2021/10/04

北川門下生として

北川門下生として

古島敏雄の『地方史研究法』は、学歴も資格も持ち合わせていない筆者のようなものにも、歴史学がなんであるのか、歴史学の知識や技術をわかりやすく提供してくれます。

筆者は、偉大な学者というのは、そういうものかといつも思っています。

古島は、「地域の歴史を知るためには、そこの歴史をすみずみまで明らかにしてくれる書物がなくても、ばらばらの経験を整理する頭と、努力さえあればよいのである。その頭の根本は、大きくは物事を合理的に考えることであり、さらにその根本は素直に読み、素直に整理していくことにある」といいます。そして、「こういう態度を養う」には、「すぐれた個別研究を努力して読んでみることが必要である」というのです。

筆者にとって、「すぐれた個別研究」に該当するのは、山口県立文書館の元研究員(出会った当時は、研究員)の北川健先生です。北川健先生だけを先生と敬称をつけるのは、部落差別問題に関する集会で何度かお会いし、いろいろ教えていただいたことがあるからです。さらに、筆者は、彼が執筆した論文の大半は精読しているつもりです。彼は、その研究論文において、しばしば、使用する概念の定義について言及しています。

筆者は、部落研究・部落問題研究・部落史研究において、研究成果が、とりとめもない種々雑多な見解の乱立に終わる・・・傾向は、歴史研究を遂行するときの概念が明確に定義されていないためであると思っています。「部落」・「部落民」という、極めて基本的な概念ですら、学者・研究者・教育者の恣意的な解釈にさらされています。Aという学者・研究者の理解する「部落」・「部落民」という概念の外延と内包が、Bという学者・研究者のそれとまったく異なる場合もあります。しかし、部落研究・部落問題研究・部落史研究に携わる学者・研究者・教育者の多くは、「部落」・「部落民」という概念の外延と内包を明らかにすることには興味がなさそうです。

33年間15兆円を費やして実施された同和対策事業・同和教育事業においては、「部落」・「部落民」という概念ではなく、「同和地区」・「同和地区住民」という概念が採用されているのも、その一因かもしれません。

歴史的に考察すると、「部落」=「同和地区」、「部落民」=「同和地区住民」の等式は成立しないのです。「部落」ではなくても「同和地区」指定されている場合もありますし、「部落」であっても「同和地区」指定されていない場合(「未指定地区」)も多々あるからです。「同和地区」指定のあいまいさは、その「同和地区住民」のあいまいさにつながっていきます。「部落」・「部落民」の歴史にかかわらず、中央政府や地方行政によって、「同和地区」・「同和地区住民」の認定がされたら、その地域と住人は、「同和地区」・「同和地区住民」になってしまいます。

逆に、中央政府や地方行政によって、「同和地区」・「同和地区住民」として認定されることで、「部落」・「部落民」ではない人々も、「部落」・「部落住民」という意識を持つようになってしまいます。

「部落」・「部落民」という概念だけでなく、「被差別部落」の属性を説明するときに使用される、「賤」・「穢」・「屠」というような概念についても、学者・研究者・教育者によって、明確な定義がなされないまま、恣意的に使用されている場合が多いのです。部落研究・部落問題研究・部落史研究において、同じテーマが取り扱われたとしても、基本概念のあいまいさが禍して、その研究結果は、十人十色、千差万別となります。

その点、北川先生の論文は、要所要所で、定義(概念・外延・内包)を明示しておられます。筆者は、山口県の「部落史」については、北川先生の歴史研究に負うところが多いのです。

あるとき、北川先生に、「先生の研究を押し進めていったら、結論として、こういうふうになりませんか・・・」、とお尋ねしたら、北川先生は、無学な筆者の言葉を否定されないで、「その可能性はある。私はいままで書いた論文に責任があるから、その論文は君が書いたらいい・・・」と勧めてくださいました。『部落学序説』執筆のきっかけであるだけでなく、『部落学序説』執筆中も、北川先生の影響は大きいものがあります。

筆者の、山口県の「部落史」に関する知識や技術は、北川先生から学んだものです。

筆者は、北川先生の論文を自分の足で歩いて確かめました。彼の書いた論文は、事実でした。筆者は、彼の論文は信頼に足る論文であると思っています。

しかし、同じ文書館で研究員をされていたもうひとりの研究員(布引敏雄)の論文は、足で歩いて確かめると、いろいろ問題があることがわかりました。資料批判が徹底されていないのです。ひとつの事件に二つの異なる文書が残されている場合、彼は、どれが史実に近いか、資料批判という基本作業をしないで、部落解放運動や同和教育の一般的傾向や通説にあわせて、被差別部落の人々を、よりみじめで哀れで気の毒であると思われる方の資料をコメントも付けないで採用しているからです。彼の論文を読むだけならともかく、その論文を自分の足であるいて確かめたという立場からは、彼の論文はそのまま受け入れることができないものを数多く含んでいます。

