2021/09/30

「被差別部落」と姓 (部落解放同盟の方の批判に答えて)

「被差別部落」と姓  (部落解放同盟の方の批判に答えて)


この文章は、山口県の部落解放同盟の方から、「差別的」であると指摘された文章です。いままで、数回に渡って書き直してきましたが、「部落解放同盟の方」と「筆者」の間の議論は、決してわかりやすいものではありません。

その結果、筆者は、『部落学序説』第4章の執筆を中断し、第4章のすべての文章を削除しました。その文書は、部落解放同盟の方の筆者に対する不当な要求として認識し、後日、『部落学序説』(別稿)として、この「被差別部落と姓」という文章とともに、再掲上しました。

この「部落解放同盟の方」と「筆者」の間の齟齬の原因となった、「被差別部落と姓」という文章をそのまま温存して、修正・加筆で場をしのごうとしましたが、「部落解放同盟の方」と「筆者」の見解の違いを埋めることは難しく、筆者は、「被差別部落と姓」という文章を全文削除することにしました。

そうすると、筆者の『部落学序説』執筆に対する「部落解放同盟の方」の関与を葬り去ることになってしまいますので、筆者が理解できる範囲で、「部落解放同盟の方」と「筆者」の間の齟齬を明らかにすることにしました。


【部落学序説における地名・人名の取扱い方について】

『部落学序説』執筆に先立って、筆者は、「被差別部落」の地名・人名の実名記載はしないことを明言しました。そして、『部落学序説』の執筆に際しては、その方針を徹底してきました。「部落解放同盟の方」は、『部落学序説』の、被差別部落に関する地名・人名に対する「配慮」は行き過ぎで、返って、「被差別部落の地名・人名は触れてはならない」という差別的発想に陥っている・・・というのです。

彼は、「被差別部落」の側は、「被差別部落」の地名・人名を公表するかしないかの権利をもっているというのです。その立場から判断すると、『部落学序説』の筆者の「被差別部落の姓」についての文章は、彼らの持っている当然の権利を否定することになる・・・、と筆者を批判してきたのです。

『部落学序説』の筆者が、「被差別部落」の地名・人名に対して、実名記載をさけたのは、筆者の「表記規則」という自己規制によるもので、山口県の「部落解放同盟の方」の運動方針を批判したのものでないということはいうまでもありません。

【史料を公開する権利は誰のもの?】

筆者は、「部落史」に限らず、すべての史料は、すべての国民のものであると考えています。近世幕藩体制下の将軍・藩主・藩士に関する史料も、同心・目明し・穢多・非人に関する史料も、すべて、国民の文化的遺産であると思っています。

ところが、こと、「被差別部落」の歴史に関する「史料」の公開については、山口県の教育委員会の方や部落史研究者の方から、「部落解放同盟の方」やその他の運動団体の方に、その「史料」を公開していいかどうかの打診があります。多くの場合は、被差別部落の有力者・知識人がその窓口になるようですが、「部落解放同盟の方」が承認すれば、その「史料」は公開されることになり、承認しなければ、その「史料」は非公開扱いになり、一般の県民が閲覧することができなくなります。

「部落解放同盟の方」が、山口県の教育委員会や部落史研究者から、しばしば、「史料」公開についての了承をもとめられてきたことは想像に難くありません。彼は、「史料」の公開・非公開について、彼なりに、ある種の「権限」・「権利」を持っていること、そして、そのことに彼なりの情熱を注いできたことに対する「自負」の思いがあったのではないでしょうか。

「部落解放同盟の方」が、『部落学序説』の「被差別部落と姓」という文章を読まれて、筆者が、彼らの、これまでの運動を否定していると考えられ、その反論として、『部落学序説』の「被差別部落」の地名・人名に関する姿勢を批判はじめられた背景にはそのような事情があったのであろうと推測されます。

彼は、筆者の『部落学序説』の全文章読むだけでなく、『部落学序説』で引用されているすべての文献を入手されて検証されているということです。今回、『部落学序説』から、部落解放同盟山口県連・山口県高等学校同和教育研究協議会との関連を想定させる文章を削除することをきめたあと、「参考文献」の一覧表を公開しました。その理由のひとつに、『部落学序説』の執筆途中で、執筆の前提となる文献の一覧表公開することで、「部落解放同盟の方」の『部落学序説』に対する批判を容易ならしめる・・・というのがあります。

しかし、そのことは、「部落解放同盟の方」の批判を、無条件に『部落学序説』に反映するというものではありません。むしろ、まったく逆で、そのことを通して、「部落解放同盟の方」に、彼と筆者の間の視点・視角・視座の違いを認識してほしいだけです。

『部落学序説』の筆者は、これまでの、部落研究・部落問題研究・部落史研究に従事してきた学者・研究者・教育者のように、部落解放運動の基本方針やその運動の枠組みの中で、その部落解放運動を支援・補強するような形で、研究をすすめ、『部落学序説』の執筆を継続していくことはありません。

筆者は、無学歴・無資格(部落解放運動が価値を認めない)の「しろうと学」として、運動団体の運動方針や、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」に依拠することなく、「被差別部落」に関係する史料・伝承の批判的検証を通じて、『部落学序説』を展開していきます。

山口県の「部落解放同盟の方」にとって、この『部落学序説』に関する極度の「思い入れ」は、「部落解放同盟の方」にとっても、『部落学序説』の筆者にとっても、このましいものではありません。筆者の『部落学序説』の差別性や論理的矛盾を批判することで、『部落学序説』を「廃刊」させるため多くの時間をさくより、「部落解放同盟の方」の独自の運動論・歴史理論を展開された方が、双方にとって、より多くの果実を入手することだできるのではないでしょうか・・・。

孤軍奮闘しながら、『部落学序説』を執筆している筆者と違って、「部落解放同盟の方」の背後には、県内外に、多くの学者・研究者・教育者がおられるのですから・・・。

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