2021/10/04

部落差別はどうすればなくなるのでしょうか

部落差別はどうすればなくなるのでしょうか


それでは、どうしたら「部落差別」をなくすることができるのでしょうか・・・。

『部落学序説』がこれまで指摘してきたことは、極めて簡潔です。

明治以降の「部落差別」は、日本の知識階級・中産階級である「歴史」学者・研究者・教育者・政治家・運動家によってつくられ、継承・発展させられてきた「賤民史観」と「愚民論」を、日本の歴史学に内在する差別思想であることを認めて、その「賤民史観」と「愚民論」を、日本の社会から葬り去ることです。

『部落学序説』の筆者である私は、明治以降の日本の社会に「部落差別」を蔓延させた張本人は彼らをおいて他にはいないと思っています。

「歴史学者」・「歴史研究者」は、国家権力に対する奉仕の学として、国家権力の意志を先取り、または追従し、日本の社会の中に「部落差別」という幻想を捏造してきました。戦後、民主化が進行していくなかで、彼らは、その差別的研究を払拭する機会が充分あったと思われますが、その機会を逸して、戦前の「賤民史観」と「愚民論」を新しい装いで踏襲していきました。

戦前・戦後を通じて、「皇国史観」・「唯物史観」、いずれの史観に立っているかどうかに関係なく、「歴史学者」・「歴史研究者」は、「賤民史観」的・「愚民論」的部落史研究を遂行しました。その研究成果は、「公教育」という「権力装置」を通して、その「教育者」によって「愚民」とみなされる一般民衆・一般国民に教育・普及させられていきました。

やがて、彼らの説く「賤民史観」と「愚民論」は、「被差別部落」の運動家や活動家、一般民衆・一般国民の間にも受け入れられ、「賤民史観」や「愚民論」に疑義を抱くことがないまでに、その啓蒙が徹底されました。一般民衆・一般国民は、「部落差別」をする正統な理由がないにもかかわらず、「部落差別」をする側に追いやられ、また、「被差別部落」の側も「部落差別」される正統な理由がないにもかかわらず、「部落差別」を受ける側に追いやられてきたのです。

「部落差別」の構造的枠組みに気づいたひとがひとりでもいれば、明治以降の「部落差別」という、意図的につくり出された社会的病気の蔓延を防ぐことができたことでしょう(実際は、そのことに気づいた歴史学者・研究者・教育者は多々いたのですが、それぞれの時代にあっては少数者の意見だったのでしょう。ほとんど省みられることなく社会から葬り去られてしまいました。筆者の『部落学序説』は、そのようなひとびとの声にも耳を傾け、一般説・通説となった「賤民史観」・「愚民論」を批判しているのです)。

明治以降の「部落差別」が、知識階級・中産階級に属する人びとによって、理論化され体系化されて今日の差別的社会がつくられたということが確認されたら、「部落差別」をなくするために、「部落差別」を完全解消に導くために何をしたらいいのか、至って明瞭になります。

まず、日本の社会の知識階級・中産階級に属する歴史学者・歴史研究者が、みずからが作り上げてきた「賤民史観」・「愚民論」という「幻想」を破棄し、日本の歴史から、差別的な「賤民史観」的記述、「愚民論」的記述をみずからの手で取り除くことです。

「皇国史観」・「唯物史観」などのイデオロギー的史観から自由になって、イデオロギーから自由な史観であることを吹聴する「ファッショ史観」である「自由主義史観」からも自由になって、これまでの歴史研究から、日本の歴史学に内在することになった「賤民史観」・「愚民論」という歴史解釈上の「殻」をとりはずし、実証主義的な「歴史の核」のみを抽出、「賤民史観」・「愚民論」を克服した歴史を記述すべきです。

日本の知識階級・中産階級である歴史学者・歴史研究者が、みずからとみずからが従事する日本の歴史学に内在する「賤民史観」・「愚民論」を払拭するときにのみ、日本の「権力装置」のひとつである「公教育」において、教育者が、差別なき、ほんとうの教育実践を達成することができるのです。「公教育」の歴史教育に携わる教師の多くは、その指導内容を公的に強制されていて、それぞれの教育現場の歴史と状況にあわせて「恣意的」に変更することが許されないからです。山口県の小・中・高の教師の姿を観察しても、彼らは「権力装置」のひとつである「公教育」の忠実な「しもべ」でしかないからです。教育現場に、「賤民史観」・「愚民論」の克服を訴えても、それを実現することは容易ではないでしょう。

