2021/09/30

「百姓」と「衣類」

「百姓」と「衣類」・・・

『部落学序説』の筆者が、「百姓」と「衣類」について考察するとき、最初に参照することになる論文は、渡辺尚志著『江戸時代の村人たち』(山川出版社)です。

その著者・渡辺尚志氏は、東京大学大学院人文科学研究科を卒業されたあと、一橋大学社会学部の助教授をされている方です。

渡辺尚志氏は、「江戸時代の研究は、第二次世界大戦後、皇国史観の束縛から解放され、自由な学問的雰囲気のなかで多方面の発展を示したが、とりわけ村落史研究の進展にはめざましいものがあった。その当時は、「村がわかれば江戸時代がわかる」といった雰囲気があったのであろう。しかし、最近の状況は変わってきている・・・」といいます。

「現在、近世史研究の中で村落史研究は、一見、華やかさに欠け、少なくとも、テレビ番組や一般向け歴史書において、取り上げられる機会の少ない分野になっている・・・」といいます。

しかし、渡辺尚志氏は、さらに、「注意深く目を凝らしてみると、昨今、地道だが興味深い研究が徐々に積み重ねられ、新しい村落象が示されつつあることがわかってくる・・・」と言われます。渡辺尚志氏は、「そうした新しい研究動向をふまえて、村と村人の具体像を描こう」として、この論文『江戸時代の村人たち』を執筆されたといいます。

近世幕藩体制下の「村と村人の具体像」は、「信濃国諏訪郡」、三万二〇〇〇石の村々とその村人たちの姿です。

渡辺尚志氏は、「全国から事例を集めて、そこから平均的な部落像を求めるというのも一つの方法であろう。しかし、この本では、一地域に視点を定めて、これを多角的に堀さ下げることで、江戸時代の村の具体的な姿を求めようとした。」と言われます。しかし、「できるだけ全国各地の村々が抱える問題を意識的に取り上げることで、地域の固有性を大事にしつつも全国的な目配りを忘れないように心がけた。」と言われます。

筆者が、近世幕藩体制下の岡山藩の「渋染一揆」の史資料に出てくる「渋染・藍染」を批判検証する前提として、「百姓」と「衣類」について考察するために、最も参照に値する文献として、渡辺尚志著『江戸時代の村人たち』を取り上げるのは、上記の理由、特に、「できるだけ全国各地の村々が抱える問題を意識的に取り上げることで、地域の固有性を大事にしつつも全国的な目配りを忘れないように心がけた。」という研究姿勢にあります。

渡辺尚志氏は、「村の中央を甲州道中が通っており、その両側に家並みが形成されていた」瀬沢村の坂本家の「金銀出入帳」・「大福帳」の記載事項の中から、衣・食・住の衣に関する記事をひろいああげ、「坂本家の日々の暮らし」・「衣服」の見出しで、3ページに渡って要約しておられます。

