2021/10/03

第2八鹿高校事件・・・

第2八鹿高校事件・・・


山口県に赴任してきて、教区の同和問題を担当していたある日、ある名簿を入手しました。

その名簿は、筆者が所属している宗教施設のある「大字」の全世帯主の名簿でした。その名簿は地番順にならんでいます。その名簿には、筆者の前々任者の名前が掲載されていることから判断して、同対審答申以前に作成された名簿であることは一目瞭然でした。

その名簿には、旧「部落名」(2個所)が記載されていて、市内の全被差別部落とその住人(世帯主)を識別することが可能でした。その人は、「必要なら、住民票の写しを全部差し上げることもできます」ということでした。

その頃、郵便受けに「赤旗」と「○○中学校差別事件」のチラシが入っていました。

「中学校教師を解放同盟が深夜まで糾弾!」「教育現場に混乱をもちこむ解放同盟」「生徒の眼の前で怒号と暴力」「驚くべきことに糾弾会で、教育長が司会を!」「校長糾弾会直後に九日間入院」「同和行政にあらたな障碍を作り出す解同の糾弾」「いそがれる生徒を大切にする教育条件整備」等のセンセーショナル言葉が羅列されていました。

のちに、新聞「赤旗」で、日本共産党が、「第二八鹿高校事件を未然に防ぐ」と大々的にキャンペーンしていましたので、そのチラシは、日本共産党の市議や活動家によって書かれたものであることは明らかでした。

「○○中学校差別事件」と何なのか。

いろいろな人に尋ねても、それが何なのか、具体的には何も分かりません。そんなある日、市役所の職員(被差別部落関係者)から、「○○中学校」校区に該当する「大字」全所帯の名簿を入手したのです。移住してきて間もない私に、市役所の職員が、全被差別部落の世帯を識別できる名簿を手渡し、必要があれば、全世帯の住民票の写しを手渡してもいいと言われた、本当の理由は分かりませんが、「余所者」に、「当市の問題には関与してほしくない」という表明なのかも知れない・・・、と漠然と受け止めていました。

周南地区だけでなく、山口県全域で、このような類の名簿が行政から流れ出していることは、決して珍しくないそうで、部落解放運動をしている人達にとっても「お手上げの状態である・・・」ということでした。

あるとき、その名簿の解析をしたことがあります。

「被差別部落世帯主名簿」・「住居地図」・「電話帳」を使って、被差別部落の家庭が、どのように被差別部落を離れて、市内の一般地区に移住していったのか、被差別部落の人々の住所の移動・拡散状況を確認するためでした。

周南地区にあっても、「被差別部落に住むから差別される、被差別部落から離れたら差別されない」と考える人々はたくさんいます。しかし、被差別部落から離れることで、本当に、差別されなくなるのかどうか・・・。新しく作られた団地の方が、かえって、より厳しい差別に晒されると証言する被差別部落の人々も少なくないのです。

私が市役所の職員から入手した(正確には、市役所の職員が筆者に強引に押しつけた)名簿のようなものが、いたるところに存在しているとしたら、被差別部落の人々は、どんなに住所を変え身を隠そうとしても、本質的には、被差別部落出身であることを隠すことができないのではないか・・・と、思わされたのです。

5年単位、10年単位で、被差別部落の世帯の住所を追跡して分かったのは、一度、被差別部落を離れた人も、また、被差別部落の中に舞い戻ってくる事例が多いということです。

地方の小都市にあっては、被差別部落の人々は、その住所を一般の側に移しても、「差別されない」という保障は何もないのかもしれません。

山口赴任してきて、数年たったとき、ある葬儀を頼まれました。

夕方に、その家を尋ねて、葬儀の打ち合わせをするために、遺族の方が集まるのを待っていたのですが、喪主となる長男の方がいつまでたっても姿を見せません。結局夜遅くまで長男の方が帰ってくるのを待っていたのですが、やっと、帰ってきた長男の方に、なぜ、遅れたのか尋ねると、「帰るべきか帰らざるべきか」、すごく、呻吟していたというのです。