あるとき、山口県宇部市の「被差別部落」の中にある隣保館で、宇部市教育委員会の主催した集会で講師を頼まれたことがありました。北川先生が講演された次の回で、講演を頼まれたのです。筆者にとっては、いまだに信じがたい体験でしたが、講演を前に、北川先生に連絡して、「私は、学歴も資格ももっていないので、北川門下生を名乗っていいでしょうか・・・」とお願いしたのですが、北川先生は、こころよく、「君ならいいよ・・・」、と了承してくださいました。

もちろん、「北川門下生」を名乗ったのはそのとき一回限りですが、筆者は、そのとき、あらためて、北川先生は偉大な人物だと思うようになりました。筆者のそれまでの経験では、無学歴・無資格の筆者から、少しく関係があるかのような話をすると、多くの学者・研究者・教育者に迷惑がられるのがほとんどでしたから・・・。

宇部市の隣保館での講演は、筆者が被差別部落の中でした、最初で最後の講演でした。筆者は、「文献」と「伝承」をおりまぜてお話をしました。周防国の被差別部落の所在を示す古地図や、筆者が撮影した「穢多寺」の写真をお見せし、「大島恋歌」などの伝承の解釈方法を提示しました。講演のあと、被差別部落の年配の方と青年の方2人が、筆者の話について感想を話してくださいましたが、「今日の講演の内容は、はじめて耳にすることが多かったです。講演を聞きながら、自分たちの歴史は、自分たちで調べなければ・・・と思いました。どのようにしたら、あなたのように、部落の歴史を掘り起こすことができるのか、ぜひ、今日話されたことを文章化して、私たちがいつでも読めるようにしてくだされば・・・」という趣旨のことを言われました。筆者は、そのとき、文章化を約束して帰ってきたのですが、約束したまま、その約束を果たさないで、今日に至っています。

『部落学序説-非常民の学としての部落学構築を目指して』を書き上げたら、その被差別部落の人々にも送付しなければなりません。

部落学序説執筆過程でよく使う手法は、学者・研究者・教育者の論文を比較検証するという方法です。私は、北川健先生以外、学識経験者と名のつくひとと人間的なつながりはありません。無学歴・無資格である筆者には、当然、教授と学生という、教えたり教えられたりというつながりもありません。あるのは、学者・研究者・教育者が書いた「論文」だけです。どの、学者・研究者・教育者の論文を読んでも、筆者の頭の中に、その顔がちらつくということはありません。筆者は、その「テキスト」を前にして、「テキスト」批判に徹することになります。

学者・研究者・教育者の論文の比較をするわけですから、比較元と比較先を名前をあげて明記することになるでしょう。

ある人は、日本では、そのような研究方法は、「歴史学」の研究方法としては、一般的ではないといいます。大切なのは、「歴史学」の学術論文として、それに相応しい様式と手続きを踏んでいるかどうかにあるのであって、研究論文の内容ではないというのです。そのひとの話ですと、「歴史学」においては、場合によっては、歴史研究の相反する結論が、同時に学術論文として認められる場合もあるといいます。学歴も資格もない筆者には、そのあたりの事情はよく分かりませんが、どのような学問であったとしても、「真実」にどれだけたどり着けたかということが最も大切なことではないのか・・・と思います。研究の「手続き」さえよければ、研究の「内容」はどうでもいい・・・、というのは、問題ではないでしょうか。そんなことがまかり通っていれば、日本の歴史学はやがて学問(科学)としての信頼性を失うことになるのではないでしょうか・・・。

『部落学序説』執筆の旅は、すでにはじまっています。

「大切なこと」を忘れていると連絡をくださるひともいるし、それに筆者自身で気づく場合もあります。無学歴・無資格の筆者であるゆえ、これからもいろいろな錯誤に陥ることもあるでしょう。しかし、だからといって、『部落学序説』の執筆に反対しておられる方々の要望にそって、この論文の執筆を断念することはできません。『部落学序説』の執筆をはじめてすぐ、「折り返し不能点」を超えてしまった感があるからです。始めた旅を、旅の目的地にたどりつくまで、続けなければなりません。無学歴・無資格ゆえに、旅に必要な十分な装備がなくても、『部落学序説』執筆の旅を最後まで続けようと思います。装備の不備は、必要に応じて、現地調達すればことたりるのですから・・・。

大切なのは、はじめた旅を続けることです。

そして、目的地にたどり着くことです。


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