2021/10/04

穢多の実像

穢多の実像・・・

「穢多」・・・、この言葉を筆者が何のためらいもなく使用していることに違和感を覚えておられる方がいるかもしれません。

「穢多」という言葉は、「差別語」として、差別・被差別の側から「使用してはならない言葉」として認定されて久しく時が経つからです。ほとんど誰も使用しなくなった言葉を、筆者は、普通に使用しています。筆者は、この言葉でしか、『部落学序説』の研究対象である「部落」という概念を把握することはできないと考えるからです。

「旧穢多」や「新平民」ならまだしも、「特殊部落」・「未解放部落」・「被差別部落」という言葉をもってしては、明治4年の太政官布告が対象とした人々の本質を把握することができないからです。

「穢多「という言葉が差別語として扱われるのは、「穢多「という言葉を「穢れ多し」と読むからでありましょう。しかし、「穢れ多し」という読みは、「穢多」という言葉に対する正しい読みなのでしょうか。

近世史料や文献をひもといていくと、「穢多」という言葉に関して、3種類の命題を抽出することができます。

(1)「穢多は穢多なり」
(2)「穢多は穢多にあらず」
(3)「女は穢多なり」

上記(1)~(3)の命題の中で、「穢多」という言葉は、主語と述語の両方で使用されています。「述語」としての「穢多」の主語は「穢多」だけでなく、「女」の場合もあります。この場合の「女」は、「穢多」出身の女性ではなく、一般の女性を指しています。

筆者がこの『部落学序説』で、研究対象としてとりあげるのは、(1)と(2)と②の主語としての「穢多」のみです。筆者は、「穢多」という言葉を、『部落学序説』の固有の研究対象である「部落」の起源を指す言葉として受け止めています。

江戸後期から明治前期の国学者である岡本保孝は、このように記しています。「ソモソモ穢多ト書クハ、仮字ナリ。・・・穢多ト云ウ仮字ノ字面ニスガリタルヨリノコトナラン。・・・穢ト書クニヨリ汚穢ノ義ニトリナシ、ケガレルコト多シトオモウナルベシ。笑ウニタエタリ」。

国学者・岡本は、「エタ」という言葉は、本来、別の漢語表現であったが、それがいつのまにか忘却されて、「仮字」として「穢多」という漢語表現が用いられるようになったというのです。そのために、「穢」という漢字が、「汚穢」の意味にとられるようになった、今日でいう差別語になったことを示唆しています。岡本は、「エタを穢多というは、笑止千万、ちゃんちゃらおかしい」と指摘しているわけです。

それでは、「エタ」という言葉に割り当てられた最初の言葉は、何なのでしょう。国学者・岡本は、残念ながら、「エタのタの詞未だ、詳にせず」と示唆に富んだ言葉を残して、「もとよりエタは雅言にあらねば捨ておくべし」として、「エタ」の語源を探る考察を中断してしまいます。

明治以降の歴史学者は、幕末から明治初期の国学者のこの研究をほとんど誰も省みないのです。そして、国学者・岡本が、「笑ウニタエタリ」と表現した、「穢れ多し」という言葉を採用していくわけです。

江戸時代三百年間穢多であり続け、明治以降も穢多の末裔であった人々も、「エタ」を「穢多」として受け止め、この「穢れ多し」という意味内容も持つ、自分たちの先祖を指す言葉を忌み嫌うようになります。「穢多」という言葉に、差別と侮辱感を感じるようになってしまいます。

私は、この「エタ」という概念を定義することを目標に、歴史資料や論文を漁ってきました。一般的に、定義というのは、まず、内包を決めて、そのあとで外延を決めます。内包というのは、概念の属性、概念を説明する言葉です。外延というのは、その概念に属する個々の具体的な構成要素をいいます。

例えば、「被差別部落」という概念の内包は「被差別」であり、概念の外延は「被差別部落」ということになります。この定義方法は、好ましい定義ではありません。なぜなら、概念の中に、すでに内包が内在しています。「被差別部落(概念)は、差別された(内包)部落(外延)である」ということになり、単なる字句の説明と同じレベルの定義になってしまいます。本来「被差別部落」という言葉は、その程度の意味しかないわけです。この言葉を考案した歴史学者の井上が指摘しているように、時間的側面、歴史的側面は一切含んでいない空間的概念でしかないのです。「被差別部落」という概念は、あまりにも漠然とし過ぎて、「穢多」の末裔を指す言葉としては相応しいものではありません。

