2021/10/03

長助とはるの物語

長助とはるの物語


『西洋紀聞』に記されているイタリアの宣教師・ジュアン・シドチ(以下、村岡がいう日本語風にシロウテと呼ぶ)につ いて考察するとき、筆者の視点は、『部落学序説』の視点と同じ、「百姓」の視点と同じです。

権力者の立場からではなく、権力によって支配されている被支配者の側、民衆の側に立って、考察することになります 。

新井白石は、宝永6年から正徳5年(1715)の7年間、第6代将軍・家宣、第7代将軍・家継に儒学者・政治顧問として仕えましたが、「家宣の将軍就任後、その特命によって宝永6年11月から12月にかけ、4回の尋問をおこなった」(『西洋紀聞』教育社/原本現代訳)といいます。

白石のシロウテに対する取調は、多角的な視点から実施されていますが、ときには、シロウテの個人事情にまで踏み入ってこのような対話をします。

白石から、身の上を問われたシロウテはこのように答えます。

「父は・・・死して既に11年、母は・・・猶今ながらへて世にあらんには、是年65歳也。・・・兄弟4人、長は女也。幼にして死す。次は兄也。・・・次は我、是年41歳、次に弟あり。11歳にして死して、既に20年。・・・我幼よりして、天主の法をうけ、学に従ふこと22年、師とせしもの16人・・・、6年前に、一国の推挙により宣教師になされたりき。・・・師の命をうけて、此土に来るべき事を、奉りしよりして、此土の風俗を訪ひ、言語を学ぶこと3年・・・。」

そして、3年前、日本に行く直行便がないので、いろいろな国の船を乗りついで、時には、難破の危険に遭遇しながらやっとの思いでルソンに到達したというのです。ルソンの日本人村の住人から、日本の風俗・言語を学びましたといいます。

ありのまま、自分の身の上を語る宣教師・シロウテに、白石は、このように問いかけます。

「男子其国命をうけて、万里の行あり。身を顧みざらむ事は、いふに及ばず。されど、汝の母すでに年老いて、汝の兄も、また年すでに壮なるべからず、汝の心においていかにやおもふ」。

白石の問いにシロウテは、日本宣教の使命があたえられたとき、年老いた母も兄も、キリスト教宣教のため、国のため、「これ以上の幸せはないと喜びあった」と答えます。「いきて此身のあらむほど、いかでかこれをわするる事はあるべき」といいます。

新井白石は、宣教師・シロウテの取調べに際して、シロウテの「自分史」まで聞き取ろうとします。

しかし、シロウテの「自分史」を聞いたのは、新井白石だけではありませんでした。そのキリシタン屋敷の中で、獄舎の掃除や、囚人の料理を作っていた、長助とはるという非人の夫婦もこの話を聞くのです。

長助とはるが「非人」であるというのは、幕府から、そのように命じられて、長年に渡ってその仕事に従事してきたからです。獄舎の掃除や囚人の食事の世話は、長州藩の支藩である徳山藩の記録によると、「穢多」身分の「小番」という役がこれにあたります。長助とはるは、その職務上は、「被支配」ではなく「支配」の側に身を置いていたのです。

幕府が、狂気の中、キリシタン糾弾や弾圧をしている真っ最中なら、長助とはるは、キリシタン関係者として、キリシタンと同じ罪で斬首に処せられたと思われます。しかし、その時は過ぎ去り、江戸の民衆からキリシタン糾弾や弾圧の悲惨さを遠ざけることを幕府の方針としたあとであったため、長介とはるは命拾いをするのです。それぞれの両親は処刑され、そのあと、キリシタン・バテレンに引き取られていたのです。長介とはるは幼くして殺すにしのびないと思った幕府は、キリシタン屋敷に囚人として送られてくる「宗教犯罪者」の身の回りの世話をする役を与え、長助とはるを生かすのです。そして、長助とはるが年頃になったとき、二人を夫婦にします。

新井白石がキリシタン屋敷内の獄舎を視察したとき、新井白石をはじめ、キリシタン奉行の役人を晩秋の冷えた土の上に土下座して迎えたのは、この長介とはるという老夫婦でした。

新井白石は、役人から、長介とはるについてこのような説明を受けます。

「これらは、其教をうけしなどいふものにはあらねど、いとけなきより、さるもののめしつかひし所なれば、獄門を出る事をもゆるされず」。

つまり、長介とはるは、キリシタン関係者あるいはキリシタンと接触のあったものとして、キリシタン屋敷の中では、「非人」の役を担っているが、幕府は、彼らをキリシタンと同類とみなしているので、キリシタン屋敷の外にでることはできない・・・というのです。