教育者の指導によって行われた「同和教育」・「解放教育」が、部落差別完全解消に結果しなかったのは、彼らの努力不足、教育者としての熱意が不足していたことが原因ではなく、「同和教育」・「解放教育」の前提となり「部落史」に関する歴史理解の暗黙の前提とされた「賤民史観」と「愚民論」に原因があります。

その問題点を眺望できる立場にいる学者・研究者は、歴史学者・歴史研究者だけでなく、教育学者・教育研究者も該当します。国立大学の教育学者養成機関、学校教師養成機関に所属する教授・助教授・助手・講師の責任は重大なものがあります。日本から部落差別をなくすことができるかどうか、彼らの「自己変革」にかかっています。

常に、部落差別の起源を、知識階級・中産階級に帰属する「自己」以外の「他者」(彼らによって「賤民」・「愚民」とみなされたひとびと)に原因を求め、押しつけてきたひとびとが、自らの精神の臓腑を切開手術して、その差別性の淵源である「賤民史観」・「愚民論」を取り除くことは、確かに、困難と時間がかかるいとなみであることは否定できません。

しかし、『部落学序説』の筆者の立場からみると、知識階級・中産階級である歴史学者・歴史研究者、とくに部落史の学者・研究者が、その差別性の淵源である「賤民史観」・「愚民論」を取り除くいとなみは、歴史学者・歴史研究者の「良心」のかかった問題として、そのために費やした時間と労力に勝る成果と評価を手にいれることができる・・・、と思われます。

水平社の初代中央執行委員長である南梅吉の指摘する「物質的の欠乏」(同和対策事・同和教育事業)より「精神的苦痛」(部落差別そのもの)を取り除くことを優先する必要がありあます。33年間15兆円という膨大な時間と費用をかけても部落差別完全解消を達成することができなかった「物質的の欠乏」に偏った施策ではなく、「精神的苦痛」を取り除くための「賤民史観」・「愚民論」の除去こそ、合理的な部落差別完全解消の方策なのです。

筆者は、これまで、「部落史」の学者・研究者によってなされてきた「部落史研究」のすべてを否定しようとしているわけではありません。その研究成果から、「賤民史観」・「愚民論」という差別的「殻」をとりのぞき、歴史的「核」だけを研究成果として提示すべきであるといっているのです。

『部落学序説』の筆者である私は、無学歴・無資格です。ほんとうに、まもなく60歳を迎えるまで、私の人生の中で、一度たりとも、「大学」という名前の付いた場所で「教授」・「助教授」・「講師」といわれる方から講義・指導を受けたことはないのです。一般の民衆・大衆の中に棲息する名もなきひとりに過ぎません。

しかし、そのような筆者ですら、これまでの「部落史」研究の先達の歴史をひもときながら、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」・「愚民論」を払拭し、「部落差別」成立の根源にたどりつこうとした多くの部落史研究・一般史研究があったことを確認しています。「賤民史観」・「愚民論」の流れだけでなく、民主主義的なもうひとつの思潮(民衆レベルの人間解放の論理)も存在しているのです。その流れがなければ、『部落学序説』の、部落差別完全解消に向けた提案は思い浮かべることすら難しかったのではないかと思います。無学歴・無資格の筆者より、より優位な部落差別完全解消、そして、その結果として、日本の民衆(近世幕藩体制下の「旧百姓」・近代中央集権国家の「平民」の末裔)の人間解放に直結していくことができるのではないかと思います。

日本の知識階級・中産階級に属する学者・研究者・教育者が、自らと「旧百姓」、「旧穢多」の末裔とを含む、「平等な人間解放」を指向するときにのみ、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」と「愚民論」をとりのぞき、ふたたび、個人としての尊厳を全体主義の中に埋没させる「ファッショ史観」・「ファシズム史観」・「全体主義史観」・「軍国主義史観」(「自由主義史観」の属性)から、日本の国と国民(民衆)を守っていくことができるのではないでしょうか・・・。

日本の知識階級・中産階級に属する学者・研究者・教育者による「賤民史観」と「愚民論」の継承と固守は、日本の右傾化に最短の道を用意してしまいます。

『部落学序説』の筆者であるわたしは、この『部落学序説』の貴重な読者である「あなた」に訴えているのです。「あなた」が、学歴と資格をもった尊大なお方であったとしても、また、無学歴・無資格の筆者と同じ存在であったとしても、誰はばかることなく、「あなた」の精神世界と社会から、日本の歴史学に内在する「賤民史観」と「愚民論」を取り除くことを訴えているのです。「あなた」が変わると、「社会」(「世間」)が変わる、社会(「世間」)が変わると、日本が変わる、そのようには考えられないでしょうか・・・。

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