2021/10/03

白山信仰と穢多

白山信仰と穢多


中山英一著『被差別部落の暮らしから』に、長野県の被差別部落の人々と白山神社の関わりが詳しく描写されています 。

被差別部落の人々にとって、白山神社とは何であったのか、お知りになりたい方は、是非、ご一読ください。中山の名 文は、ここで、そのまま紹介したいところですが、中山の文章に流れる人間に対するあたたかさとやさしさを壊しては いけないので、私の言葉で紹介します。

中山によると、「白山神社」のことを、地元の人は、「しらやまさま」と呼んでいるそうです。

白山神社の祭りは、春と秋の年2回行われます。そのときは、村中のものがこぞって参加します。この祭りのときは、結婚して他所へ行った「女たちが、初子を誇らしげに抱き、晴れ着で里帰り」してくるといいます。

一連の宗教儀式がすんだあと、被差別部落の人々は、神社の境内にむしろを敷いて、そこに、それぞれの家で作られたご馳走を並べます。儀式に使ったお神酒もみんなに配られ、村の庄屋のおじさんの掛け声で、酒の肴の入った重箱がすべての村人のところへ廻され配られるそうです。

「「これは、おめえさんの所で作っただかい」なんていいながら、気持ちが溶け合い、和み合い、一体になるのです」。

戦後は、祭りの会食に加えて、素人演芸会が加わったようで、被差別部落の「若い衆」によって芝居や歌や踊りが披露されます。出し物は、「勘太郎月夜」や「名月赤城山」。「演ずる者と観客が溶け合う」ことによって、被差別部落の人々の中に「親しみや団結」が培われるといいます。「演芸は、人々に慰安を与え、明日の労働の活力源」になるというのです。

秋の祭りには、子ども好きな「白山さま」(しろやまさま)のために子ども相撲大会が開かれます。「負けても、勝っても、女でも男でも」(言葉の順は中山に從う)「同じ賞品がでた」そうです。

「白山神社は、部落の氏神として部落の人たちの祈りの対象として、深い信仰を集め」たそうです。

東日本の被差別部落によく見られる白山神社は、一体何を祀っているのでしょうか。

中山は、「江戸の弾左衞門の信仰にならったものではないか」と推測します。中山は、「穢多頭としては幕府から三千石取りの武士同様の処遇を受けていたが、世間では不浄な仕事とみなしていたから、職業からくる穢れを清めるために『おはらい』に強い白山神を屋敷神としてまつったのであろう」という柴田道子さんの説を紹介しています。

その言葉についで、中山は、柴田の次の言葉をとりあげます。

「権力と財力をほしいままにした弾左衞門であったが、己の職業に与えられた精神的いやしさからの解放を必死に願わずにはいられなかったであろう」。「賤民史観」が突如、亡霊のように出現してくることに驚かされます。

弾左衞門は、白山神社の神に「己の職業に与えられた精神的いやしさからの解放」を、本当に祈り求めたのでしょうか。幕末の弾左衞門は、「賤称」を変更して他の名称にすることを求めたけれども、彼は、穢多頭として穢多一門が、幕藩体制下全期間を通じて担ってきた穢多の職務を放棄しようとはしませんでした。「賤民史観」に拘束された歴史学者は、弾左衞門が、「穢多」という「賤称」だけでなく、その「身分」(役務と家職)まで放棄しようとしたと解釈しますが、それは歴史資料を完全に無視した読み方です。代々の弾左衞門は、己の職業に「精神的ないやしさ」を感じるどころか、「誇りと自負心」を持っていたのです。

弾左衞門は、白山神社の神に「己の職業に与えられた精神的いやしさからの解放」を祈り求めたりはしなかった・・・、それが、『部落学序説』を提唱する筆者の見解です。

それでは、弾左衞門や東日本一円にある穢多村の住人たちは、白山神社の神に何を祈ったのでしょう。

『部落解放史熱と光を上巻』によると、民俗学者の折口信夫は、加賀白山神社が「ククリヒメ」(黄泉国へ行って穢れを被ったイザナギを淨化させた女神)を祀っていることから、「ケガレ淨化との関わりを指摘した」といいます。同じく民俗学者の宮田登は「これは職能祖神というべきもので、その職能の安全を保護する神霊といってもよかった」といいます。宮田登著『ケガレの民俗誌差別の文化的要因』の中で、「ケガレた状態を元に戻す」・「穢れを除去する」神と説明しています。

筆者も、民俗学者の折口や宮田の説を継承せざるを得ないのですが、ここで、ひとつの難問に遭遇します。
白山神社は、古来から、出産の神、安産の神として祀られてきたという事実がもう一方にあるからです。出産の神、安産の神である白山神社の神が、なぜ穢多の神になっていったのか、歴史学者も民俗学者も明確な説明をすることができないでいます。被差別部落の人々でさえ、そのことを説明することができないでいます。

出産の神、安産の神である白山神社の神が、なぜ穢多の神になっていったのか。

この問いに、筆者なりの答えを出してみましょう。当然、「日常」・「非・日常」を含む「常の世界」と、「常」・「非・常」を含む「非常の世界」を視野に入れて考察します。

近世幕藩体制下では、「出産」というのは、女性だけでなく男性にとっても大切な出来事でした。その出来事は、一般的には、「日常」・「非・日常」の「常の世界」のできごとです。出産は、当然、「非・日常」的な出来事に属します。それは、「ケ→ケガレ(気枯れ)→ハレ」の循環の中の「ケガレ(気枯れ)」の範疇に入ります。出産のできことは、決して「ケガレ(穢れ)」(法的逸脱)ではありません。

