2021/10/05

非差別の彼岸への旅立ち・・・

 被差別の彼岸への旅立ち


山口県北部の寒村にある、ある「被差別部落」・・・。

それは、「未指定地区」のひとつです。

その「被差別部落」は、江戸時代の史料や、それに関する論文の中には、「穢多屋敷」のあった場所として登場してきますが、明治以降の文献の中には、ほとんど見当たりません。水平社運動にも参加した記録はないし、戦前戦後を通じて、その被差別部落をめぐって、融和事業や同和事業が展開されたという記録もありません。

山口県教育委員会が作成した『山口県同和対策の概要』(昭和39年8月)というガリ版刷りの冊子の中に、「同和関係地区一覧表」や「同和関係地区一覧図」というのがありますが、その「被差別部落」はその中にもカウントされていません。その「被差別部落」は、「特殊部落」・「細民部落」・「未解放部落」という言葉が相応しくない「被差別部落」でした。近世幕藩体制下の「穢多村」がそのまま、時間を飛び越えて現在に息づいているような「被差別部落」でした。

筆者たちが聞き取りをしている間、浄土真宗の住職も、被差別部落の古老も、歴史や部落解放運動の専門用語を一度も口にされることはありませんでした。また、歴史学の学説や部落解放運動のテーゼに触れられるということもありませんでした。彼らは、一般的なごく普通の言葉、自分たちの生活の言葉で、それぞれの思いを話してくれたのです。彼らとの出会いが、筆者のこころの中に深く残っているのは、彼らの語る言葉が、一言一言、江戸時代を三百年間生き抜いてきた、そして明治になってからも、その歴史を捨てず、所与の人生を引き受けて生きてきた・・・、という歴史の重みを持っていたからです。

私は被差別部落出身ではありません。私も妻も、実家の宗教は、真言宗です。「真言百姓」と言われますが、どこにでもいる、正真正銘の百姓の末裔です。

筆者は、部落差別問題にかかわるようになって、はじめて、部落問題や部落解放運動の用語、部落史の専門用語を覚えました。時々、「そんなに熱心に部落差別問題と関わっていると、被差別部落の人に間違われるよ」と忠告を受けたことがあります。宗教教団の中で、部落解放運動をしている上司から、「君、うそでもいいから部落民宣言をして私たちの仲間にならないか・・・」と誘いを受けたこともあります。部落解放運動の世界では、「差別」と「被差別」の敷居はそんなに高くないらしい・・・、とそのとき、はじめて知りました。
 
しかし、あの浄土真宗の住職や被差別部落の古老の語る歴史の重みを考えるとき、「差別」と「被差別」の間は、被差別部落出身の部落解放運動家が安易に考えているように、その境界を簡単に飛び越えることができるたぐいのものでないことに気づいていましたから、筆者が所属している宗教教団の「上司」の誘いにのることはありませんでした。。

部落差別問題に関わるようになって、何の懸念も持たなかったわけではありません。部落差別問題に関わるようになって、同じ宗教教団に属する教師や信者の間の人間関係がぎくしゃくしてきたし、筆者が所属している「分区」の上司からは、様々な場面で、露骨に、疎外・排除されるようになっていったからです。度々の嫌がらせに、上司に「殺意」さえ抱いたことがあります。それほど、徹底的な疎外と排除にさらされていたのです。そのとき、筆者は、「ああ、被差別部落の人々は、こんな形で差別を受けているのか・・・」と、被差別部落の人が経験するであろう疎外と排除を「想像」上で追体験して行きました。その上司は、「部落出身者を部落民として差別するのはいけないが、部落出身者でないものを部落民として差別しても差別したことにはならない」と言い放っていました。筆者は、所属する宗教教団の教師を辞めることはしませんでしたが、その「分区」の教師会からは離脱しました。離脱したまま、今日に至っています。

山口県北部の寒村を尋ね、浄土真宗の僧侶や被差別部落の古老から話を聞いたとき、筆者は、「差別」と「被差別」は、厳しく峻別されていて、両者の関係は決してあいまいにすることができないものだ・・・、と思うようになりました。浄土真宗の僧侶や被差別部落の古老から話は、「差別」・「被差別」の關係の厳しさを物語っていました。彼らの語る歴史を前提に考察するとき、ある意味で、「差別(真)」は「被差別(真)」になることはできないし、「被差別(真)」は「差別(真)」になることはできないと考えるようになっていったのです。筆者は、どう考えても、被差別部落の古老の生き抜いている歴史、近世幕藩体制下の藩の牢屋に仕える長吏として、300年間という長期に渡って生き抜いてきた歴史、そして、明治新政府のもとで、「身分・職業」を奪われ、差別されるようになって百数十年・・・、先祖の歴史を否定することなく、世の差別の流れの中で砕け散ることなく、差別の風雪の中で自ら崩壊することなく、村の高台に身を置いて、ずっとその村を見守り続けている・・・、そんな彼らの歴史を、私物化して、自分のものとすることなど絶対にあり得ないと思われたからです。「差別(真)」は、「被差別(偽)」になることはできないのです。

その歴史を引き受けて生き抜いている、浄土真宗の住職や被差別部落の古老に対して、筆者は、尊敬の念すら持たざるを得ませんでした。

差別とは何なのでしょうか。それは、被差別に置かれた人々から、彼らの本当の歴史を奪い、その歴史に代えて、「賤民史観」という、なんともおぞましい、希望のない歴史や歴史観を押しつけることではないでしょうか。被差別に置かれた人から、彼らの本当の言葉、歴史や人生の物語を奪い、そのあとで、権力者や政治家、学者や教育者がつくりあげた「賤民史観」という幻想を、さも歴史の事実であるかのように押しつけ、強要すること、それこそが差別というものではないかと思われたのです。

それは、近代日本が、被差別部落の人々に対してだけでなく、近代日本の国策の中で、朝鮮半島や台湾、樺太、太平洋戦争の最中のフィリピン等東南アジアの人々に対してとった「ふるまい」と同じ類のものではないでしょうか。近代中央集権国家によって作られた近代的「部落差別」は、朝鮮半島や台湾、樺太、太平洋戦争の最中のフィリピン等東南アジアの人々から、彼らの生まれながらの言葉・国語を奪い、歴史を奪い、日本語と日本の歴史・皇国史観を押しつけ、臣民化、皇民化政策をとった、日本の近代化の中の悪夢と同じ構造の中にあります。

山口県北部の寒村に生きる、浄土真宗の住職や被差別部落の古老との出会いが、私にもたらしたもの・・・、それは、差別されてきた歴史をになう彼等に対するあわれみや同情の思いではなく、彼らに対する「尊敬」の思いでした。所与に歴史を引き受けていきている彼等に対する「尊敬」の念が、筆者の『部落学序説』全編に渡って、地下水脈のごとく流れているのです。筆者をして、権力者の民衆・人民に向けられた「愚民論」に満ちた「賤民史観」を廃棄させ、その「賎民史観」から自由になっていると思われる学者・研究者・教育者の「学説」や「理論」、「史料」や「文献」の中から、被差別部落の本当の歴史を読み解く鍵を抽出せしめることになったのです。

被差別部落の古老の精神世界に通じる道・・・。

それは、権力者や政治家、学者や教育者が、極めて巧妙な方法で作り上げた「賤民史観」という幻想の向こう側に存在していたのです。差別なき社会を願うものは、自分の足で歩いて、差別の海を、差別の此岸から、「賤民史観」という、人間の作り出した最悪の、悪臭の漂う海の底を超えて、非差別の彼岸へと旅立ちをしなければならないのです。

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