2021/10/03

穢多と法的逸脱

穢多と法的逸脱


宝永・正徳・享保年間において、近世幕藩体制下の司法・警察制度は、完成の域に達します。

幕府は、江戸幕府開闢以来、「法度の名を冠する幕府の制定法」を頻発します。『世界法史概説』の著者・田中周友は 、江戸時代を、法制史上の「後期武家法時代」とします。さらに、その時代を前期と後期に分けて、「江戸時代前期」 と「江戸時代後期」に分類し、「江戸時代前期」を「法度時代」と呼びます。

「武家諸法度」・「禁中並公家諸法度」・「寺院法度」が制定され、近世幕藩体制の枠組みが確定されていきます。

幕府の指示で、諸藩も、それに対応した法令を作成していきます。長州藩を例にとっても、膨大な法の累積がなされます。万治3年(1660)には、領主法である『万治制法』が制定されます。この『万治制法』は、「藩主の命令という形式の禁令」であるが、内容は、詳細な法の体系ではなく、「政治上の大綱的規律や禁令」であったといいます。

全国の諸藩は、それぞれの地域性や歴史を考慮して、藩独自の「家中諸法度定」や百姓町人統制令を頻発します。多くの場合は、箇条書きで、より具体的に法の内容が記載されます。

しかし、法は制定するだけでは、実効あるものにはなりません。幕府や藩は、「御触書」という名の啓蒙書を発行して、「常民」・「非常民」に、諸法度の遵守を訴えます。

『百姓の江戸時代』(ちくま新書)の著者・田中圭一は、「御触書」が法であるという一般説を否定します。その理由として、「御触書」に違反しても、それを根拠に「罰せられたあとはない」というのです。田中によると、「御触書」は、「日常生活についての道徳」、「凶作・不作に対処するための方策」でしかなかっと主張します。「支配者の教条的な正論だけを並べ立てた「道徳の教科書に過ぎない」。歴史学者の「御触書」に関する見解は、「歴史学者の作文」に過ぎないと手厳しく批判します。

田中は、「本書では、これまでの権力の側からの史観を覆し、当時の庶民である百姓の視点から江戸時代の歴史をよみなおす。」といいますが、筆者は、そこまで言い切ることはできません。

「御触書」に違反すると、「御触書」を根拠に処罰されることはないとしても、「御触書」が遵守を求めている「法度」を根拠に処罰されることは多分にあります。「御触書」の背後に、実体法としての「法度」が存在する限り、田中の説のように、百姓にとっての「御触書」を無効化することは無理があるように思われます。

幕府や藩によって累積されていったのは、「法度」だけでなく、その「法度」を法の淵源として適用された判例集もありました。近世幕藩体制下の訴訟法である「公事方御定書」と、判例集である「御仕置例書」、「御仕置例類集」も作成されていきました。「それらは、すべて奉行諸役人のための心得ないし準則だった」(大木雅夫著『日本人の法観念』)といいます。

この訴訟法や判例集が、「他見あるべからざる」として極秘扱いされたことで、近世幕藩体制下の絶対専制主義を示す「よらしむべし、知らしむべからず」というようなことが主張されるようになりました。

大木は、「御定書等は裁判役人のための準則なのであるから、それらを名宛人以外の民衆に公布しなかったとしても、それをもって直ちに幕藩体制下の法の基調を東洋的専制主義とみることは、はなはだしくイデオロギー過剰な解釈というべきであり、日本法の性格を著しく歪めて描き出すことになろう。」と指摘します。

法制史上の「江戸時代前期」で集積された法は、「江戸時代後期」に成文法として編纂されていきます。法の淵源の確定と整備だけでなく、司法・警察制度も、より確固たるものに改革されていきます。

「江戸時代前期」と「江戸時代後期」は、『世界法史概説』の田中周友によると、「公事方御定書」が制定された寛保2年(1742)によって時代区分されます。

しかし、時代というのは、「江戸時代後期」は、1742年をもって突然とやってくるのではなく、「江戸時代前期」と「江戸時代後期」の間には、過渡的な時代が存在します。ひとつの時代の終りは、もうひとつの時代のはじまりとオーバーラップしているのが普通です。私は、「江戸時代前期」と「江戸時代後期」が重複した時代は、正徳・享保年間ではないかと思っています。

正徳・享保年間には、幕府の重要な禁令である「キリシタン禁教」にとって、深刻な事態が発生します。「穢多とキリシタン」のところですでにとりあげたように、日本へのキリスト教再布教を目的として、イタリアの宣教師、ヨハン・シロウテが日本に潜入してくるのです。従来の宣教師と違って、日本人の姿で、武士の装いで潜入してくるのです。

