2021/10/03

「部落」と「暴力団」に関する一考察 2 「穢多」と「博奕」の関係事例

「部落」と「暴力団」に関する一考察 2

「穢多」と「博奕」の関係事例・・・

布引敏雄氏の「長州藩部落史年表」において、「博奕」が登場してくるのは、元文5年(1740)のことです。

【事例1】
元文五年(1740)
閏7月 萩町人市兵衛博奕につき、萩追放。立帰りの後、渡世に困り非人小屋をたより賃夫等を行う。無断で立帰るに付き、牢舎。(常御仕置帳)

ここで、「博奕」という罪を犯したとして、逮捕、裁判にかけられ、「萩追放」(萩城下追放?)の刑を言い渡されているのは、萩城下の町人・市兵衛という人物です。

長州藩の法令集のひとつ、『二十八冊御書付』に掲載されている正徳3年(1713)の史料によりますと、「天下一統の御法度」として、ことさらあらためてとりあげる必要もない・・・、と言われている「博奕」という罪を犯した人々として想定されているのは、代官・与力などの藩士や、その支配下の同心・目明し・穢多・非人などの武士支配の身分ではなく、彼らによって支配されていた町人・百姓身分の人々です。

「往還筋其外端々ニ商人なとゝ号し、或屋宅を構、或借家ニ居、渡世の品強不相見、送光陰候者」は、「盗人・はくち打」の類として、庄屋・畔頭等村方役人に取り調べを命じています。

「博奕」が、近世幕藩体制下の重大な犯罪のひとつであることは、「博奕」をするものが、「盗人」と同列に置かれていることから見ても確認することができます。「博奕」に関わるものは、「百姓の名子・門男・小商人・漁師」の外、「浪人」等も含まれます。

庄屋等の村方役人は、「宗門究」の制度である「五人組」を用いて、盗人・博奕、また盗人宿・博奕宿を営んでいるものを摘発せよと藩から命じられています。もし、「五人組」の中に、そのような人がいたら、即刻申し出るように百姓に指導せよ、というのです。もし、「五人組」で、組みの者をかばい立てするようなことがあれば、「残四人同罪」に処すというのです。

これらのことから考えても、近世幕藩体制下の「穢多・非人」は、司法・警察官としての職務の遂行上、「博奕」はほとんど無縁の話でしかなかったのではないでしょうか。「穢多・非人」が「博奕」に関与するというのは、その犯罪に関する情報収集、内偵が目的であって、「博奕宿」で「博奕」を楽しむ・・・、ということはあり得なかったと思われます。

【事例2】
元文5年から12年後の宝暦2年(1752)、「博奕打」の「清常太郎右エ門」が、「山口羽坂」の穢多に接触したということでおとがめを受けています。

近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての「穢多・非人」は、法の執行官です。現在の警察官とほぼ同じ社会的地位にあったと思われますが、司法・警察官とねんごろになって、便宜をはかってもらおうとする輩は、昔から存在していたようです。彼らは、金・酒・女・・・、などの手段を駆使して、司法・警察官の抱え込みをこころみますが、それを許して、「穢多」と「博奕」との間の癒着を許したのでは、近世幕藩体制下の法的秩序を維持することはできません。そこで、幕府・諸藩は、司法・警察官である「穢多・非人」と、百姓・町人・浪人などとの接触を禁じていたのです。

ところが、宝暦5年(1755)、とんでもない事件が発生します。

【事例3】
こともあろうに、「穢多」(三田尻宰判の穢多)・「非人」(美祢の宮番)が、美祢郡嘉万村百姓喜右衛門宅にて、「その他多数の人」が集まって「博奕」を行うという事件が発覚、その「博奕」にかかわったものは、みな「牢舎」を命じられているのです。「博奕」には参加していなかったが、その場に「同座」したとして、吉田宰判百姓・八左衛門は「郡退」をめいじられています。

【事例4】
それから、42年後の、寛政9年(1797)、吉田宰判内で、「宮番・垣之内・非人の所へ行き、賭勝負をする平人がいる」ということで、萩藩は、吉田宰判代官に、「宮番・垣之内・非人」は、「今後は交際しないよう」彼らを指導するよう訓告処分を受けています(部落史研究者は、「今後は交際しないよう」という文言から彼らは差別されていたいたと主張します・・・)。「博奕」の誘惑に勝てず、違法行為に走った「宮番」の名前・五郎右衛門の名前が記されています。

【事例5】
さらに69年後の文政7年(1824)、小郡宰判の、司法・警察官の「穢多・非人」の相次ぐ不祥事をきっかけに、問題を引き起こした穢多村の穢多「五五人署名捺印の請状を提出」することを余儀なくされますが、その項目に、このようなものがあります。「博奕を行うものがいたら報告する。百姓がえたの所にきて博奕する時は密告する」。

布引敏雄氏が、その「長州藩部落史年表」において、近世幕藩体制下の長州藩の各種裁判記録・判例集の中からどのように事例をピックアップされているのか、確認することはできませんが、当時の司法・警察官である「穢多・非人」が、法を犯してまで、「博奕」に走り、「博奕打」である町人・百姓身分と交わるということは、極めて稀な、例外的なできごと、衝撃的に世の中を騒がせるできごとであったと思われます。法を守るべき司法・警察官が法に違う行為にはしる・・・、多くの民衆の批判を受けることになったのではないでしょうか・・・。

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