2021/10/04

新けがれ論(詳説)

 新けがれ論(詳説)


「常と非常」によく似た概念の組み合わせに「日常と非日常」があります。

「常と非・常」と「日常と非・日常」の区別は、時として、混同されて使用されています。この二つの概念の組み合わせは、決して同じものではありません。

「日常」の世界と「非・日常」の世界は、私たちが日頃経験する世界です。

「日常」は、多くの民衆の間に行われている極一般的な毎日の生活のありようを指します。一般の社会人ですと、朝起きて、お布団たたみ、着替えて、顔を洗い、朝の食事をして、ゴミ袋を町の所定の場所に棄てます。駅まで歩いて行って、電車に乗って、職場に通います。職場についたら、一日の仕事の準備をして、朝の朝礼を経て仕事に入ります。昼には、昼食。午後はまた仕事に戻ります。5時がきたら、仕事を終える作業をして、退社する旨あいさつして職場をでます。また電車にのり自分の住んでいる駅に、帰り際に、スーパーによっていろいろ買い物をして、帰ったら、食事の準備をしながら、お風呂の準備をします。テレビを見ながら夕食を食べて、お風呂にはいって、リラックスする趣味の時間を過ごし、最後に日記をつけます。そして12時がきたら寝室にはいって寝ます・・・。と、いったことがらは、毎日毎日繰り返されることがらですが、これを「日常」といいます。

「日常」のありようの中には、「週日」と「週末」があります。

「週日」は、労働の毎日ですが、「週末」には、労働から解放されて「休暇」を楽しみます。その「休暇」は、寝て過ごしたり、図書館に行って本を読んだり、ドライブしたり、外食したり、また友人と会話を楽しんだりします。「休暇」を経ることで、再び、活気ややる気を取り戻して、次の月曜日、また「労働」を中心とする生活に入っていきます。

「労働」の日も「休暇」の日も、「日常」の中に含まれます。

この「日常」を「ケ」といいます。

この「日常」のサイクルは、個人的にも社会的にも障碍となるできごとに遭遇する場合があります。

個人的レベルでいえば、体調を崩して病気で入院。自分が入院しない場合も、家族の誰かが入院して、職場を休んで、その看護をしなければならない場合があります。親族の誰かが、なくなって、葬儀に参列しなければならない場合もあるでしょう。そういう場合は、「公的」に「職場」から離れることが許されていますが、社会的レベルで言えば、会社が倒産したり、自然災害で通勤が不可能になったりする場合があるでしょう。「ケ」を阻害する要因を「ケガレ(気枯れ)」といいます。ケガレの状態は、その他にも、仕事に対する意欲喪失や人間関係のトラブルに巻き込まれて精神的にまいることも含まれるでしょう。このような、日常生活からの逸脱を「非日常」といいます。「非日常」の世界の「ケガレ(気枯れ)」の状態に陥ったときには、個人的にも社会的にも、「ケガレ」から脱却する必要がでてきます。

この「ケガレ」から脱却、社会的制度として実施される「ケガレ」からの脱出方法を、「ハレ」といいます。この「ハレ」は、「非日常」の世界の淨化作用であるといえます。人々を「非日常」の世界から、もう一度「日常」の世界へ連れ戻す機能を持っています。一般的には、年に何回か実施される、祭りがあげられます。寺社を中心にしていろいろな種類の祭りがあります。村落共同体を中心とした祭りもあれば、家族単位で行う盆・正月といった祭りもあります。雛祭りとか端午の節供とか、家族の特定の一員を対象に行われる祭りもあります。民俗学では、お祝いだけでなく、葬式というような行事も「ハレ」に数えられます。葬祭という「祭り」であると考えられます。

この「ケ」→「ケガレ」→「ハレ」→「ケ」・・・という民衆の生活の、循環的ありようが生成される場のことを「常」(じょう)といいます。「常」とは、権力によって、法的措置のもと、民衆が許可されている所作のことをいいます。

それに対して、権力によって、法的措置、お触れや内規によって禁止されている所作のことを「非常」(ひじょう)といいます。近世幕藩体制下の「村」は、「ケ」の状態である普通の日々は、村民が村境を越えることはゆるされませんでした。村境を越える、村を出ていくという営みに際しては、村役人である庄屋の許可を必要としました。通常、この村境を越えると、近世の駐在所のお巡りさんにであって、正当に村境を超えたかどうか、取調を受けることになります。

