2021/10/04

部落学と歴史学

部落学と歴史学

既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の成果としての史料や論文の累積は相当数にのぼります。

これらすべての史料や論文に目を通すことは事実上不可能です。

特に、大学で高等教育を受け、歴史学に精通した研究者ならともかく、大学での「学」とはまったく無縁な状態で人生を歩んできた、無学歴・無資格な、ただの人である筆者にとっては、すべての史料や論文に精通することは最初から不可能なことです。

この『部落学序説』を書くに際して使用する史料や論文、伝承との遭遇は、筆者にとっては、まったくの偶然の産物です。筆者が遭遇した史料や論文は、ひとつの「出会い」のようなものであると思っています。その「出会い」によって、この『部落学序説』は、大きく影響されていると思うのです。

部落史研究の大御所である沖浦和光は、その著『「部落史」論争を読み解く戦後思想の流れの中で』の中で、「人生の長い旅路で、いちばん大事なのは、いつ、どこで、だれに出会うかということであろう。それによって、行き先も、歩く道も、大きく違ってくる場合が少なくない。他者との出会いが、人生の大きな節目になる-そういう出会いは、この人生という長い路線の転轍手みたいなものだ。」といいます。

筆者にとっては、人物だけでなく、史料や論文等も同じ類の出会いです。いつ、どこで、どのような史料や論文と出会うか、その偶然によって、筆者の『部落学序説』の内容は大きな影響を受けています。

筆者は、以前にも記したように、58歳の年になるまで、大学という名前のついた場所で、大学教授という肩書を持った人から、高等教育、講義を受けたことは一度もありません。

しかし、論文や書籍を通じて、間接的に、大学教授の研究成果に触れることは度々ありました。すぐれた学者は、一般の人々に、分かりやすい言葉で入門書や啓蒙書を執筆してくれます。それが、筆者の人生を、いろいろな意味で潤してきたことは否定できません。しかし、更に優秀な大学教授は、歴史学の研究成果だけでなく、歴史学の研究方法を提供してくれます。無学なものに、歴史学が何であるのか、どうすれば、歴史学研究を自分で行うことができるのか、詳細な情報を提供してくれます。それらの書物は、知識・技術だけでなく、歴史研究をすすめる上での姿勢や、研究の途上いろいろな壁に直面したときの対処法なども提供してくれます。ときには、読者に対する配慮から、励ましや慰めの言葉を、その行間に散りばめてくださる方もいます。

歴史学についていえば、筆者は、『歴史學研究法』(今井登志喜著)と『地方史研究法』(古島敏雄著)から、大きな影響を受けました。もし、この2冊の書にであうことがなかったら、筆者は、歴史学に関心を持つことはなかったでしょう。

この『部落学序説』では、「新しい資料の発見」はひとつも含まれていません。今井は、「新しい資料の発見によって旧学説が覆る実例はしばしば見る所である。」といいますが、無学歴の筆者のよしとするところではありません。「いかに不完全であってもすでに発見し得た資料に基づいてそれによって立証される限りの真理を認識するほかはない」ことを認めざるをえません。

今井の『歴史學研究法』は、既存の歴史学研究の論文がどのように構成されているか、その舞台裏を知る上で大いに役に立ちます。部落史の学者・研究者が、歴史学のクリティークをきちんと実践しているかどうか、その論文の読者に、それを確認する様々な方法を提供してくれます。

歴史家は、個々の歴史資料を収集・分析・解釈したあと、それらの歴史資料を総合して、ひとつの歴史的研究の成果としての論文を構築しなければなりません。今井は、その構築を、「歴史的連関の構成」と呼んでいます。「一の歴史的連関の構成が未だ何人にもなされなかった題目について行われる時、それはその研究者の学的業績になる」と言います。新しい歴史資料の発見に至らずとも、既存の歴史資料を批判・検証して、研究主題に応じて「歴史的連関の構成」を新しく試みるとき、今井は、それも、歴史学的研究の一つに数えるわけです。