それを、前々回の「衣類に関する民俗学的調査項目・・・」でとりあげたひな型にそって、その調査項目と渡辺尚志氏の分析結果を照合してみることにしましょう。

①衣類の素材
  木綿・麻・絹・紬
②素材の種類
  絹・紬・・・縮緬・太織・斜子・八丈・大島・郡内・板〆・もみ
  木綿・・・桟留・小倉・金巾・紋羽・真岡
  麻・・・高宮・さらしな
③製糸工程
  自家で、または人に頼んで製糸する(坂本家では、家内で木綿の糸とりを行っていた)
  木綿糸・絹糸を購入する
  苧は自家栽培
④機織り
  自家で、または人に頼んで機織りから行う
⑤染色
  色・・・紺・黒・青・茶・鼠・桃色・茜・浅黄・藤色・もみ・千草・花色・うす色・紫・空色
  模様染め・・・縞(かすり縞・格子縞・糸入縞)・さらさ染・型付・絞り
  糸の染色は紺屋に染め賃を払って染めてもらう
  染色法
⑥裁縫
  反物を買って家で裁縫(反物は、すでに染めてある場合と、白布を買ってそれを紺屋に頼んで染めてもらう場合がある)
  端切れを買って衣類の修繕に使用
⑦衣服の種類
 1.仕事着・ふだん着(男女別・季節別・年齢別・袖の有無・袖の形)・晴れ着(男女別・季節別・年齢別・機会別・袖の有無・袖の形)
 2.かぶり物・上半身・下半身・はきもの
 紋付・羽織・単衣・袷・綿入れ・こいの(腰までの丈の野良着)・股引など。
⑧衣服の付属品
 1.傘・日傘・笠・かぼちゃ笠・三度笠・はそり・竹笠・竹の子笠・子供笠など
 2.履物・・・草履・雪駄・草鞋・下駄・中抜・かうす・足駄など、足袋・さし足袋・下駄の緒
 3.雨具・・・合羽・加賀蓑
 4.寝具・・・箱枕・大ふとん表裏代・布団綿・夜具綿など
 5.下着
 6.そのほか・・・真綿・中綿・元結・切元結・平元結・手ぬぐい・針・扇子・紙入れ・はばき・かつら・うちわ・綿帽子など
⑨衣服管理
 1.衣更
 2.保有する衣服の種類と枚数
⑩髪型・化粧
  装身具(櫛・さし櫛・朝鮮櫛・かんざし・銀かんざし・笄・鬢さしなど)
  化粧道具類・・・紅・白粉・鏡・鏡立て・剃刀
  髪型と衣服
⑪流通
  既製服を買う(新品を買う場合と古着を買う場合がある)
⑫流行
⑬衣類の統制・法令

緑色の文字は、渡辺尚志氏が、史料を析して抽出したものです。赤色の文字は、井之口章次著『民俗学の方法』の「調査要項」の衣服に関する部分を、筆者が再編成したもので、渡辺尚志著『江戸時代の村人たち』に対応する記事がない項目をさしています。

これは、文献史学の先天的な限界のようなもので、坂本家の「金銀出入帳」・「大福帳」に関連項目についての記載がない以上、歴史学者の渡辺尚志氏は、推測でもって、欠落している項目の穴埋めをすることはできないのは、当然といえば当然です。

それでも、欠落している項目の内容を知ろうと思えば、他の歴史研究者の論文を探索する必要があるのですが、他の歴史研究者にしても、やはり、同じ文献史学の限界に直面しているであろうことは想像に難くありません。

『庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし』(ミネルヴァ書房)の著者・成松佐恵子氏は、「江戸時代の農村における衣服をめぐる情報は、極端に少ない。我が国の服飾史に関する研究書を見ても、この時代については、大体が武家や町人の衣服が中心である。」といいます。

成松佐恵子氏は、「美濃郡安八郡西条村」の「百姓」・「庄屋」の「西松家」の古文書から、上記の赤色の文字の項目に関する貴重な見解を筆者に提示してくれます。衣服の種類・下着・衣更・保有する衣服の種類と枚数・流行・衣類の統制・法令に関して・・・。

それでも、その欠落した項目の知見を広めようとしますと、『部落学序説』の筆者としては、「文献民俗学」のような研究の必要性を感じてしまいます。

近世幕藩体制下の社会に身をおいて、「百姓」(町人を含む)階級、「武士」階級の「衣服」・「衣類」について、民俗学的な研究をした人はいないのか・・・、と。民俗学が、近代において初めて成立した学問であることは知ってはいても、近世は、近代以降に勝るとも劣らない学問が盛んだったのですから、近世幕藩体制下において、民俗学的な研究を先取りした人はいないのか・・・、と。

筆者が所有している史資料の中で、「文献民俗学」的な情報を提供してくれそうなのは、「余がごとき文盲には・・・」と、「識者」を自称する武士階級に対して反骨の精神をしめしながら、近世幕藩体制下の「衣類」について伝承を収集、それを論じた、「喜田川季壮尾張部守貞」ぐらいでしょうか・・・(喜田川守貞著『近世風俗志』(岩波文庫))。

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