2021/10/03

現代人が失った明治の「国辱」感覚

現代人が失った明治の「国辱」感覚


国辱・・・。

この言葉を、幕末・明治期の政治家・官僚が受け止めていたのと同じ感覚で受け止めることができる人がどれくらいいるのでしょうか。

岩倉具視は、神国日本に、天皇の軍隊ではなく、アメリカ・イギリス等の諸外国の軍隊が駐留し、外国人の犯罪について日本側に裁判権がないこと等に対して、「凌辱侵犯」とみなし、それ故に、日本を代表する政治家として「国辱」を感じるというのです。

戦後、日本にアメリカの軍隊が常駐するようになり、戦後60年間、米軍基地周辺では、米軍兵士・軍属による、基地周辺の住民に対する「凌辱」事件があとをたちません。マスコミで報道されるごとに、筆者は、胸つぶれる思いがします。

しかし、日本の現代の政治家の多くは、岩倉具視や明治の政治的指導者たちが抱いていた「国辱」という受け止め方をほとんどしないようです。戦後60年間、そういう感性をどこかに忘れてきてしまったようです。

古書店でたまたま見付けた、中村菊雄編『日米安保肯定論』(有信堂)には、当時の慶応大学教授陣によって、70年安保改正を前に、彼等が研究した「日米安保条約の損益勘定」をもとに、日米安保継続を訴えた論文が収録されています。

中村菊雄は、「国家が独占している物理的強制力・・・を構成するのは警察力であり、軍事力である」といいます。

中村は、日米安保条約は、日本国憲法に基づくものではなく、「国連憲章に示された集団的自衛権」(国際連合憲章第51条)に依拠するものであるといいます。日米安保条約は、超憲法的判断のもとに成立しているというのです。

この「国連憲章に示された集団的自衛権」に基づく日米安保条約に対して、次のような反対論があるというのです。

「(1)憲法の文理解釈からくるもの、(2)マルクス主義の影響からくるもの、(3)軍国主義に対する反省からくるもの、(4)不安定なアジア情勢についての判断からくるもの、の四つになる」。

中村は、「・・・の4つになる」と断定して、その他の反対論の可能性を否定しているのです。

中村にとって、幕末・明治期の岩倉具視をはじめとする政治家たちが、その臓腑が煮えくり返るような思いをもって受けとめていた、外国の軍隊の駐留と裁判権に対する、「屈辱」感や「国辱」感からくる反対論の存在は考慮する必要は一切なかったのでしょうか・・・。

中村が、不問に付する、5番目の反対論は、現代の政治家や学者・教育者にとって、死物・化石と化しているのでしょうか・・・。

『部落学序説』の筆者である私は、部落差別を完全解消に導くためには、この、岩倉具視をはじめとする明治の政治家の「凌辱侵犯」・「国辱」という、ものの見方や感性を視野に入れて考察する必要があると思うのです。そのことは、当然、現在の日米安保条約における、日本における米軍への基地・軍事費供与や、日米地位協定による犯罪者(米兵)の捜査権・裁判権に関する問題・・・等、現実に起きている問題について、直接的・間接的に触れることになります。筆者の目からすると、日本は、戦後60年間に渡って、岩倉具視をはじめとする明治の政治家が「凌辱侵犯」・「国辱」と表現したものに呪われ続けているのです。

慶応大学学者グループの『日米安保肯定論』は、「日米安保条約の損益勘定」に基づいて、「日米安保条約という国の防衛のための施策のもとで、不断の騒音や被害に苦しむ周辺国民の受忍のうえに、日米安保体制は円滑に運営されているのであり、この人々の犠牲に支えられて、大多数の国民は太平無事と繁栄を謳歌さえしているというのが実情なのである。」といいます。

そして、このように結論付けるのです。

「たしかに、基地周辺の人びとの苦悩は深く、かつ大きい。・・・日本の平和と安全は、この人びとの犠牲の上に支えられているのである。しかし、だからといって、この人びとの苦悩をやわらげるために、大多数の国民の平和な生活の支柱である日米安保条約を廃棄するわけにはいかない・・・」。

『日米安保肯定論』は、「大多数の国民の平和な生活」を守るために、少数の「基地周辺の人びと」の犠牲(大局的見地からすると、本土の平和を守るために沖縄を犠牲にする発想)を主張しているのです。

岩倉具視をはじめとする明治政府の閣僚たちと、日米安保条約継続を訴える慶応大学教授グループとの間に、「凌辱侵犯」・「国賊」をめぐる感性について、大きな隔たりがあるにも関わらず、両者は、ある人々の利権を擁護するために、ある人々の利権を剥奪する・・・、そういう発想を持っている点で、恐ろしく共通した側面を持っているのです。

