2021/10/06

被差別部落のある古老の話

 被差別部落のある古老の話

ある被差別部落の古老の家を訪ねたのは冬でした。

私たちは居間に通され、古老から話を聞くことになりましたが、話をしてくれたのは、実は、おばあさんだけで、おじいさんは廊下を隔てた隣の部屋で私たちに背を向けて座っていました。私たちの話を聞いているようでもあり、聞いていないようでもありました。

私は、ある部落史の研究家の実施した聞き取り調査に同行しただけなので、彼と被差別部落のおばあさんの話を横で黙って耳を傾けながらメモをとっていました。おばあさんは、彼と話をしながら、私たちのためにお餅を焼いてくれました。何個たべたでしょうか、満腹感が漂ってきたころ、私は、私たちが話をしている居間を見回しました。そして、壁にかけられた一枚の写真を見つけたのです。

その写真の人物は、坂本竜馬などの幕末の志士のような姿をしていました。

「誰なのだろう・・・」と思いながら、記憶を何度もたどってみるのですが、思いあたる人物がいません。

あたまには髷と月代があり、腰には刀を差しています。その顔の表情は、とても厳めしくて、警察官か検察官のようなするどい眼光をしていました。

私は、彼とおばあさんの話を遮って尋ねました。
「あの写真の人は誰ですか」。
すると、おばあさんは間髪を入れず返事を返してきました。
「あの写真は、私たちの先祖です」。
私は思わず、「ええ! おばあさんの先祖って、武士だったのですか?」と大きな声を出してしまいました。おばあさんは更に続けました。
「ええ、そうです。私たちの先祖は、江戸時代三百年間に渡って武士でした。しかし、明治の御代になって差別されるようになりました。差別されるようになって、たかだか百年に過ぎません」。

すると廊下を隔てた隣の部屋で、私たちに背を向けて黙って座っていたおじいさんが、突然、「見ず知らずの人にそのようなことを話すべきではない」と一喝されました。一瞬、寒村の雑木林の中を吹き抜けていく木枯らしのような風が私たちの間をすり抜けて行きました。

聞いてはならないことを聞いたのかもしれないと思った瞬間、おばあさんが、おじいさんにすぐ言葉を返しました。「差別する人は、黙って私たちを差別します。しかし、この人たちは、私たちの話を聞きたいと遠路私たちを尋ねてくださった。そういう人に悪い人はいないと思いますよ。私は話を続けますよ」。おばあさんは、そういいながら、すぐに研究家との話に戻って行きました。

その後、居間に掲げられてあった写真が話題にのぼることはありませんでした。

聞き取り調査がまあまあ無事に終わって、時が経って行きましたが、私は、そのときの被差別部落の古老の家の居間に掲げられていた一枚の写真と、おじいさんとおばあんさんの両者の姿を忘れることができませんでした。というより日ごとにその日の出来事が鮮明に私の脳裏に深く刻み込まれていったのです。

被差別部落のおばあさんは、私たちと向かい合って話をし、そのおじいさんは、最初から最後まで私たちに背を向けて座っていました。おじいさんとおばあさんの対照的な姿は、今でも鮮明に思い浮かべることができます。

1枚の写真をめぐる被差別部落の古老の話は、部落史や部落問題の常識・通説とされている事柄とはまったく逆のことを物語っていました。部落問題の入門書や啓発書に書かれている内容、学校同和教育や社会同和教育で教えられている内容とはまったく正反対でした。一般的には、「私たちの先祖は、江戸時代三百年間に渡って差別されてきました。しかし、明治の御代になって解放令が出され、被差別身分から解放されました。しかし、多くの国民はそのことを理解できず、私たちを差別し続けたので・・・」と言われるが、私たちが聞き取り調査をした被差別部落のおばあさんは、まったく逆のことを証言していたのです。明治の御代になって差別から解放されたのではなく、明治になってから差別されるようになったと。

その村の被差別部落と言われている場所は、長州藩の牢屋があった場所です。

被差別部落の古老の家は、代々、その牢屋の役人を勤めた家系です。被差別部落の古老は、長州藩の武士として藩主に仕えてきた歴史をずっと忘れずに記憶し続けていたのです。おばあさんは、聞き取り調査の終わりをこのような言葉で結びました。

「あなたたちがもう一度尋ねてくださるとき、私たちは生きているかどうかわかりません。もし、いなかったら、私の娘を尋ねてください。私たちの先祖の歴史は、残らず、娘に伝えてありますから」。そう言って、娘さんの名前と住所、電話番号を教えてくださいました。

私は、被差別部落の古老が話してくれたことがらを歴史の資料を用いて検証しようと思うようになりました。

被差別部落には、「言葉化されている」ことがらと、「言葉化されていない」ことがらがあると認識しました。そして、どうしたら、被差別部落の古老が語ったことを歴史の真実として認識することができるのか、どうしたら、被差別部落の古老のこころに、おばあさんだけでなく、おじいさんのこころにも寄り添うことができるのか、考えるようになりました。そして、そこに至る道を探しはじめた。探しても見つからないことが分かったとき、その道を造り出すことを決めました。

通うようになった地方の小都市の市立図書館といっても、その史料の数は膨大です。郷土史料だけでなく、一般の歴史資料を含めると、全部読み尽くすことはできるはずもありません。学歴も資格も持ち合わせていない私には、途方もない時間と労力を要すると思いました。

しかし、あるとき思うようになったのです。山口県北の被差別部落の古老との出会いも偶然なら、それを証明する史料や文献との出会いも偶然でいいではないか。入手できる資料、手にとって目にすることができる資料、それだけを用いて、被差別部落の古老のこころに通じる道を切り開いて見よう・・・、と。

被差別部落の古老との出会いから15年・・・。
無学な故に、多くの時間を費やさざるを得ませんでいたが、このブログ上で公開する『部落学序説』」が完成した日、私は、それを本にして、再度、あの被差別部落の古老を尋ね、お話をお聞きしたいと思っています。

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