2021/09/30

田所蛙治に関する一考察 1

田所蛙治に関する一考察 1


以前、田所蛙治氏からいただいたメールに、「想いを同じくする」という言葉がありました。長年に渡って、兵庫県神戸市で部落解放運動に従事してこられた田所氏と、部落解放運動の門外漢である筆者と、どこで、どのように、「想いを同じくする」ところがあるのか、少しく検証してみることにしました。

武部良明著『漢字の用法』には、「おもう」という和語に、「惟・憶・懐・思・想・念」という6つの漢語が割り振られています。「思」という漢語は、「頭の中で感じること。そのように考えること」という意味です。一方、「想」という漢語には、「全体の形や状態を頭の中に浮かべること」という説明がほどこされています。田所氏が、『漢字の用法』の線にそって、ただしく「想う」という言葉の意味を選択・使用しておられると仮定しますと、田所氏は、筆者の『部落学序説』の全体の目的、構想、論理の展開の仕方・・・、という概観的な側面において、「おもいを同じくする」と感じられているということになります。つもり、筆者の『部落学序説』は、長年に渡って、兵庫県神戸市で部落解放運動に携わってこられた運動家・田所蛙治氏によって、「総論」的に容認されていると判断されます。

しかし、田所氏の「想いを同じくする」という表現の背後には、言葉として表現されていませんが、「各論」的には、必ずしも、すべてが容認できるものではなく、「各論」的に問題となる箇所を明らかにして、『部落学序説』の本質を明らかする・・・、という、田所氏の「批判」が留保されているように想われます。

その後、田所氏は、そのブログ『蛙独言』で、筆者の『部落学序説』をこのように評されました。

「吉田さんの「問題意識」についておおよそ「了解」ということになりますが、また「大きな違和感」もあります」。

筆者は、「総論」的には「了解」であるが、「各論」的には「了解」できない部分があると指摘されたのだとうと推測します。しかも、その「各論」的に了解できない部分、「大きな違和感」を感じる部分というのは、それほど多くはなさそうです。なぜなら、「何回かに分けて、整理」できる範囲にとどまるからです。田所氏は今回、まず、次のような点を問題として指摘されます。

「まず第1に、吉田さんにはそんな想いはないようですが、その「意図」に反して表現から受ける印象として「同和行政は全くの無駄だった」と受けとめざるを得ないような話になっている」。

田所氏がいわれるように、「そんな想いはない」という言葉の通り、筆者は、「同和行政は全くの無駄だった」というような論説は一度も展開していません。日本基督教団の牧師の中には、体制批判・社会批判に長けた人が少なくありませんが、筆者は、彼らと列座することはほとんどありません。よく、「おまえの発想は、右か左かわからい」といわれ、右からも左からも疎外・排除されるのが常でしたから・・・。

筆者は、田所氏が、「同和対策事業」という表現を避けて、「同和行政」という表現を採用されることにすこしく懸念します。同和対策「事業」と同和「行政」とは、どこにたって何をみているかによって、いずれを選択するかが異なってきます。同和対策審議会答申のもとづく同和対策事業は、日本国憲法下の市民的権利の当然の要求にもとづくもので、筆者も「批難」の対象にすることはありません。しかし、その「同和対策事業」が、各「行政」によって、どのように実施されてきたかは、当然、一市民としても批判検証の対象になります。すべての同和対策事業が終了を宣言され、数年が経過したいま、同和「行政」の内容についてなんらかの総括がなされなければならないと思います。

田所氏は、筆者が、直接、同和「行政」について批判していないことを認めつつ、「その「意図」に反して表現から受ける印象として「同和行政は全くの無駄だった」と受けとめざるを得ないような話になっている。」と主張されます。田所氏に、そのような「印象」を与えたことについては、『部落学序説』を読む側の視点・視角・視座が反映するので、筆者としてはなにともいえないのですが、筆者が、『部落学序説』でくりかえし指摘しているのは、「33年間15兆円という膨大な歳月と費用を注ぎ込みながら、なぜ、部落差別を解決することができなかったのか」という問題提起です。「同和対策事業終了間際になって、あらてめて、「部落とは何か」、「部落民とは誰か」、同和対策事業の根底をひっくり返すような議論をなぜするのか・・・」という問題提起です。

