2021/10/03

「部落」と「暴力団」に関する一考察 4 幕府の法システムにおける「穢多」と「博奕」について

「部落」と「暴力団」に関する一考察

第4回 幕府の法システムにおける「穢多」と「博奕」について


過去、3回、近世幕藩体制下の長州藩の史料をもとに、「穢多」と「博奕」との関係について一瞥してきました。

結論を再度繰り返しますが、近世幕藩体制下においては、「穢多」と「博奕」とは、決して両立することができない概念です。「穢多」は、近世幕藩体制下の司法・警察である非常民として、「博奕」を取り締まる側に身を置いていました。法の番人である「穢多」が、みずから法を犯すことは、ほとんどあり得なかったからです。

山口県立文書館の元研究員・布引敏雄氏の「長州藩部落史年表」に収録されている、「穢多」と「博奕」に関する記事は、観応3年(1352)から明治4年(1871)までの500年以上に及びます。しかし、「穢多」が、法度に違反して、また司法・警察官としての服務規定に違背して、「博奕」にかかわった犯罪事件と裁判結果に関する記事は、十数件に過ぎません。これは、法度をおかしてまで、「博奕」に走る「穢多」が如何に少なく、例外的であったかを物語っています。

最近の国家公務員・地方公務員が、法の主旨を無視し、法違反すれすれのところで不正を積み重ね、私腹を肥やしていると非難される、こんにちの時代とは大きく異なります。

近世幕藩体制下においては、奉行・代官、与力・同心、目明し・穢多・非人などの、司法・警察職務に従事する非常民は、法度を無視した違法行為によって、百姓・町人よりも、一等級重い刑罰が課せられることになっています。部落史の学者・研究者・教育者は、同じ罪を犯しても、「穢多・非人」が、「百姓・町人」より重い刑罰を課せられていることを「差別」と受け止め、「穢多・非人」は「百姓・町人」に比べて差別されていた存在であったと主張します。

しかし、『部落学序説』の筆者の目からみますと、当時の司法・警察官である「穢多・非人」が、法度に違背して「博奕」にかかわることで、法秩序の信頼性を著しく害うことを鑑みると、司法・警察官である「穢多・非人」に、一般人(百姓・町人などの常民)よりも刑が重加算されるのは極めて当然のことであると思われます。

しかし、筆者が長州藩のみの史料をもとにこのような結論を提示しますと、「長州藩という極めて限定された場所でのみ通用する論理ではないか・・・」と非難を招くことになるでしょう。

部落史研究の世界においては、歴史の史料に基づいて実証的に研究するというより、運動団体や政治団体などのイデオロギー的解釈をもって歴史解釈と信じきっている人々が多数おられるからです。自ら歴史資料をひもとかずして、一般説・通説・俗説でもって自己充足、知的満足に陥っておられる方が少なくないからです。

それで、今回、長州藩を遠く離れた守山藩における「穢多」と「博奕」との関係についても言及することにしましょう。

長州藩にとって守山藩は、ほとんど縁がない藩であるのと同様、守山藩にとっても長州藩はほとんど縁がない藩であるといえましょう。長州藩は現在の山口県、守山藩は現在の福島県に位置します。

近世幕藩体制下の諸藩は、徳川幕府の法システムの中に組み込まれていましたので、幕府の「街道」を伝ってたどりつくことができる長州藩と守山藩は、ほとんど同じ法制度の中に置かれていたと思われます。当時の人が旅をしていて、ある藩では「博奕」が許されるが、ある藩では禁止されている・・・、ということは事実から遠く、どの藩においても、幕府の御触・法度に従って、「博奕」は禁止されていた・・・、と受け止める方が極自然です。

徳川幕府のもと、東日本(守山藩)においても西日本(長州藩)においても、同じ法が施行されていたと思われますが、それを実証する史料として『守山藩御用留帳』があります。

この『守山藩御用留帳』は、福島県郡山市教育委員会が所蔵されているようですが、それを分析・批判したものに、阿部善雄著『目明し金十郎の生涯』(中公新書)というのがあります。『部落学序説』において、これまで何度か引用・参照してきた論文です。

この『目明し金十郎の生涯』に、「ばくち宿の摘発」・「陣屋の目明し追求」・「賭博出入りの始末」という小項目がありますので、5回から7回において、その内容を紹介することにしましょう。もちろん、『部落学序説』の筆者の解釈原理に従って・・・。

長州藩と守山藩・・・、西と東を取り上げると、その中間点をとりあげるようになることは必然です。筆者の手持ちの史料では、その中間点にある藩として、紀州藩の史料、紀州藩『城下町警察日記』があります。紀州藩城下町の司法・警察制度は、紀州藩主が江戸幕府の将軍になることで、江戸の司法・警察制度として一般化されていきますので、紀州藩の「穢多」と「博奕」の関係について言及すれば、ほぼ、近世幕藩体制下の「穢多」と「博奕」の関係についての全体像を獲得することができるのではないかと思われます。

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