幕府は、新井白石による取調べを通じて、日本が欧米諸国からどのように認識されているかを知らされ、再度、キリシタン禁教と鎖国の意志を確認していきます。そして、近世幕藩体制下の司法・警察制度の整備・拡充と、キリシタンに対する「宗教警察」、浪人に対する「公安警察」機能を強化していきます。宗門人別帳の整備や宗門改め制度の強化をはかります。

徳川8代将軍・吉宗は、「をしへざるを罪するこそなげかしけれ」と言って、「法令の周知徹底をはかった」といいます。大木は、吉宗の法政策は、「罪刑法定主義」を背景にしているといいます。

大木は、「それどころか吉宗は、百姓どもに法度を守るよう申し聞かせるだけでは足りないとして、手習いの師匠に命じ、法度書や五人組帳などを教材にさせている。それが、どれだけ効果を挙げたかは分からないが、ここまでして、かれは法令を知らしめようとしたのである。」といいます。

「法に定めなき罪は裁かれない」という吉宗の政策は、「江戸時代後期」の法システムに大きな影響を与えたのではないかと思います。

筆者は、正徳・享保年間は、法制史上の「江戸時代後期」に加えてもいいのではないと思っています。「江戸時代前期」の法システムの改革こそ、「江戸時代後期」のはじまりのしるしであるからです。

正徳・享保年間においては、法の整備だけでなく、司法・警察制度も改革されていきます。司法・警察制度は、近世幕藩体制下の「専門職」として、「名誉職」的存在が排除されていきます。そして、「専門職」たる、司法・警察に携わる役職については、「職権の乱用」や「賄賂」が司法・警察の「信用を失墜させるもの」として厳しく糾弾されていきます。

吉宗は、「公事上聴」として、「江戸場内における三奉行の裁判に臨席した」といいます。「久しく惰眠を貪っていた評定衆に強烈な刺激をあたえた」といいます。

法制史上の「江戸時代前期」から「江戸時代後期」への過渡期において、実施された、法の整備と法制度の整備、改革は、幕府においてだけでなく、諸藩においても実施されます。

唯一、将軍に直結する宗教奉行の管理強化によって、全国津々浦々に配置されていた、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「同心・目明し・穢多・非人」に対する規制強化も現実のものになっていきます。

この時期、「穢多・非人」に対しても、司法・警察としての、「非常民」としての規制が強化されていくのです。

『新修広島市史』によると、「藩内全般にわたる倹約令が出され、身分規制を細かく厳しくし・・・支配体制を強化する体制が固められていった」(橋本敬一著《芸備の被差別部落》)のですが、「藩権力は、革田身分の人々に対しても風俗規制を行ない、差別政策を顕在化する政策を法的にも明確にしたのである」(橋本)という指摘は、幕府がすすめてきた、正徳・享保年間における法整備や法制度の改革の流れをまったく無視した、「賤民史観」に立つ偏見でしかないと思われます。

身分規制は、差別規制なのか、それとも職務規制なのか、倹約令の条文をみればわかります。

「革田共近年風俗分過ニ相成、在家ニマキレ候様成ル体仕、衣類等不相応ニ有之、甚不届之儀ニ候、依之自今之義相定候」

広島藩は、ここで、「常民」と「非常民」の区別を明確にすることを命じているように思われます。近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」が「非常民」として存在するのではなく、「常民」と同様の体をするときは、社会の治安に重大な影響をもたらすので、「非常民」は「非常民」身分に相応しい「風俗」(衣食住)につとめ、「常民」から批難を買うようなことをしてはならないという法令ではないかと思います。

次の条文、「向後ちゃセン髪ニ可仕事」という言葉は、男性の「穢多」に対する、近世・幕藩体制下の司法・警察に相応しい髪型の強制であると思われます。非常時に際して、凶悪や強盗団逮捕に対して、夜目にも識別可能な髪型ではなかったかと思われます。「取り締まる側」と「取り締まられる側」の明確な区別の必要性から、そのような規制がなされたと思います。

幕末の「非常時」に際しては、武士も、「茶筅髪」にしたと言われています。軽快に身を処することができるようにするためでしょう。

しかし、日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」は、この条文を「差別法令」として解釈します。
「刑罪者有之節、其外科人之儀ニ付罷出ル格式之義者格別、常々者刀指候義無用ニ可仕事」という条文は、広島藩内で起こった「享保の一揆」(1718年)の事後対策としてだけではなく、幕府によって指示された、近世幕藩体制下の司法・警察機能の強化とも連動していたと思われます。

広島藩の「穢多」(革田)は、「非常時」には、帯刀を許可されていたのです。しかし、広島藩は、「非常時」ではないときは、「穢多」に帯刀を禁止しています。その際の「穢多」の主な捕亡具は、「鉄刀」である十手や六尺棒ということになります。

