2021/10/03

穢多に関する6つの命題

穢多に関する6つの命題


「穢多」概念を定義するには、その内包と外延を明らかにする必要があります。

最初、仮説として、内包を明確にします。次に、明らかになった内包を基準にして、それに相応しい外延を確定してい きます。しかし、現実に存在する政治や社会は、複雑な要素が絡み合って動いています。単純に定義できる事象はほとんど皆無であると思われます。そこで、複雑さを縮減しながら、内包と外延を交互に確定していきます。内包を決めたら外延の確定を、外延を確定したら内包を再度検証します。内包に問題や矛盾が発生したら、再度、仮説を立てて内包を決め、また同じような手続きを繰り返していきます。多くの時間と労力を費やして、「穢多」概念定義するときに、筆者が仮説としてたてた命題が、「穢多は非常民である」という命題でした。

この『部落学序説』は、その命題から出発しているといってもいいのですが、その命題が真実らしいというのは、これまで筆者が出会った歴史資料や論文の分析の結果です。それらの史料や資料は、多くの情報を提供してくれました。その情報がなければ、私は、この『部落学序説』を書くことはできなかったでしょう。どの史料や資料も、何らかの価値があります。部落研究・部落問題研究・部落史研究に関与している研究者や教育者、理論家や運動家の説く様々な論説を集め、比較検証し、その論説の淵源と理念を明らかにして、研究対象に対する視角や視座を増やしていくことは、『部落学序説』を執筆するときの筆者の視野を広げてくれます。

これまで文章化してきた『部落学序説』のどの内容についても、その背後には、これまでの部落研究・部落問題研究・部落史研究に従事してきた研究者や教育者、理論家や運動家の見解の比較検証という作業があります。私は、学歴も資格も持ち合わせていませんので、どの学閥や学派にも所属していません。また、国家による高等教育の枠組みという足枷もありません。皇国史観や唯物史観に拘束されることもありません。

当初この論文を書くときに想定していたのは、おそらく、すぐに批判や中傷の嵐にまきこまれるのではないかという危惧でした。しかし、実際は、筆者の想定と違って、ほとんど、『部落学序説』に対して、批判・中傷の類はありませんでした。ときどき、何故なのかと考えさせられましたが、結論は、批判や中傷があろうとなかろうと、部落差別の完全解消を願って、この『部落学序説』を完成させようとした初心を全うするということでした。

最近、この『部落学序説』を読まれた方のために、この論文で、すでに取り上げた命題について要約しておきます。

【命題2】は、「部落学」についての定義です。

部落学は、<穢多は非常民である>という命題を、歴史学、社会学・地理学、宗教学、民俗学の個別科学研究を総合して実施される学際的研究であり、そのことによって部落学固有の研究対象である「部落」の歴史と本質を明らかにし、差別・被差別の立場を問わず、すべての人を<賤民史観>から解放し、日本社会の病巣である部落差別の完全解消に資することを学的課題とする。

【命題1】:穢多は非常民である。

『部落学序説』は、近世の人々を「常・民」と「非常・民」の二つに分類します。近世の人々を「常」と「非常」を識別子として使用します。「非常」は「軍事・警察」に関係した世界ととらえ、「非常・民」を、軍事に従事した非常民と、司法・警察に従事した非常民に分類します。後者の司法・警察に従事した非常民の本体として、古代・中世・近世に存在していた司法・警察たる「衛手」(衛り手=エタ)を想定します。

【命題3】:「けがれ」は、二重定義された概念である。

「けがれ」は、「常」の時には「気枯れ」として、「非常」の時には「穢れ」として定義される。
「非常民」である「穢多」が、その職務上関与するのは、「気枯れ」ではなく「穢れ」であると考えられます。この場合の「穢れ」は、法的逸脱を意味します。歴史資料の中には、この「気枯れ」と「穢れ」が恣意的に使用されているので、歴史資料を分析する際には随時検証が必要になります。

【命題4】:穢多の身分は、役務と家職によって構成される。

『部落学序説』は、幕藩体制下の武士身分が「役務と家職」によって構成されていたのと同じく、武士身分と同じ「非常民」に属する穢多・非人の身分も「役務と家職」によってのみ構成されていたと推定します。「穢多」が何であるのかは、穢多の「役務と家職」を解明することで知りうることができます。

【命題5】:穢多の在所によって、穢多を規定することはできない。

「非常民」である「穢多」の在所は、近世幕藩体制下の権力によって配置されたもので、どのような場所に配置されたのかは、幕府や藩の司法・警察行政上の合理的な判断に基づいています。「穢多」の在所は、「穢多」の派遣先のことで、そのことは「穢多」の身分を規定するものではありません。

【命題6】:穢多の役務の目的は、法の執行である。

「非常民」である「穢多」は、幕藩体制下の司法・警察の直接機関であって、当時の「御法」・「御法度」に従って、その職務内容が規定されています。「穢多」は、当時の法の執行官であって、法的逸脱である犯罪者を違背処理(キヨメ)によって、社会復帰させることを目的とします。

長州藩の歴史資料によると、幕末期の「穢多」は、「非常民」としての職務、近世幕藩体制下の近世司法・警察としての職務の遂行を専らとしています。「穢多」(穢多・茶筅・宮番・非人)は、幕府開府から幕末に至るまでの全期間、古代・中世の司法警察制度の継承者として、その職務に責任と自覚とを以て従事していったと思われます。

「穢多・非人」は、その職務上、「人を屠す」役を課せられましたが、「穢多・非人」全体から考えますと、そのような職務に従事した「穢多・非人」は、極少数であったと思われます。ほとんどの「穢多・非人」は、「人を屠す」職務からはほど遠く、多くの場合は、犯罪者を生きたまま捕亡し、藩の司法機関での裁判を経たのち、法的違背処理である「キヨメ」によって、犯罪者を社会復帰させるべく行為していたのが、近世の「非常民」であり、近世の司法警察である「穢多・非人」の本当の姿であったと確信しています。

それは、幕末期、「穢多」の軍事的部隊として、四境戦争に参加した「維新団」についても同じことが言えます。「維新団」は、穢多によって単独で構成された部隊ではなく、穢多・茶筅・宮番・非人・村方役人・・・等の司法・警察官によって組織化された混成部隊で、彼らは、「維新団」として活躍するときも、彼らの本来の職務を決して忘れることはありませんでした。

幕末期の残虐非道な行為は、藩士によって構成された部隊や、百姓によって構成された「屠勇隊」にあてはまることであって、近世司法・警察である「穢多」の部隊の関与するところではありませんでした。彼らは、四境戦争のあと、「士分取立」の機会を惜しむことなく放棄して省みないことがそのことを示しています。幕末期の長州藩の「穢多」は、毛利藩主が誇る優秀な司法・警察官でした。

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