・・・」みたいなふるまいをしているけれども、それは大きな間違いではないか・・・。取り除かなければならないのは、部落差別そのものであって、その史料・資料ではないはず・・・と考えたのです。

被差別部落の側は、学者・研究者・教育者からの申し出に対して、「私的検閲」を執行して、被差別部落の「地名」・「人名」の公開・非公開を決めているけれども、「私的検閲」をするならするで、その検閲の基準を明らかにして、公開・非公開の正当な理由を提示すべきである・・・と考えたのです。

部落差別完全解消につながる可能性のある史料・資料を、現代という歴史の一時期を生きているにすぎない現代の被差別部落のひとびと・部落解放運動の担い手が、その史料・資料の価値を恣意的に判断するのは間違いである・・・と考えたのです。

部落解放同盟山口県連の中で、山口県とその市町村、学者・研究者・教育者からの申し出に対して、山口県の被差別部落を代表して「私的検閲」をになってきた新南陽支部の方は、『部落学序説』の筆者のそのような発想に激怒し、被差別部落の地名・人名を過度にタブー視することは、かえって部落差別を助長することになると批判を展開されてきたのです。

「わたしは思う。どんなに強固な運動があろうとなかろうと、松本冶一郎だろうと誰だろうと、本人の意志によって姿を示すのである。それによって「類族」は影響を受けよう。それがどうした。先祖、子孫にどう責任を持つかは誰とて個人の意志であり、それ以上でも以下でもない。それは運動の中身の良し悪しをめぐる話ではない」。

部落解放同盟山口県連新南陽支部の、『部落学序説』の筆者に向けて語りかけられた怒りに満ちたことばです。

『部落学序説』の筆者と、部落解放同盟山口県連新南陽支部の方との関係は、「差別(真)」と「被差別(偽)」の関係です。

『部落学序説』の筆者である私は、最初に記したとおり「差別(真)」です。しかし、部落解放同盟山口県連新南陽支部の方は「被差別(真)」ではなく「被差別(偽)」です。つまり、彼は、「本人の意志によって姿を示すのである。それによって「類族」は影響を受けよう。それがどうした。」といいますが、彼は、被差別部落出身者ではないにもかかわらず、部落解放運動に参加しているということで、自らを「被差別部落民」と擬制して、「被差別部落民」として、「差別(真)」の『部落学序説』の筆者に、公開で論争を挑んでいるのです。

彼は、彼の土俵であるブログ『ジゲ戦記』の中でこのようにいいます。

「一方は己れの無力、おろかさに沈み、 他方は己れのプライド、自尊感情につき動かされ悲劇の主人公を演じる。しかれど、世界も幾多のコミュニケーション不全から、悲惨な歴史をくりかえす。多弁であろうとなかろうと、コミュニケーション不全は歴然としている。目の前にいて話そうとしないのだから……。話すほどの他者でもないのなら、無視して先に行けばよろしかろう。ごたくを本人にぶつけず、全世界に開ちんすればそれですむのか」。

「歴然」としている「コミュニケーション不全」は、決して、「差別(真)」と「被差別(真)」の間の「コミュニケーション不全」ではありません。「差別者」であることを自覚しつ、「差別者」として、『部落学序説』を執筆し続けている筆者と、「差別者」でありながら、「差別者」であることを棄て、「被差別者」として生き発言を続けている彼との間の「コミュニケーション不全」です。彼との対話は、筆者が山口に赴任してからの20数年、ほとんど全期間に渡って繰り返されてきました。『部落学序説』の筆者である私は、彼が、「部落解放同盟」という葵の印籠を片手に語りかけてくるがゆえに、「差別(真)」・「被差別(真)」を仮想して応答しているのです。

彼は、「差別者」であることを棄て、「被差別者」に同化していっているようです。

「被差別者」になりきるのは彼の自由ですが、「精神的似非同和行為者」にだけはなってほしくない・・・と願っています。「精神的似非同和行為」に埋没すればするほど、「差別者」であることを認め、その上で、部落差別完全解消の提言をしている『部落学序説』の筆者である私との間の「コミュニケーション不全」はより決定的なものになってきます。「差別者」はどんなにがんばっても「被差別者」にはなれません。「被差別者」になりきれる・・・という幻想を棄てて、「差別者」に回帰し、その上で「被差別者」と共に生きる道を再度たどられては・・・。きっと、山口県の部落解放運動の歴史に確実にその足跡を残すことができるでしょう。

ブログ『被差別部落の地名とタブー』・・・、そろそろ筆をおいて、『部落学序説』の執筆に戻り、第5章水平社宣言批判にむけて、第4章の最後のテーマ、「旧穢多はどのようにして、賤民意識をみずから受容していったのか」について言及していきたいと思います。1ヶ月と1週間の「道草」を終えて、あらためて、『部落学序説』という「ごたく」を並べることにしましょう。

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