筆者は、日本基督教団が部落解放同盟から糾弾を受けた際に、全国の教区に設置された部落差別問題特別委員会の委員として、具体的取り組み(被差別部落・運動団体との接触・交流)をもとめられました。それから四半世紀という長い間、「国民的課題」の名目のもとに、部落差別問題に関与させられてきました。筆者の人生の何分の1かは、部落差別問題の解決のために費やしてきたのです。時間と経費だけでなく、多くの人材を湯水のように投入させてきたわけですから、「行政」も「運動団体」も、それまでの「同和対策事業」・「同和行政」につい、自己検証と総括を実施し、それを公にする必要があると思うのです。それを踏まえて、部落差別は解消するのかしないのか、展望と、今後の課題を明確にすべきであるという趣旨で、『部落学序説』の中で論述を展開してきたのです。

2番目、3番目の、田所氏の「各論」的批判については、まだアップロードされていないので、なにとも申し上げようがありませんが、インターネット上で公表されている田所氏のさまざまな文章を拾い集めて、整理し、批判検証作業をすすめた結果、田所氏の視点・視角・視座から見た、筆者の『部落学序説』の問題点は容易に推測が可能であることがわかりました。

田所蛙治氏は、筆者より、すこしく年配で、1945年生まれです。筆者は、1948年生まれ。田所氏には、すでにお孫さんがあって、お孫さんを授かったことを記念して神社に参拝されたという、ほのぼのとした報告がなされています。田所氏は、晩年は、「部落差別をなくすことはできるのか」、「自分に可能なことは何か」を追究されながら日を過ごされるということですが、筆者は、大いに賛同するところです。「部落差別をなくすことはできるのか」、「自分に可能なことは何か」ということを考えられるということは、田所蛙治氏が、部落解放運動家としての自分の取り組みとその生涯を、時代の流れの中に忘却に身をゆだねさせないで、「総括」し、記録にとどめ、おこさんやお孫さんに伝えていくということですから・・・。

問題を抱えて、ただひたすら前に向かって進んでいるときには、なかなか、ちいさなことまで配慮することは、現実問題として、できません。しかし、晩年になって、時間が与えられて、自分の歩んできた道を振り返り、総括できる精神的ゆとりを持つことができるようになりますと、それまで、こころならずも忘れてきた課題・問題を再度とりあげ、その核心に触れる機会にめぐまれます。

日本基督教団の部落解放センターのトップは、東岡山治牧師ですが、彼に、『部落学序説』で彼をとりあげる・・・、と宣言したところ、彼は、「ぼくも長く部落差別問題と取り組みすぎた。批判されるのも止むを得ない。すきなだけ批判したらいい・・・」と言っておられました。そのとき、筆者は、「さすが、部落差別の完全解消を願って心血を注いできたひとは違う。」と感動しました。

『部落学序説』は、部落差別完全解消のための、あらたな提言です。しかも、「常民・非常民論」、「気枯れ・穢れ」論という、誰でも一度はその脳裏をかすめたことがある、しかし、それをとらえることができず見逃してしまった、極めて常識的な理論を携えての、学際的・体系的は論述です。『部落学序説』は、「差別・被差別」の関係を社会システムの中で先鋭化して明らかにします。そして、そうすることによって逆説的に、「差別・被差別」の関係を無化し、差別なき社会の構築の可能性を提言します。筆者は、筆者に対する批判は、これらのことについての直接的批判でなければ批判足りえないと思っています。

田所蛙治氏は、筆者の『部落学序説』について、「これでは反発を喰らうのは当然でしょう。」といいますが、筆者は、だれによって、どのような「反発を食らう」ことになっているのでしょうか。部落解放同盟山口県連新南陽支部の福岡秀章からの筆者に対する批判は、『部落学序説』の地名・人名が「相対座標」で実名が付されることへの批判です。『部落学序説』の基本理念からすると、地名・人名を実名記載して後続の研究者の便宜をはかるべきであるというのが彼の筆者に対する批判です。「反発」ではなく「過剰な後押し」なのです。

それ以外、『部落学序説』に対して批判らしき批判はありません。2チャンネルでの批判は、「一言居士」的な批判が多く、批判の名に値しません。ただ、田所蛙治氏からメールをいただいたときから、筆者は、田所氏の「批判精神」をおもしろいと感じていました。(続く)

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