そのあとに続く条文も、ほとんどが、近世幕藩体制下の司法・警察である、「穢多」に対する職務遂行上の規制であると言えます。

近世幕藩体制下の司法・警察に関する制度の改革の流れを把握しようとしない、「賤民史観」に立つ部落史研究者は、歴史の流れの中から、この条文のみを観念的に抽出して、「差別法令」・「差別政策」とするのです。

「穢多」(革田)の職務に対する規制強化は、「穢多」だけでなく、同じ、近世幕藩体制下の司法・警察という「非常民」であった、下級武士や村役人に対してもそれ相応に適用されているのです。

「賤民」に関する統制(『部落解放史』解放出版社)ではなく、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多・非人」に関する規制なのです。

穢多に関する「御仕置帳」は、司法・警察である「穢多・非人」の職務遂行上の規律違反と、百姓等と共通して守るべき一般法に対する違反を記したものです。それは、決して、「穢多・非人」に対する差別事例として記録されたものではありません。

元山口県立文書館の布引俊雄は、「穢多・非人」に関する「御仕置」を、「穢多・非人」に対する差別文書として把握しますが、大いなる誤解、否、悪しき改竄であるといえましょう。

『警察学入門』(アスペクト)は、「警察官平成不祥事年表」の中で、現職警察官の法的逸脱例を列挙しています。
「巡査部長・・・盗む」。「巡査・・・万引き」。「警察官酒酔い運転」。「(公道でOLにだきついた)ハレンチ警部」。「殺人警官」。「女子高生襲撃警官」。「下着泥棒警部捕」。「県警買春警官」。「ひったくり機動隊員」。「巡査部長売春接待」。「乗り逃げ巡査部長」。「調書捏造」。「スリ警部」。「銀行恐喝警官」。「犯歴データ遺漏」。「収賄刑事」。「いたずら爆弾警官」。「拳銃行方不明」。「マンション侵入警官」。「暴力警官」。「裏取引」。「飲酒運転人身事故」。「留置人の現金着服」。「ひき逃げ警官」。「賭博警官」。「巡査部長婦女暴行」。「わいせつ警官」。「反則切符偽造」。「詐欺恐喝警官」。「夫婦喧嘩暴れ警官」。「わいせつパトカー」・・・。まだまだ、延々と続きます。

「穢多・非人」に対する「御仕置」というのは、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多・非人」の職務違反、服務規定違反、一般犯罪違反を集めて記録したものです。元山口県立文書館の布引俊雄は、これらの「御仕置」を、「賤民」身分が受けた「差別」として解釈(曲解)するのです。

「穢多・非人」に対する御仕置きは、彼等が、司法・警察官としての職務に違反したが故に課せられた「刑罰」であって、決して「差別」ではないのです。

元山口県立文書館の布引俊雄によって、山口県の領域の外へと発信された「穢多・非人」に関する情報は、彼独特の「フィルター」にかけられたあとの、史実とはほど遠い、改竄された情報でしかないのです。

長州藩に記録された、近世司法・警察の「不祥事」は、現代ほど多くはありません。恐らく、近世幕藩体制下の社会的治安は、現代以上に安定していたのでしょう。近世幕藩体制下の司法・警察官が、「非常民」と「常民」の区別を忘れてしまうほどに・・・。幕府も藩も、おりにふれて、同心・目明し・穢多・非人に対して、その区別を厳守して、「非常民」としての職務に徹底するようにお触れをださなければならなかったようです。

現代の司法・警察とくらべて、近世の司法・警察の「御仕置き」事例が少ないのは、彼等が犯罪を犯したあとの処遇の違いによります。

石井良助著『江戸の刑罰』に、司法・警察である「穢多」が犯罪を犯して入牢された場合、牢名主(犯罪者)による残酷な処遇が待っていることを伝えています。その残酷さは、言葉として紹介することはできません。関心がある方は、『江戸の刑罰』(中公新書・126頁)をご覧ください。

近世・近代・現代に関わらず、司法・警察に関与するもののうち、犯罪にはしるものは、極めて例外的な存在です。それをとらえて、「差別」と強弁するのは、歴史学者としての、実証史研究者としての良心を棄てて、日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」に身をゆだねたときのみです。

多くの「穢多・非人」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として、自覚と責任を持って職務にあたっていた人々です。今日の日本人の多くが、その言葉すら記憶にない、キリシタン弾圧のための「宗教警察」という役務を含んでいましたが、その当時にあっては、当然のこととしてその職務を遂行していました。

以前紹介した、元山口県立文書館研究員の北川健が発掘した、長州藩の「穢多村」に伝わる伝承を再掲しましょう。

少岡ハ垣ノ内
山部は穢す皮張場
長吏の役ハ高佐郷
何そ非常の有時ハ
ひしぎ早縄腰道具
六尺弐分の棒構ひ
旅人強盗せいとふ(制道)し
高佐郷中貫取

「非常民」であることを高らかに歌う高佐郷の「穢多」たちの姿に、「被差別」の翳りはありません。

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