『部落学序説』の筆者である私は、極めて、非政治的な人間です。

私は、政治・思想・運動については、これまで、ほとんど関心を持ってきませんでした。筆者が所属している宗教教団の中においても、いろいろな社会問題について発言するとき、よく、「あなたの発言は、どちらの立場なのかわからない」と指摘されます。

団塊の世代が経験した、「大学闘争」や「万博問題」・・・。筆者は、同世代が、そのような問題に直面していた頃、病気で倒れた父親に代わって、高校卒業と同時に一家の「大黒柱」にされ、貧困と病気の中で、家族を支えるべく悪戦苦闘していたのです。

同世代とは10年遅れて、学歴や人脈とまったく無関係ないかたちで、勉学をはじめ、宗教教団の教師になったとき、よく、万博問題について質問されました。「あなたは、どちらの立場なのか。反対か賛成か」。その二者択一を迫る発想には、いつも言葉を失いました。「問う」側は、絶対的正義の側に身を置いて、自信タップリに、容赦なく問いかけ批判してきますが、「問われる」側に立っていなかったにもかかわらず、「問われる」側にいつも立たされ、精神的拷問と思われる糾弾にさらされ、迷いつつ、ためらいつつ、その問いに答えるのが筆者の常でした。そして、その結果、いつも言われるのは、「あなたは、どちらの立場に立っているのかわからない・・・」という疎外と排除の言葉でした。結局、筆者は、「問う側」・「問われる側」両方から疎外・排除されることになりました。私は、「私は、問う側でも、問われる側でもなく、問われていた内容(高度経済成長の枠組みからはずされ取り残された存在)だ・・・」と、叫びたい思いでした。

共産主義を信奉し、共産党と行動を共にしている先輩の教師からは、露骨で、徹底的な排除と疎外にさらされました。「おまえの発想は解同と同じだ。人が避けて通る問題に、あえてかかわろうとするのは、おまえの人格に欠陥がある証拠だ」と、教師会で罵声を浴びせられたこともあります(その部落解放同盟からも最終的には切り捨てられているのですから、笑うに笑えず泣くに泣けません・・・)。「学者でもないのに学者ぶった話をするな」と批判されたこともしばしばあります。共産主義や共産党に、また左翼の発想や思想に、心理的に違和感と拒否感を抱くようになったのは、この山口の地にきてからのことです。

このようなことを書けば、少なくなった『部落学序説』の読者が更に少なくなって、山口県内の読者はほとんど皆無になってしまうかも知れません。しかし、このことは、いつかはっきりさせなくてはいけないことであると思います。

私は、政治・思想・運動に、ほとんど何の関心も持っていないということです。

この『部落学序説』を執筆しているのは、何度も書きますが、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老から聞いた話が真実であると証明しようと思ったことに起因します。歴史の「史料」や「伝承」、個別科学研究の論文を使って、実証主義的に解明することを目的にはじめたのです。そして、その範囲で、政治・思想・運動に触れることになっているだけです。政治・思想・運動の専門家から見れば、政治の理念、思想のテーゼ、運動の基本方針等と違う発想や文章があるかも知れません。私は、政治の理念、思想のテーゼ、運動の基本方針に依拠して、自らの言葉と文章の整合性をとって自己保身をはかる要領のよさも精神的枠組みもありません。長い人生の試行錯誤の経験から私が学んだものは、いつかメッキがはげるような言葉で思索したり文章を綴ったりすることではなく、最初から最後まで、自分の言葉と信仰と哲学で綴ることです。

またまた脱線してしまいましたが、幕末・明治期において、「国辱」というのは、不平等条約(関税自主権と治外法権)のことです。岩倉具視の各種文書を見ていて思うのですが、治外法権は、岩倉具視と明治政府にとって最大の「国辱」であったと思うのです。

しかし、「公議所」に提出された議案(加藤弘蔵「非人穢多御廃止之議」)の中に、「此上モ無」「国辱」が登場してくるのです。治外法権よりも更に大きな「国辱」・・・、それは、いったい何なのでしょう。加藤弘蔵は、それを「非人穢多」であるといいます。

「穢多非人」ではなく、「非人穢多」であるといいます。

「非人穢多」の制度の存在は、諸外国の軍隊が日本に駐留し、外国人が罪を犯した場合日本側に裁判権がないという不平等条約以上に「国辱」であるというのですが、そのような「非人穢多」とは、「公議所」の「公議人」にとっていったい何を意味したのでしょうか・・・。浅学にもかかわらず真相に迫ります(続く)。

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