国学者の岡本は、「エタ」という概念の内包と外延を明らかにして、その概念を定義しようとしますが、途中で、自分の仕事の範囲外であると言って、投げ出してしまいます。

私は、「エタ」という言葉のもとの漢語は何なのか、長い間、その言葉の定義をめぐって試行錯誤をしてきました。内包を確定しては、外延を検証し、外延を検証しては、内包を検証し、それを延々と繰り返してきたのです。そして、「エタ」という言葉は、ひとつの漢語に置き換えることができるようになりました。それは、「穢多」といわれた人々がいったい何であったのか、その本質が分かった瞬間と同じでありました。

この論文の結論とでもいうべき内容ですが、いまだに、具体的な歴史資料の中にその証拠を見いだすことができないでいるのですが、歴史資料の中からすでに抹消されてしまった言葉である可能性もあります。結論を先出しすれば、「エタ」のもとの漢語は、「衞手」ではないかと思っています。前田勇著『江戸語の辞典』の中に、「守手」(まもりて)というのが掲載されていますが、その言葉には、「見張りの番人」という説明がなされています。

武部良明著『漢字の用法』によれば、「まもる」に対応する漢字として、「衞」・「護」・「守」を取り上げています。「衞」は、「危ないことがないように取り囲むこと」、「護」は、「攻められることがないように持ち続けること」、「守」は、「大切なものとして持ち続けること」を意味するとあります。「見張りの番人」という前田の説明からすると、「まもる」という言葉の漢語として相応しいのは、「衞」・「護」となります。武部は、「盗人の隙はあれども守手の隙なし」という諺をとりあげていますが、「六尺弐分の棒構ひ旅人強盗せいとふ(制盗)し」と歌われている「穢多」は、別名「棒突」とも呼ばれていました。「棒突」の職務は、「衛」であり、「お上」から護衛を命じられた対象に危害が及ぶことがないように、その屋敷や居場所を護衛することでありました。

中山英一著『被差別部落の暮らしから』(朝日選書)に、一茶の句が紹介されていますが、その中に棒突の句がいくつかあります。この本は、『部落学序説-「非常民」の学としての部落学構築を目指して』の立場からみて、従来の部落解放運動の枠組みの中で書かれた書籍としては最もすぐれた書籍のひとつであると思っています。

中山英一は、1926年生まれ。長野県出身で、現在、「人権センターながの」の代表理事をされているそうです。中山は「私自身被差別部落に生まれ、さまざまな差別を受けた体験をもとに、自分なりの差別」に対する見解を書いた」とする、その書の中で、「歴史を無批判に受け入れるべきではない。歴史の歪みに気づく感性こそ人権感覚なのだ」と指摘しています。中山はいいます。

「部落の親たちというのは、わが子に部落のことを語りたがりません。なぜなのか。それは部落の人たちは「部落とは何か」という本当のことを知らないからなのです。「誇りと自信」が持てないから、わが子に語れないのです。私が自分の出身を知ったのは「部落民」という言葉ではなく、「長吏」と「四つ」という言葉からでした。・・・「長吏」と呼ばれる人たちは、自分が長吏でありながら、「長吏」の正しい意味を知らないのです。知らないから教えられないのです。ところが、本当のことは知らないけれど、間違った、嘘のことは知らされていたのです。それを「偏見」といいます。「偏見」というのは、事実ではないことをあたかも事実であるかのように思ったり、いったりすることです。それを部落の人たち自身も本当だと思っていたのです。つまり、部落の人は、「ふつうの人間とは違う」「卑しい人間」「悪い人間」である。部落の人たちもそう思われていたのです。だからこそ、わが子に語れないのです。・・・一番基本的なところでは、五十年前と現在とあまり変わっていないのです。わが子に部落のことを生き生きと、胸をはって語れるお母さんが何人いるのでしょうか。子どもに聞かれると、逃げてしまっているのではないでしょうか。」

「世間の人は「部落の人は字を知らない」とか「文化の程度が低い」といいますが、そういう現象は明治以降なのです。それ以前は、部落の人たちは、文字がなければ生活できなかったのです。なぜかというと、「長吏」という役は権力の末端を担う仕事ですから、さまざまな役があるのです。今でいう「警察」や「刑務所」の仕事です。だから、字を読め、あるいは、書き、役目を理解する必要があるのです。字を知らないと、「長吏」という役がつとまりません。」

中山が、そのような洞察を持つようになったのは、同じ信州人である小林一茶の句との出会いでした。一茶は、百姓の息子でした。中山は、その「百姓の目から見た穢多の姿」を知るのです。差別的な目ではなく、穢多や長吏に対して、別な、尊敬のまなざしを持って見る一茶の句に触れて、中山は、部落解放運動に携わるものが時として持つ、針鼠のようなとげとげしさを克服し、このように語るのです。

「苦しみ、悲しみながら、それでも喜びのときには笑いを忘れず、真摯に人生を全うする人の姿に触れたとき、だれもその人を見下したり、卑しいと忌避することはできないはずだと、私は信じている。なぜなら、部落の出であろうと、そうでなかろうと、真摯に生きる人がこの世には大勢いるのだし、そうした人が自分と同じように生きている人を差別することなど、ありえないではないか。」