この場合ふたつのことが限られます。

代官所によって許可された祭りへの参加、あるいは旅芸人の催す芝居を見るために許可された範囲でこの村境を越えるのであれば、それは、「日常」の「ハレ」に属することになります。しかし、夜逃げをしたり、抜け荷のためにそっと村境を越えようとすると、近世警察官たる穢多によって捉えられ、逮捕され、そして、番所に引き立てられ、代官所で裁判にかけられ、お仕置きを受けることになるでしょう。民俗学者が指摘するとおり、村境は、祝福と呪いの共存する場所でもあるのです。

当時の権力によって容認された「越境」の場合は、何もなかったかのごとく、村民は自分の村に戻ることができます。

しかし、権力によって容認されていない、禁止されている「越境」の場合、藩のお触れ(法)に抵触したということで、近世警察である穢多によって捕らえられ、取調を受けたのち白州に引き出され、裁判を受けたあと、犯した法的逸脱に応じてお仕置きを受けることになります。

「法的逸脱」を「ケガレ(穢れ)」といいます。

「法的逸脱」とその「違背処理」は、「非常」の世界に関係しています。

そこでは、「常」の世界とは別な世界が存在します。「常」の世界では、村民は、「穢多」から権力的な抑止をかけられるということはありません。もし、「穢多」が、課せられた職務の範囲を超えた所作をすると、お触れ(法)に対する違反として、「穢多」は重い「お仕置き」を受けることになることでしょう。場合によっては、その穢多に対して、「ところばらい」のお裁きがでる場合があります(穢多が犯罪を犯すと穢多村から追放されるのです=「賤民史観」では理解できないことがらです。この場合、「賤民史観」は、「例外事項」というばば抜きカードで排除してしまいます)。

村民が、村境を不法に越境したことを認めない場合、「穢多」による「お仕置き」が待っています。近世幕藩体制下では、犯罪の立証は、証拠だけでは不十分で、犯罪を犯した本人の自白が必要でした。よく、近世幕藩体制下の警察機構では、「証拠よりも自白が重んじられた」といわれますが、それは違います。正しくは、「証拠だけでなく、自白も必要とされた」というのが歴史的に正しい認識です。

ですから、近世幕藩体制下での「拷問」は、犯行を否認する犯罪者のみに実施されたのです。「非常」の世界に迷い込むと、「常」の世界では経験することのなかった、「逮捕、取調、裁判、お仕置き」という一連の、藩権力による、「法的逸脱」をしたものに対して、「違背処理」が行われます。日本の古代・中世・近世の警察機能としての「違背処理」は「キヨメ」という言葉で呼ばれてきました。「キヨメ」というのは、「ケガレ(穢れ)」という法的逸脱状態にあるものをもう一度「常」の世界に復帰させることを指していました。

「常」の世界が、「ケ」→「ケガレ(気枯れ)」→「ハレ」→「ケ」・・・という循環にあるのに比して、「非常」の世界は、「ケ」→「ケガレ(穢れ)」→「キヨメ(お仕置き)」→「ケ」・・・という循環の中に置かれているのです。

現代社会にあって、青少年犯罪が増加する傾向があります。

そして、青少年による「法的逸脱」は、しだいに低年齢化して、その逸脱の内容もより深刻なものへと変わりつつあります。警察・司法関係者によって、それなりの研究と対策がとられているのでしょうが、なかなか、少年犯罪はなくなりません。少年犯罪が起こる都度、「あのおとなしいこどもが・・・」という、教育者の驚きの声が報道されます。教育者が一様に、ステレオタイプの感想を述べている間にも、少年犯罪は深刻さを増していきます。

何が原因なのでしょう。

私は、今の日本の社会が、「常」の世界の「ケガレ(気枯れ)」と、「非常」の世界の「ケガレ(穢れ)」の区別を教えていないためであると推測しています。「常」の世界と「非常」の世界の区別を教えていない・・・、そこに青少年犯罪の増加と深刻化の背景があるのではないかと思っています。

その分別を知っているはずの親が不在な家庭では、こどもたちの頭とこころの中に、テレビ・新聞・雑誌等を通して「ケガレ(気枯れ)」と「ケガレ(穢れ)」が混同して入ってきます。その結果、「ケ」への回帰策である「ハレ」と「キヨメ」も混同されることになります。

