2021/10/06

ある聞き取り調査

昔、ある被差別部落の聞き取り調査に同行したことがあります。

その被差別部落は、山口県北部の寒村にありました。その村の南に位置していて、その被差別部落に立つと、門前町として栄えた街並みと、それを貫く川や街道を眼下に一望することができました。その被差別部落は、どこか、その村全体をその高台から見守っているような感がありました。

被差別部落の聞き取り調査に同行を求められた私は、訪ねる先が、かって、山口県の郷土史研究の論文の中に「穢多屋敷」のあった場所として古地図を添えて紹介されている被差別部落であると知って、その依頼を快諾しました。

その聞き取り調査は無事終了しましたが、そのとき被差別部落の古老からある話をお聞きしました。その話は、聞き取り調査のあと、時が経過するに連れて、記憶から薄れていくのではなく、筆者の脳裏に深く刻み込まれて行きました。その被差別部落の古老の話は、学校同和教育や社会同和教育で教えられている内容とはまったく異なる、どちらかいうと相反する内容を含んでいたからです。

私は、その古老の話を歴史的に検証してみたくなって、10年間、隣市にある徳山市立図書館の郷土史料室に通い続けました。しかし、学歴を持ち合わせていない私にとって、その作業は簡単ではありませんでした。歴史学、社会学、民俗学・・・、作業に必要な知識や技術は、その都度、時間をかけて自分のものにしなければなりませんでした。

幸いなことに、大学教授の中には、研究の成果だけでなく、その研究方法に関する知識や技術についても執筆される方がおられます。私は、しろうとにも、その研究方法をやさしく解説している『歴史学研究法』・『地方史研究法』・『民俗学の方法』・『民俗探訪事典』などから多くのことを学びました。

徳山市立図書館の郷土史料室の蔵書から学んだことは、時々、調べた内容を他の人に話したのですが、筆者の話を聞いたひとの反応はほとんど同じでした。「それは通説に反している・・・」、「たとへ歴史の事実であったとしても、それは長州藩だけの例外事項に過ぎない・・・」、「それは、何々教授がすでに否定している・・・」という、ほとんど否定的なものばかりでした。

しかし、私は、徳山市立図書館の郷土資料室の史料や論文を調査するにつれて、いつのまにか、「被差別部落の古老の話は、歴史的に真実である」と確信するようになりました。

そして、最近五年間は、約10年の歳月をかけて収集してきた、徳山市立図書館の郷土史料室にある史料・資料と、国道2号線沿いにある宮脇書店等で入手した若干の雑誌・書籍を整理・分析して、それを、筆者固有の視点・視角・視座から体系化することを試みてきました。

既存の学問で検証することができない事柄に対応するには、それに相応しい、新しい学問が必要であると思うようになり、「部落学」構築を意識するようになりました。

もう少し若ければ、更に研究を積み重ねて、完成した「部落学」を提示することができるのですが、私に残された時間はそんなに多くはありません。団塊の世代のまっただなかに生まれた私は、あと数年で定年です。といっても、今既に定職もなく、時間講師などで糊口をすする身ですが、与えられた条件下での最善の試みは、「部落学」構築の前に、「部落学」構築に必要な序説、『部落学序説』を書くことであると確信するに至りました。筆者が執筆を予定している「部落学」は、『部落学序説』で、部落学固有の研究課題と部落学固有の研究方法をあきらかにした上で、執筆にとりかかってもいいのではないかと思うようになりました。

予定している『部落学序説』の論文構成は以下の通りです。

まえがき
第一章 部落学固有の研究対象
第二章 部落学固有の研究方法
第三章 「部落」の定義
第四章 「太政官布告」批判
第五章 「水平社宣言」批判
第六章 「同対審答申」批判
第七章 部落差別完全解消への提言

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