近世幕藩体制下にあって、百姓は、飢饉に遭遇したときは、家族全員が飢死して家を断絶するより、生まれてきた子どもを間引く風習がありました。その方法は、生まれてきたばかりのあかちゃんの顔を見ることなく、母親が自分の太股であかちゃんの口を塞いで窒息死させるという方法でした。多くの場合、それは法的に禁止された犯罪でしたが、飢饉という危機的状況の中で、「産穢」として、黙認されたそうです。幕末期以降、諸外国の人々に、日本のこの風習が知られるようになりましたが、明治政府は、「混穢の制廃止」を打ち出し、「産穢」を廃止しました(「混穢の制廃止」は他にも理由がありますが・・・)。つまり、幕藩体制下の貧しい百姓の女性は、家族が生き延びるという止むに止まれぬ目的のために、生まれてきた子どもを母親自ら「屠する」いとなみをしていたのです。

近世幕藩体制下の「非常民」は、二つに分類することができるということは以前詳述したとおりですが、「非常民」は、軍事を担う非常民である武士と、警察を担う非常民である武士・穢多・非人・村方役人に分類されます。

「屠する」という言葉の関連で言えば、戦時において敵の城を屠するは武士の役務、平時において死刑判決が出た犯罪者である人を屠するは武士・穢多・非人の役務であるということになります。

「非常民の学としての部落学」の立場からみると、白山神社によって庇護される民は、女性と穢多ということになりますが、両者は、「人を屠する」ことがあるという一点で、共通したものを持っています。

人口調節機能を一方的に女性に押しつける父権制社会の目から見ると、「女性は穢多なり」(女性は穢れ多い)と見えるのかも知れません。原因を作ったのは男性の側にあるのですが、それを棚に上げて、女性に対して侮蔑の言葉をなげかける・・・、その方が本当は非人間的です。「させられた側」が精神的に負い目と苦しみを担って生きていかなければならず、「させた側」は、みずから手を汚していないという理由で、「させられた側」をあなどるように見下すのです。検断・穢多・非人は、犯罪者を職務上「屠する」とき、自ら自分の子どもを間引くことを強要された母親と同じく、精神的に深い負い目と苦しみを負わざるを得ません。

しかし、それは、柴田がいうような、「己の職業に与えられた精神的いやしさからの解放」へとつながっていくのかどうか・・・。

もう少し理解を深めるために、「屠」という言葉の語源をたどって検証してみましょう。

語源論に立脚して、部落差別を見直す辻本正教は、その著『ケガレ意識と部落差別を考える』の中で、彼独自の解釈を展開します。そして、「屠」(「ホフル」)から「穂振る」を抽出し、「屠」は、「五穀豊穣、稲・麦の実りを得よう」とする儀式であるといいます。

辻本は、「語源論」的研究を標榜しているのですから、「屠」についても、もっと深く語源を尋ねるべきでした。しかし、彼は、「屠」の本来の語源は完全に無視してしまいます。彼が無視した「屠」の語源とは、『漢字の起源』(加藤常賢著・二松学舎大学東洋学研究所)に収録されている「屠」の解釈です。

加藤は、「屠」という言葉には「殺」の意味はないといいます。

「屠」は、「尸」(尻)から「者」(人)が出てくる様、「子供が母の胎内から生まれる時」の様を指す言葉であるといいます。難産の場合、あかちゃんは生まれても母親が死ぬケースもありますが、その場合は、「子、母を屠す」と表現されます。>

加藤は、「屠」の字義として、「子を生む場合の生子門の裂傷というのが本義である」といいます。「屠」は、母親が、自ら傷を負いながら、新しい命を生み出す様を伝えている言葉なのです。

白山神社が長い間、出産の神・安産の神であったのは、「母子共に健康で出産を迎えることができるように」という母親の願いと祈りの対象であったためでしょう。もし、産道に傷を負った場合には、それが一日も早く癒されるように・・・というのが、白山神社に参って願をかける本当の理由でなかったのかと思うのです。

検断・穢多・非人が、犯罪者を「屠する」場合も同じことが言えるのではないかと思います。

検断・穢多・非人にとって、犯罪者に対しては、直接うらみ・つらみは持っていなかったでしょう。しかし、役務上、犯罪者を処刑する命令が上から出されたとき、社会の安定のために、涙を飲んで、犯罪者を処刑し、世の中から矯正不可能な犯罪者を取り除き、世の中の安定を維持せざるを得ないのです。そのようなとき、刑を直接執行する検断・穢多・非人は、精神的に大きな苦痛と葛藤を被ることになります。処刑される人がどんなに重罪を犯した犯人であったとしても、人ひとりを殺さなければならないという心の傷を深く負うことになります。

白山神社の神は、そのこころの傷を癒す神でもあるのです。

ここに、白山神社の神が、「女性のための神」であるのと同様に「穢多のための神」でもある理由があるのではないかと思います。女性は、新しい命を生み出すために自ら傷を負う、穢多・非人は、新しい世の中を生み出すために、自ら傷を負いつつ役務を全うする・・・のです。

西日本で、白山信仰が普及しなかったのは、西日本の穢多村では、穢多・非人の職務について、規律と責任、近世警察官としての自負心を与える別の教説、浄土真宗の合理的な世俗化倫理が存在していたためでした。

次回(次項)は、徳山藩の「屠者」・「屠人」に関する資料を検証して、近世幕藩体制下の穢多・非人の役務の様相を具体的に考察します。次々回(次々項)に、穢多・非人に影響を及ぼした、浄土真宗の合理的な世俗化倫理を取り上げます。

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