親に対する不満や不平、学校に対する不満や不平という「ケガレ(気枯れ)」の状況を「ハレ」という機能を使ってもう一度「ケ」の世界、日常生活に立ち戻る方法をとらずに、いきなり、「ケガレ(穢れ)」に対する「キヨメ(お仕置き)」へ、この場合は、「私的制裁」のことをさしますが、青少年がじぶんなりに判断した「私的制裁」を親や友人や学校、そしてひろくは社会全体に対して向けてしまうのです。

更にいえば、青少年犯罪増加と深刻化の背景に、「法」に対する「遵守」の意識 の欠如をとりあげることができます。

この国にあっては、「法」を執行する側の、「法」に対する姿勢が病んでいるのです。国の法律を作る側に立つ国会議員が、さまざまな汚職・疑獄事件につながるようなことを平然と行います。選挙を「キヨメ」に見立てて、犯罪を置かしたあとも再選されれば、「みそぎ」(キヨメの儀式)が済んだとして平然とした顔をして政界に再登場してきます。国の法律を執行する行政官も汚職や公金横領、天下り事件を引き起こします。司法・検察・警察という、「非常」の世界に身を置くものが、正しくその任務・役務に対処できていないということが、日本の法社会、法システムに対して重大な影響を及ぼし、民衆の側の「法の遵守」の精神をむしばみ、「不法を容認する」という害毒をまき散らしているのです。

近世幕藩体制下の「非常・民」の末裔は、明治以降の「司法・検察・警察」の職に殉ずる人々のことで、決して、明治以降、その職を解かれた「旧穢多(被差別部落の一部)」に引き継がれているわけではありません。非常民の連続と不連続の問題をあいまいにしないで、正しく認識しなければならないのです。

古代律令制度の「制度外制度」、そこに関わる「身分外身分」といわれた「エジ(衛士)」や「エタ(衛手)」、そして、明治初期まで存続していた「非常民」は、世界刑法史上まれにみる優れた法システムの担い手として、その職務に従事してきたのです。その「非常民」のうち、明治政府がいう優秀なものは、「試験」(密室で行われた人選)を経て、明治の裁判制度・司法制度・検察制度・警察制度の中に組み込んできました。

「由緒正しき穢多の末裔」というのは、現在の被差別部落の住人の中にいるのではなく、現代の司法・検察・警察機構の中にいるのです。山口県警を含む県の職員の中には、「近世の藩士の血をひくものが3分の1はいる」と、山口県の教育委員会の採用試験における「コネ」採用が問題になったとき、県の関係者は、「コネ」採用を取り除くことの難しさを指摘していました。

明治の「非常民」に組み込まれなかった「旧穢多」の一部は、「警察の手下」、「探偵」、「興信所」へとその職業を変えていきました。「興信所」への、結婚相手に対する部落出身か否かの身元調査依頼は、複雑な問題を背後に含んでいます。日本の左翼的な政治活動が、「旧穢多」を巻き込んで行われてきたという歴史的事実も、更に複雑な問題を背後に抱え込むことになっています。

少しく話が脱線してしまいましたが、青少年犯罪の増加と深刻化に対処するためには、私は、日本社会に内在する「常と非常」、「気枯れと穢れ」の区別を正しく教えることが必要であると思います。今の日本の学者・教育者は、「賤民史観」を強制され、その中で、この区別ができなくなっています。「賤民史観」を破棄する、破壊することで、私たちは、自らを自由にし、差別することもされることもない社会を創設していかなければならないのです。

次回は、少々予定を変更して、「長州藩青田伝説」をてがかりに、「長州藩青田伝説」と、歴史学者と教育者、被差別部落の当事者の「賤民史観」と「穢れ」について論述します。歴史の事実をねじ曲げて成立する「賤民史観」は、日本社会の害毒です。取り上げる歴史学者は、大阪明淨大学の布引敏雄教授(文学博士・「日本の歴史」「人と社会(人権)」担当、『長州藩部落解放史研究』など著書多数)。教育者は、元神戸甲北高校長・西田秀秋(全同教・県同教で要職、『長州藩部落民幕末伝説』(社会評論社)など著書多数)、被差別部落の当事者は村崎義正(著作に、部落問題研究所出版部発行『怒りの砂』)です。

この論文は、歴史学者や教育者、被差別部落の当事者の人格に対する直接的な攻撃や批判ではありません。あくまで、彼らの中に存在する「賤民史観」が批判の対象になります。 

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