彼は、妻子と一緒に新しい団地に住んでいましたが、被差別部落の中で行われる、父親の葬儀の喪主になると、「自分が被差別部落出身であることが知られてしまう」ということを畏れたため悩み苦しんでいたのです。苦労して、やっと、被差別部落を離れることができたのに、父親の葬儀の喪主にならなければならない事態に、彼の人生設計は大きく狂ってきたのでした。夜遅くになってではありましたが、結局、彼は、帰ってきて、喪主をつとめました。

被差別部落の人が、被差別部落を捨てる場合、自分たちの家族だけでなく、一族郎党すべてが被差別部落を離れないと、このような事態に直面することになるのかもしれません。

筆者は、「○○中学校差別事件」というのは何なのか、市立図書館の郷土資料室を尋ねて、市議会の議事録を閲覧しましたが、それに関する記事は見いだすことができませんでした。同じ時期に市議会で取り上げられていたのは、商工会議所で、同和対策事業関係者の名簿が自由閲覧されていたということの問題点の指摘でした。「同和対策事業」の恩恵に預かるものは、その名前が公表されていたのです。

私は、機会あるごとに、被差別部落の中にある隣保館を尋ね、資料やパンフレットを収集しましたが、中には、同和対策事業費の受給者名簿が含まれていました。

山口県内の市町村の隣保館の場合、周辺は混住化が進んでいますので、隣保館で行われる生花・茶道・詩吟等の教養講座は、一般の人々も多数参加します。その受付窓口で、そのような資料が展示されてあって、「ご自由にお持ち帰り下さい」と札が下げられてあったのです。

同和対策事業費だけでなく、同和奨学金の受給者の一覧表も、同じような形で配布されていたのです。

私は、窓口の職員の方に、指で、「同和奨学金」という言葉を指しながら、「これ、いただいてもいいのですか」と念を押したのですが、職員の方は、「ええ、いいですよ。一般に配布している文書ですから」ということでした。

「○○年度の同和奨学資金高校の部は、○○○○・・・、大学の部は、○○○○・・・」、おそらく実名でしょうから、「個人情報漏洩になるのでは・・・」と思いつつ、「なぜ、差別事件にならないのだろうか・・・」と不思議な思いを持ちました。

市町村の隣保館は、それぞれの市町村の同和対策事業がこのように展開されていますと、具体的にその成果を公表しているつもりなのかもしれませんが、私には、その行為そのものが、「差別的」であると思われました。

山口県は、本当に不思議なところがあります。

言葉だけが先行して、内実がほとんど伴っていないのです。

「○○中学校差別事件」について、新聞『赤旗』が、「八鹿高事件を未然に防いだ」と、地元の共産党市議団の戦績を繰り返し報道していたのは、解せない思いがしました。日本共産党は、部落解放同盟を潰すことには熱心であるが、部落差別そのものを無くすことには無頓着ではないのかと感じさせられたことも度々あります。

私は、私の方からお願いして、市民の立場で、部落解放同盟と山口県教育委員会や市町村行政との間で行われる「糾弾会」に陪席させてもらいました。日本共産党が云う、部落解放同盟が「糾弾」の場面で、学校の教師に「水をぶっかけたり、土下座させたり」している場面を是非とも自分の眼で確認したかったからです。

計7~8回陪席させてもらいましたが、一度たりとも、学校の教師に「水をぶっかけたり、土下座させたり」している場面には遭遇しませんでした。

しかし、日本共産党のチラシは、以前として、「解同」の「常軌を逸した」行動として報道していました。新聞『赤旗』の記事は、「賤民史観」以上に、まっかなウソの羅列、事件の捏造のような気がしました。こんな政党が天下をとったら、世の中、恐怖政治がはじまると思わされたのです。共産党シンパの教区の先輩の宗教教師の傲慢で横柄な態度を重ね合わせて、ますます、日本共産党が嫌いになりました

