2021/09/30

「倹約令」の「倹約」とは何か

「倹約令」の「倹約」とは何か

「岡山藩」の「渋染一揆」の原因となったとされる、安政2年(1856)の「倹約御触書」の「倹約」とはどういう意味で、その目的は何だったのでしょうか・・・?

まず、「倹約」ということばの現代的意味を検証してみましょう。

筆者、例によって例のごとく、『広辞苑』(第3版)をひもとくことになるのですが、『広辞苑』には、「倹約」とは、「費用を切り詰めて浪費しないこと、節約」と説明されています。

近世幕藩体制下の「岡山藩」の「渋染一揆」の原因となった「倹約御触書」について批判検証するときに、「倹約」ということば、『広辞苑』の定義を無条件に適用することでいいのでしょうか・・・。近世も近代・現代も、「倹約」ということばに、時代的変化はなかった、歴史学上、「倹約」という概念で、近世の「倹約」についても、近代・現代の「倹約」についても言及することができる・・・、というなら、そういうこともあるかもしれません。

しかし、時代と共に、「倹約」概念も変化します。

「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々から、またまた怒りを買うのを覚悟して言及すれば、「岡山藩」における「倹約」概念・・・、それは、決して時代横断的な概念ではなかったようです。

「岡山藩」の名君と言われる藩主・池田光政、その背後にあって、池田光政に藩政のあるべき姿を指導した、「岡山藩」の御用学者・熊沢蕃山の『集義話書』の第二巻・書簡之二に、熊沢蕃山のもとに送られてきた書簡のひとつがとりあげられています。

その書簡の要旨は、「倹約はよき事なれば、人々用たく存じ候へども、なりがたく、奢はあしき事と思ひながらも、やむることあたはずして、日々におごり候事は、いかが」・・・。

熊沢蕃山にこの手紙をおくりつけたぬし、「倹約」概念と「奢」概念を反対概念として認識しているようです。人間的にみれば、「倹約」をこころがけようと思いつつ、なかなか「倹約」に徹することができず、「奢」におちいるのが常・・・、という主張のように見受けられます。

もし、「藩民」が、「倹約令」の「倹約」を、そのようなものとして受け止めていたとしたら、「倹約令」の徹底はむずかしいものがあったと思われます。50年後の社会においても、「今民のこのむ所は、衣裳に美をつくし・・・賑やかにくらすことをよろこぶ。尤これらを法にかなふと言にはあらず。然れども、如斯なり来たりし世上なれば、急々にあらたむることあたはず。」(石田梅岩『斉家論』)という考え方が横行していたことを考えますと、「倹約令」「倹約」が、「藩民」(熊沢蕃山のいう「士一等」「庶人一等」)の間にどれだけ、その趣旨が徹底されていたのか・・・、こころもとないものがあります。

筆者、「士一等」については熊沢蕃山、「庶人一等」については石田梅岩の書を引用しながら、近世幕藩体制下の「倹約」の原意を批判検証してまいりたいと思います。

熊沢蕃山、そのような書簡を前に答えて、このようなことばで語りはじめます。

「倹約と吝嗇と器用と奢とのわきまへなき故にて候」。

「倹約」をこころがけようと思いつつ、なかなか「倹約」に徹することができず、「奢」におちいるのが常・・・、と主張する書簡のぬしを批判して、「倹約と吝嗇と器用と奢とのわきまへなき故にて候。」・・・、つまり、「倹約」・「吝嗇」・「器用」・「奢」の4概念を区別することができないが故の混乱・思い違い・錯誤に由来する発想であるというのです。

筆者、近世幕藩体制下の「岡山藩」の「倹約令」の「倹約」概念を認識するのに、「岡山藩」の御用学者・熊沢蕃山の「倹約」・「吝嗇」・「器用」・「奢」の4概念の区別を、重要なことがらと判断しますので、熊沢蕃山の文章に従って、説明させていただくことにしましょう。

熊沢蕃山によりますと、「倹約は、「我身に無欲にして、人にほどこす」ことを意味します。

つまり、「倹約」とは、自分に対する愛ではなく、他者に対する愛を精神的背景としてなされるものである・・・、というのです(熊沢蕃山は「愛」ということばを多用します・・・)。もちろん、近世幕藩体制下の身分制度においては、帰属する身分によって、他者に対する愛の実践は、異なってきます。常民である「庶人一等」と非常民である「士一等」とでは、「倹約」の内容も大きく異なってきます。

熊沢蕃山、また、「吝嗇」とは、「我身によくふかくして、人にはほどこさず。」といいます。

熊沢蕃山によりますと、「欲」があるかないか、「施」があるかないか・・・、によって、「倹約」「吝嗇」とは大きく異なるというのです。

筆者、論理的に、熊沢蕃山のことばを考えますと、「欲」「施」の二つの概念をめぐって、4通りの組み合わせが出てきます。

(1)我身に「欲」あって、人に「施」す。
(2)我身に「欲」あって、人に「施」さず。
(3)我身に「欲」なくして、人に「施」す。
(4)我身に「欲」なくして、人に「施」さず。

熊沢蕃山が、「倹約」というのは、(3)の発想であり、また、「吝嗇」というのは、(2)の発想です。熊沢蕃山、(1)と(4)については、どのように考えていたのでしょうか・・・。

この「欲」「施」をめぐる4パターン・・・。その主体が「施」すことができる者としての4パターンですが、もし、「施」す側から「施」される側へ転落したらどうなるのでしょうか・・・?