江戸や大坂だけでなく、日本全国にあったキリシタン屋敷(宗教刑務所)の中では、同じような様相がみられたのではないでしょうか。

長介とはるのような存在は、日本全国のキリシタン屋敷のある穢多村の中に存在していたのではないかと思います。しかし、いずれの場合も、近世幕藩体制下の司法・警察としての「穢多・非人」としてではなく、準犯罪者として「軟禁状態」に置かれていたのです。キリシタン屋敷あるいは穢多村という限られた世界でのみ、少々の自由をゆるされていたに過ぎないのです。

キリシタン屋敷の中では、キリシタンとキリシタンを糾弾したり弾圧したりするものとの間の人間的な交流が存在していたのです。中には、司法・警察である同心・穢多・非人の中から、キリスト教への改宗者が生まれてきますし、キリシタンの中から「転び」と称される背教者が生まれ、その人たちが、権力の命のまま、「非人」役を命じられる場合もあったのです。『切支丹風土記』にもいろいろな実例が紹介されています。

長介とはるは、キリシタン屋敷に幽閉されていた宣教師・シロウテから、彼が新井白石に語ったのと同じ「身の上」話を聞かされます。

そして、時が経過して、正徳4年の冬、長介とはるは、キリシタン屋敷の役人に「自首」をするのです。

キリシタン屋敷に幽閉になっていたキリシタン・バテレン、黒川寿庵から、キリスト教の教えを習っていたこと。キリシタン屋敷に幽閉となった宣教師・シロウテから、「キリスト教のため、身の危険もかえりみず万里の波頭を越えてやってきたこと。とらわれの身になっても、獄舎の中で、自分で作った紙の十字架を前に、執り成しの祈りをしていること。その姿をみながら、次第に熱いものがこみあげてきたこと。そして、シロウテから洗礼を受けて、シロウテと同じ信仰に生きるものとなったこと。最初は隠していたが、次第に、内側からこみあげてくる熱いものに抗しきれず、「我等、いくほどなき身を惜しみて、長く地獄に堕し候はん」という思いが募って沈黙を守ることができなくなったこと。

長介とはるは、キリシタン屋敷の役人に告白するのです。

キリシタン屋敷の中に幽閉中に、宣教師シロウテが、キリシタン屋敷の囚人の世話をする「非人」、長介とはるを入信させたことを知った幕府は、シロウテ、長助、はるを別々の牢屋に繋ぎます。

シロウテは、「其真情破れ露はれて、大声をあげて、ののしりよばわり(キリシタン屋敷の役人にはそのように聞こえた)、彼夫婦のものの名を呼びて、其信を固くして、死に至て志を変ずまじき由をすすむる事日夜に絶ず・・・」と、記されています。

宣教師ヨハン・シロウテは、座って身を容れるだけの数尺の牢に閉じ込められます。

キリシタン弾圧の際に使用された一辺数尺の牢(3尺牢)は、津和野のキリシタン殉難の地「乙女峠」にそのひな型が展示されています。ヨハン・シロウテは、立つことも、横になることも、姿勢を変えることもできない数尺の牢の中で、わずかな粥以外何も与えられませんでした。

シロウテは、泣きながら、日本人は残酷である・・・と訴えたといいます。

しかし、シロウテの言葉に耳を傾けるものは誰もなく、シロウテは、「牢番の者両人に、切支丹宗門を勧め入たるよし」(『長崎実録大成』)を以て、「冬月極寒の砌、凍死せし・・・」(同書)と言われます。シロウテの死因は、「凍死」とも「餓死」とも「病死」とも「憤死」とも伝えられています。シロウテの死は、おそらくそのすべてに該当したのでしょう。長助とはるが獄中で病死した2週間後のことでした。

幕府は、キリシタン弾圧の必要性を再確認し、キリシタンの探索・摘発・糾弾の機関としての宗教警察機能を担う「穢多」制度を、あらためて、再整備していきます。

津和野の乙女峠を訪ねる都度、私と妻は、いつも涙ぐみます。

「もし、そこに救われるべきひとりの人がいるなら、神は、多くの犠牲をはらって、そこに宣教師をおくりたまわん」。

江戸の小石川のキリシタン屋敷に生涯軟禁状態におかれ、江戸の庶民から見捨てられたような日々を過ごしていた「番人」の老夫婦・・・、幼き日に芽生えたキリスト教信仰を棄てることなくその救いのために、神は、はるか遠く地より宣教師をおくりたもうた・・・、キリシタン弾圧の背後に神の愛を見る思いをするからです。

近世幕藩体制下の司法・警察である「番人」の中から「キリシタン」が生まれる、「なぜこのような事情が生じたのかは、重要かつ興味深い研究テーマである」(寺木伸明)が、キリスト教信仰の何たるであるかを十分に把握しない限り、解明することは難しいと思われます。日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を払拭しないと、闇の中に輝く目にみえない光を認識することはできないのです。(被差別部落出身だから、差別されたものの痛みや苦しみが分かるというのは、幻想に過ぎません。被差別部落出身者ではないからこそ、見える差別の痛みというものも存在するのです。)

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