学校の教師による差別事件が発生した場合、ひとつの差別事件に数回、交渉の場がもたれました。私は、一般市民の立場から「陪席」を続けたのですが、よくこんな会話を耳にしました。
「あなたのクラスには、部落の子どもは何人いるんですか」。
「知りません」。
「部落の子どもが何人いるか知らないで、同和教育ができるのですか」。
「あとで調べてみます」。
「あとでではなくて、いま調べなさい」。

そう言われて、学校の校長・教頭から、調査の結果が報告されます。
「当校には、○○名の部落出身の子どもがいます」。
「この先生のクラスには何人いるのですか」。
「○○と○○・・・の○○名です」。

私は、市民代表として陪席させてもらっているだけですから、質問をすることはできませんでしたが、もし、質問を許されたとしたら、「何ですって?学校は、誰が部落の子どもかいつも確認できる状態にあるのですか」と訊ねたことでしょう。

「誰が部落出身であるか」、市町村の行政担当はすべて知っている・・・。
知った上で、同和行政を実施している・・・。

被差別部落出身ではない、ただの一般市民でしかない私にとっても、学校の関係者から出てくる言葉は驚かざるを得ませんでした。

この『部落学序説』(削除原稿)の中で記した、「同和牛乳」というのは、両親には何の連絡もすることなく、同和対策事業の一貫として、被差別部落の子どもたちの健康増進策として、保育園に通っている、被差別部落の子どもたちに直接提供されたものでした。行政は、「同和対策事業」や「同和教育」の名目で、ずいぶん、ひどいことを平然とやってのけていたのです。

行政の差別的体質を厳しく批判するのは、「地対協」の磯村英一でした。

彼は、その論文の中で、このようにいいます。

「行政では職階制というのがある。職務の職階制とも理解するが、最近では、職務の組織と、身分の体制とが混合し、国民の理解を難しくしている。役所と言えば、職務権限に段階-上下という-があるので知られる。地方自治体の首長にも、知事と市町村長は異なるが、それ以外の組織は局部課長、さらに係長,主任となる。職務の系列による上下の関係である。行政といえば官僚主義、それは職務権限になるが、その影響が、政党の組織にまで及んでいる。委員長・副委員長・書記長・次長等となるが、一部の政党は書記局長を名のる。そしてその集まりを書記局長会議とマスコミは書く。役目は同じで名称だけの違い。なぜ一つの政党のために、そう呼ばねばならないのか。とくにそれが革新を名のる政党だからなおさら奇妙に感じる。さて最近地方行政では、職階の他に身分呼称を使うようになっている。理事・主幹・副主幹・主査等がそれで、それぞれ局長、部長、課長(課長補佐)、係長に相当すると言われるから、いっそう問題が難しくなる。最近では、主幹の部長などというのがある。そんな役人に面会したとき、○○部長と呼んでも返事をしないものがある。○○主幹といわないといけないようで、まさに噴飯ものである。同和行政を担当する組織も多様である。部・課・係は一応の体制だが、室があったり、それに主幹・主査の身分地位が平行する。何のための差別をなくす行政かといった皮肉な発言も出てくる。同和行政の組織だけを特別にしろなどといっているのではない。官僚組織に依然として残っているとみられる、国民の理解を複雑にするような身分制度を併用するような準封建的な階層制度は、人権尊重を称える同和行政の精神を受け入れ、反省すべきだというのである」(1986年)。

磯村発言から20年が経過しましたが、行政も政党も、教育機関も、磯村に指摘された体質を一向に改善している兆しはありません。むしろ、強化されているような気がします。33年間15兆円という、途方もない歳月と巨額な税金を使ってなされた国家事業について、やはり、市民的レベルでの検証が必要であると思います。その資金は、本当は、どのように流れて行ったのか。政党や企業に、教育現場に不正に流れていったのなら、不正流出した市民の血税は取り戻されるのが当然であると思います。不正流出に手を貸した公務員は更迭・弾劾されてしかるべきです。

いまからでも遅くはありません、不正支出されたり、不正に流用された同和対策事業費や同和教育費を回収して、それでもって、同和対策事業終了後も依然として存在する部落差別(「心理的差別」)を取り除くための費用にすればよい。事業の拡大のためではなく、差別そのものを取り除く費用として善用したらいいと思います。

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