『部落学』は、歴史学にとどまらず、社会学・宗教学・民俗学の個別科学研究の成果を批判・検証することで、部落学の固有の研究対象にふさわしい史料・伝承、論文・研究を抽出し、個々の要素の「連関」を再「構成」することを課題にすることになります。

『地方史研究法』の著者・古島敏雄は、「歴史に関心を持った人々」に、二つのタイプがあることを指摘しています。

「一つはたとえば日本は今迄多数の研究者が永年研究をやっているのだから、もう残された問題はないだろうとする人々であり、他の一つは新しい歴史学樹立の必要を痛感し、その立場として民衆の立場ともいうべきものの必要を痛感して勉強をはじめ、あるいは成果の啓蒙運動をやってみて、数年にして所期の成果がえられないとして焦っている人たちである。一方は過去の業績を無条件に完全と認めているのであり、他方はそれを否定しながらも過去の業績の読み直しをやりさえすればそれで新しいものができると過信しているのである。両者ともに新しい・根底からやり直すような歴史研究上の問題を認めないことでは共通したものを持っている」。

「部落学」は、歴史学を過剰に評価するあまり、この二つのタイプに属する歴史学者や研究者からの果てし無き無益な論争に巻き込まれることは、極力さけなければなりません。部落史の分野においては、二つのタイプに共通していることがらとして、「賤民史観」の受容があげられます。

沖浦は、戦後の部落史研究の口火は、京都の部落問題研究所の創立ではじまったとします。その最初の成果は、北山茂夫・林屋辰三郎・奈良本辰也・藤谷俊雄・井上清の5人の研究者によって執筆された『部落の歴史と解放運動』(1954年)であったと言います。更に、上田正昭・原田伴彦・藤谷俊雄・中西義雄の4人によって、『新版・部落の歴史と解放運動』(1965年)が出版され、「賤民史に関する歴史認識の枠組みが設定され」たといます。戦後の部落史研究の基本的枠組みとして、「賤民史観」が確定されていったのです。それは、今日に至るまで影響を持ち続け、「新しい・根底からやり直すような」(「賤民史観」を見直すような)歴史研究上の問題を認めることはしません。他ならぬ沖浦自身も、「賤民史観」の支持者でした。

沖浦は、「特に90年代に入ってからさまざまの視点から多様な部落史像が語られるようになりました。活発な論争が展開されること自体は、歴史研究の水準を高める必須の契機なのだが、それにしても先学たちが苦心して蓄積してきたこれまでの研究成果(「賤民史観」/筆者注)を十分に咀嚼しない粗雑な仕事が一部にみられたことも、残念ながら否定できない。」といいます。沖浦も、「賤民史観」そのものを批判・検証して手放すことはなさそうです。

岩波書店の近代思想体系の『差別の諸相』という、幕末から明治23年までの豊富な歴史を紹介している書物の編集者・ひろたまさきは、巻末の《日本近代の差別構造》の中で、「賤民史観」支持を明確に打ち出しています。近世・近代を通じて、「賤民史観」でまとめています。近世の「士農工商穢多非人」に代えて、近代の「天皇・皇族・華族・士族・平民」「新平民」「アイヌ」「沖縄人」という図式を採用しています。

しかし、古島敏雄著『地方史研究法』(初版1955年)は、「賤民史観」を見直すためのさまざまな示唆に富んでいます。古島は、文献のみによる民衆の歴史や生活史を明らかにするためには、「民俗学的な聞きとりと文献の利用は平行しなければならない」と指摘しています。特に明治4年太政官布告以前の歴史資料の取扱方と研究の方向性を示唆している点では、『地方史研究法』は、部落学構築にとって非常に有意味な歴史学の解説書です。

「部落学」は、史料や論文の単なる「読み直し」ではなく、差別的な歴史思想である「賤民史観」という汚れに染みた歴史学者の手から、関連する歴史資料を取り戻し、「洗い直し」の作業をしていくことになります。「賤民史観」という差別思想を洗い流すことによって、歴史資料の持っている意味を、歴史資料をして語らしめるという作業を通して、「部落学」の中に取り込んでいく必要があります。

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