2021/09/30

部落民の苦悩

部落民の苦悩(青木広)

                      解放新聞新南陽支部版(1997年11月3日)

私が、最初に公の場で部落民であることを話してから、既に10年近くが過ぎようとしています。

その間、ぼんやりとではあるのですが、私自身の部落民であることへのこだわりが、今の社会の中でどんな意味を持つのか持たないのか、考えてきました。

この春、運動体中央も昨今の中央政界の動向に連動するかのように、綱領改正で「部落民」という言葉を「部落住民」に替えてしまいました。これは部落民というありもしない幻想に惑わされてはいけないという日本共産党の「国民融合論」にも通じています。つまり、部落民性への「こだわり」を捨てていく方が多くの日本国民に受け入れられやすいということなのです。

私のまわりには部落民がたくさん存在しています。

もちろん親戚関係がありますから当然のことなのですが、いろいろ考え込んでしまうのです。正確には、その人が部落民であることを私が知っていることが多いだけなのですが、本人は、知っているのかどうなのか、はっきりしない場合も多いのです。

少なくとも、子どもたちにそれを主体的に伝えている部落の親たちは皆無に近いのが実情です。それがいいのか悪いのか、置いておくにしても、部落出身者であることをまったく意識しないでも成長していける層は部落内でさえも少なくないのです。

偏見を打ち壊すためにとは言え、絶対的多数である一般市民との確執の中でそぎ落とされてけた部落民性・・・

「同じ人間じゃないか」(それは、その通りなのだけれど・・・)
「どこが違うのか!同じ血が流れているんだ」(もちろん、そななのだけれど・・・)

かって、水平社の創設期に運動の側から「部落民異民族論」を強く主張していた人々がいました。この「大和民族ではないんだ!」という主張は今では荒唐無稽なのですが、当時の、差別され続けていた人々が主体性を覚醒するのには必然だったのかもしれません。結局、水平社主流はこの異説を葬ってしまいました。

これ以降、戦時体制下水平社も結果的には天皇制にひれ伏してしまうのですが、そこには、やはり「同じ大和民族ではないか」という主張が見え隠れしていたのではないでしょうか。

実は、70年以上が過ぎた今の部落民にも同じ課題が内包しているようにも思えるのです。

最近「部落史の見直し」が盛んにいわれるようになりました。かっての政治起源説だけでは語れない事実がたくさん出てきているのです。江戸時代の部落民の実像は、決して差別されてばかりではなく、経済的にもかなり恵まれていた部落は多く、確かに農民達とは引き裂かれていた面もありましたが、基本的には権力側の末端とは言え封建社会の一翼を担っていたのです。(警察権力の末端であり、軍事的マニュファクチャ集団としての姿は確実にあったのです。) 

それが、明治維新以降崩され、近代天皇制国家が強引に作られていく過程で、過去に引き離されていた一般農民から強烈に差別されるようになっていったと言うのが、どうやらその概略のようです。

私たち部落民は、この歴史的事実にも向き合わなければならないのです。

結構きついなあと正直感じます。

それは、「不合理な差別」などという形で、どこか多数の側の論理に依拠していた今までの私たちの生き方を問い返すものでもあります。誤解を恐れずに言えば、「差別されるには差別されるだけの根拠はあったのです」。しかし、もちろん、これは差別する側の論理に過ぎません。

それでも、どこかでそこにすり寄ってきていた私たちの姿もあったのです。そんな部落民の姿に誇りなど持てるのでしょうか。精神的には、差別され続けてはいたけれど、そこに負けないで我々は生きてきた!と言える方がどれだけ元気がでるか分かりません。

それでも、私は過去の部落民の実像を知りたいと思うのです。
今は、未来を大切にしたいから。

*この文章は、解放新聞新南陽版1997年11月3日に掲載されていたものです。元の原稿は本名が記載されていますが、このブログに転載するにあたって、『部落学序説』の筆者が仮名にしました。

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