(5)我身に「欲」あって、人に「施」を受くる。
(6)我身に「欲」あって、人に「施」を受けず。
(7)我身に「欲」なくして、人に「施」を受くる。
(8)我身に「欲」なくして、人に「施」を受けず。

熊沢蕃山が、「倹約」をめぐってとりあげる4つの概念、「倹約」・「吝嗇」・「器用」・「奢」の3番目の「器用」は、「物をもとめず、たくはへず、あれば人にほどこし、なければなき分に候。」を意味します。「器用」とは、(3)我身に「欲」なくして、人に「施」す・・・、「倹約」の側面をもちつつ、「施」を受くる立場に転落したときは、(7)の我身に「欲」なくして、人に「施」を受ける・・・、「倹約」の趣旨に反する状態に陥ります。あるいは、やせ我慢して、(8)の我身に「欲」なくして、人に「施」を受けず・・・、に甘んじます。

江戸の庶民生活・・・、「宵越の金を持たない」と粋がる人が多かったようですが、その理由として、このようなことがいわれます。現代人の出費の中でもっとも大きなものは、<マイホーム>、<教育費>、<老後の資金>だそうですが、「江戸っ子は・・・そのいずれとも縁がな」かったそうです。「庶民」は、格安で「長屋住まい」を続けることができたし、「定年」制度はなく、「寺子屋」での「手習い」の謝礼もごくわずかであった・・・そうで、「日銭を稼ぐその日暮らしで」も、「将来の生活に不安を抱かずに暮らせた」そうです(2007年9月教育テレビ「知る楽しむ」で放送)。

地方の藩の御用学者・熊沢蕃山、中央の非常民(「士一等」)・常民(「庶人一等」)の生き方に対して、かなり懐疑的・批判的であったようです。

最後の、「奢」については、「たくはへず、器用なるやうに見え候へども、其用所はみな我身の欲のため、栄耀のためにて候。」と説明します。「奢」は、常民(「庶人一等」)に対するよりも、非常民(「士一等」)に対するもののようです。この「奢」は、「栄耀」・・・、つまり立身出世を意図した上役に対する貢や賄賂に起因するものなのでしょう。

熊沢蕃山、このように続けます。「奢て用たらざれば、尤も人にもほどこさず。しかのみならず、家人を苦しめ、百姓をしぼり取、人の物を借てかへさず、商人の物を取て値をやらず。畢竟、穿ゆ(こそどろ)に同じき理をしらで、「奢」は「器用」なる様におもひ、倹約といえば吝嗇と心得候。又吝嗇なる者の、倹約の名をかるもあるゆへにて候」。

つまり、「岡山藩」の御用学者・熊沢蕃山は、「倹約」の本質を論ずるに、「倹約」に類似して、「倹約」の本旨からほど遠い考え方、「吝嗇」・「器用」・「奢」を批判しているのです。「吝嗇」・「器用」・「奢」は、「倹約」に類似してみられているが、それは「倹約」などではなく、「倹約」の本質から著しく逸脱したものである・・・、と。

「岡山藩」の御用学者・熊沢蕃山流にものごとを考えますと、「倹約令」を、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々が主張される、単純に、「贅沢禁止令」・「貧困強制令」・「百姓の生活状態を戒める目的で出された法令」・「百姓の質素・倹約令」・「百姓の日常生活における無駄な出費を抑えることで藩からの救済費用や土木事業などの費用を減少させることを意図して出された命令」・「身分を明確化させる措置」・・・、として解釈することは、「倹約令」の「倹約」の本旨を著しくはずした解釈である・・・、ということになります。

それでは、そのように、「倹約」を、意図的に区別する、「岡山藩」の御用学者・熊沢蕃山は、同じ、「岡山藩」の武士(「士一等」)身分に属する者としてして、どのように、「倹約」を実践していったのか・・・、少しく検証してみましょう。



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上記の、「欲」と「施」の組み合わせの4パターン・・・、行政・政治に携わる人々の私的利権追求としての「欲」と、その職務上の施策としての「施」に置き換えて考察しますと、以下のように「類比」できます。

(1)行政・政治に携わるものが、自己の利益追求のために、その職務上の施策に手心を加える(賄賂・不正利得行為・天下り・官製談合・・・)

(2)行政・政治に携わるものが、自己の利益追求のために、その職務上の施策において当然なさなければならないことを拒否する(申請却下・陳情拒否・・・)

(3)行政・政治に携わるものが、公益のために、その職務に相応しい施策を実行する(行政官・政治家としての「公務員」の本来のあるべき姿・・・)

(4)行政・政治に携わるものが、公益のために、その職務上、当然なさなければならない施策を実施しない(行政による監督責任放棄・隠蔽工作・・・)

行政・政治には「金」がかかる・・・、と言われていますが、やはり、国民の納得する行政・政治は、近世幕藩体制下の「岡山藩」の御用学者・熊沢蕃山のいう「倹約」の精神に貫かれた、<我身に「欲」なくして、人に「施」す。>、つまり、<行政・政治に携わるものが、自己と自己の属する集団の利得・利権の追求ではなく、<公益>(現代では死語かもしれませんが・・・)のために、その職務に相応しい施策を実行する>ことのできる行政官・政治家による政治ではないでしょうか・・・?

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