少しく長い引用になりすぎたが、中山の書に、一茶が歌った棒突の句の解説がのっています。

「棒突がごもくを流す白雨哉

この年は九州、四国を行脚している時期であるので、その辺りのことを詠んだ句であろう。「白雨」は「夕立」のことで夏の季語である。「棒突」とは、六尺棒(警棒の前身)を持って町や村を護衛する役人、現在の警察官にあたる。つまり「長吏」の別称である。私の生家(長野県南佐久郡佐久町)にも六尺棒と十手があった。「ごもく」とは「五目」で、「いろいろ」すなわちここでは塵芥のことである。「棒突」は世人から卑しめられ、軽蔑されているが、夕立が塵を洗い流すと同じように世の中の悪人と悪い物を清掃する人で、世のため、人のために貢献している大事な人であると賞賛している句である。」

話をもとに戻すと、『江戸語の辞典』に出てくる「まもりて」は、言葉の意味からして、「守手」よりも「衛手」という言葉の方が相応しいと思われます。「衛手」の、「衞」を「エ」と発音し、「手」を「タ」と発音します。「衛手」は、「エタ」のもとの漢語ではないかと、私は推測しているのです。まだ文献で確認したわけではありませんが、かならずしも間違いではないと思っています。「手」を「タ」と発音することは、江戸時代の言語学者である新井白石も認めています。

「エタ」は、「衛士」という、今でいう警察のキャリアのもとで、実際に警察官として現場で働いていた配下の「衛手」ではないか・・・、そのようにみはじめると、古代律令制度の中の、制度外制度、身分外身分として登場してきた「衛士」や「衛手」は、司法・警察職として、古代から中世へ、中世から近世へ、時代を超えてその職務を担っていったと推定されます。現在の部落研究・部落問題研究・部落史研究におけるさまざまな問題点と行き詰まりを一挙に解消できるのではないかと思います。

中山英一著『被差別部落の暮らしから』に、中山の両親の写真が掲載されています。中山のおとうさんの写真をみながら、頭に、まげと月代をつけ、腰に刀をさしたら、そして、長吏としての職務に従事しているときの緊張感をもって写真をとったら、私が、十五年前、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の家、長吏と同じ役を担っていた、あの古老の姿がダブってきます。あの古老の先祖の厳めしい、警察官か検察官のような鋭い眼光をしていた人が、ふと、微笑みをもらしたときは、こんな表情になるのかな、と思わされました。

『部落学序説-「非常民」としての部落学構築を目指して』は、まだまだ、たくさんのことを立証していかなければなりません。しかし、『部落学序説』の結論は、中山がいう「新しい視点と希望」を共有することになるでしょう。ですから、『部落学序説-「非常民」としての部落学構築を目指して』の遅々たる歩みにいらいらする人は、中山英一著『被差別部落の暮らしから』を読んでください。そして、ご自分で、彼の長吏の末裔としての生き方を、それぞれの個別科学研究の立場で調べ直してください。いつかきっと、筆者と同じ道を、『部落学序説-「非常民」としての部落学構築を目指して』自分の頭と足で歩みだすことができるでしょう。悲しい国、悲しい民、悲しい歴史・・・、被差別部落の歴史は、そのような歴史に組み込まれています。しかし、かならず、差別なき朝がやってきます。権力者や政治家、学者や教育者が、被差別者に賤民史観を振りまき、差別の痛みや苦しみを押しつけたことに対して恥ざるを得ない朝がやってきます。「賤民史観」を根底から覆し、完膚なきまでに徹底的に批判・検証することで、被差別部落の人々だけでなく、すべての人が、その内にもっている人間の尊厳に気づく日がやってきます。『部落学序説-「非常民」としての部落学構築を目指して』は、中山のいう、「新しい視点と希望」に裏付けを与える営みでもあるのです。

「穢多」は、幕藩体制下の「司法・警察」を表現するときの包括概念・上位概念です。筆者が、一般的に差別語といわれている「穢多」という言葉を、臆面もなく使い続けるのは、「エタ」という言葉の中に、千数百年の時の流れに耐えて持ちこたえている真実の響きが鳴り響いているからです。私のこころの中にある耳にはその響きがいつも聞こえているのです。

最後に、(1)~(3)の述語としての「穢多」ですが、主語である「穢多」の述語としえの「穢多」は、(1)の命題では肯定され、(2)の命題では否定されています。主語である「穢多」の述語としての(1)の「穢多」と(2)の「穢多」とはどのような関係があるのでしょうか。また両者の間に、どのような「差」があるのでしょうか。あらためて、言及していきます。

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