ほんとうの挨拶
「学問」の世界には、「学会」なるものがあって、そこで、個別科学研究の成果の共有が行われているそうですが、「学問」の世界とはほとんど無関係な私は、「学会」なるものに一度も参加したことはありません。
ある人から聞いた話では、医学会では、「学会」での発表は、発表者ひとりにつき10分程度の時間しか与えられていないとか・・・。10分で、発表される研究の目的・研究方法・研究成果のすべてを、「学会」の聴衆に伝えなければならないのですから、相当、熟練が必要であると想像されます。
10分間の発表で、「学会」の聴衆に受け入れられる背景には、発表者と聴衆の知的レベルがほとんど同じで、両者の間に、共通の知的基盤が確立されている場合でしょう。これまでの研究成果と今後の課題がはっきりと共有されている場合は、その新しい研究成果のみを強調すればいいわけですから、10分間の発表で十分なのかもしれません。
しかし、この『部落学序説』の筆者と読者の間には、そのような前提がありません。
筆者は、無学歴・無資格、しかも、独学という個性に満ちた方法で説を唱えているのに反して、このブログの読者は、学歴も資格も持ち合わせている方々ではないかと思います。
しかも、筆者は、部落史研究の共通基盤である「賤民史観」を破棄して、新しい学的論述を提案するという趣旨で『部落学序説』を書いているものですから、つい、言葉が多くなってしまいます。
最初は、岩波書店の新書版1冊分で『部落学序説』をまとめようとしたのですが、すでに、原稿用紙300枚分を突破してしまいました。原稿を書きながら思うのですが、どのページも、『部落学序説』全体を念頭にいれながらタイピングしていかなければなりません。書き下ろしの場合、「照尺三千キロメートル」(高村光太郎の詩の1節)を視野に入れながら、目の前の課題に取り組まなければならないという精神的負担を余儀なくされます。
私は、この『部落学序説』を書くときの姿勢として、「スパイラル方式」で行こうとこころに決めています。「スパイラル方式」は「渦巻き方式」という、情報処理教育の中で採用されている教育方式です。カリキュラムの全過程を、何回も走査することで、徐々にレベルをあげて、最終的には所期の目的に達するという教育方法です。
『地方史研究法』の著者・古島敏雄は、「はじめから全貌を一度に明らかにするといった方法はない」といいます。もし、そういうものがあるとしたら、「物を正確に知ろうとすることの放棄であるか、或いは一面的な認識を全貌であるとして押しつけることになる」といいます。
「そして、各分野の認識の総合、或はそれの一歩手前での併立を求める場合でも、それを一個人に求めることになれば、そこでも正確度の放棄を求めることになる」といいます。
その言葉に刺激されて、私は、この『部落学序説』を、従来の「直線方式」ではなく、情報処理の新しい教育方法である「スパイラル方式」で執筆しようと決めたのです。
古島は、「対象についてあらゆる面の知識を得ることが文字通りの目的であるならば、このような見る角度の正確な多くの見方を集め、さらにそれらを総合するという努力を加えて目的を達成すべきである」といいます。
すでに、この論文の中で、いろいろな学者の論文を批判的にとりあげてきましたが、私にとって、「批判」は、私が持ち合わせていない、多種多様な「見る角度」(「視角」)の取得の手段です。学者・教育者・被差別部落の当事者への「批判」を通じて、私は、彼らから、『部落学』構築に必要な視角を学ばせていただいているのです。どの視角が、私の『部落学序説』にふさわしいか・・・、今後も学ぶことは学ばせていただこうと、思っています。
漢語に「挨拶」という言葉があります。
この言葉は、仏教用語だそうです。昔、中国で仏教が迫害された時代に、仏教の僧侶は、迫害を逃れるために西域に移動していったそうです。その時代にあって、なお仏教を学ぼうとする人は、仏教の指導者のいる西域へ旅をしなければならなかったそうですが、「真師を求めて修業の旅に出る」ということを漢字では「挨」というそうです。
しかし、訪ねていっても、「真師」のもとに、仏教の教典や解説書があるわけではありません。すべては、時の権力者によって、迫害の最中、焚書の処置にあっています。そこで、仏教を学ぼうと旅を続けてきた人は、「真師」の生き方(ことばやふるまい)を観て、仏教の悟りを得たといいます。「真師」から何かを引き出すことを「拶」といいます。
この『部落学序説』を執筆する際に取り上げた部落研究、部落問題研究、部落史研究の学者・教育者・被差別部落の当事者に対しては、この「挨・拶」の精神で、「批判・検証」することにしています。ただ、問題の性質上、「批判・検証」のあと、その説に賛同する場合もあれば、やむを得ず否定せざるを得ない場合もあります。いずれにせよ、「挨・拶」の精神は忘れないようにしたいと思っています。
古島は言います。
「複雑な形をとって現れる現象の中から、特に研究の目的に必要な素材的要素をできるだけ純粋にぬき出し、特定の着眼点に即して整理し、加工して、知ろうと思う点に肉薄しうる能力を豊かに備えてくることを通じて果される。そのような特定の目的のための観察・理解・統一の体系が、客観的なものとして捉えられることのうちに個別の専門科学の体系が生まれてくるのだといいうる」。
「真師」(古島のような大学教授)に直接会う機会は、筆者には、生涯、与えられませんでしたが、「真師」の書いた論文を通じて、間接的に、「真師」の語る言葉を目にすることができるということは、実に、幸いなことです。古島に出会うことなくして、私は、歴史に興味を持つことはなかったでしょう。
『部落学序説』・『部落学原論』でとりあげる主題は、かって、歴史学者にとって「禁忌」の対象になったことがらです。明治以降の部落研究、部落問題研究、部落史研究に携わってきた人は、部落差別問題の核心にたどり着けたと思った瞬間、中心に鎮座する「権力」という遠心力によって弾き飛ばされ、所期の目的とは違った研究に落ち着いてしまうという傾向がみられます。
民俗学者の柳田国男は、「新旧錯綜を極めた文化複合をかき分けて、国が持ち伝えたものの根源を突き留めるということは、容易な事業ではない」といいます。「国が持ち伝えたもの」(筆者は、「国が隠してきたもの」と解釈)、国が国民から隠してきたこと、明治4年の太政官布告の本当の意味もそれに該当すると思われますが、それを明らかにすることは、戦前・戦後を通じて、研究者・教育者・被差別部落の当事者にとっても「禁忌」であり続けたのではないかと思います。
この「禁忌」が、問題の核心に分け入るのではなくて、「賤民史観」という虚構の「核心」に向かわせたのではないかと思います。
柳田は「変化の無数の段階の比較が、行く行く記録なき歴史の跡を、探り出し得る希望を約束する。これが・・・日本民俗学の立脚点である」といいます。
私は、「賤民史観」という虚構の「核心」を研究する研究者・教育者・被差別部落の当事者の公開された論文や書籍の比較を通して、彼らが語っていること(「賤民史観」)と語っていないこと(禁忌)とを明らかにして行きました。部落史の研究者の書いた論文や書籍を、詳細に、比較検証すれば、すぐに分かります。どの研究者も、如何に、恣意的な解釈にとどまっているかを・・・。
たとえば、『部落学』を標榜する川元祥一は、「貴・賤」概念の「生活の座」(SitzinLeben)を「政治」に求め、「浄・穢」概念の「生活の座」を「習俗」に求めます。その結果、川元は、問題に核心に肉薄しながら、その中心に鎮座する「権力」という遠心力によって弾き飛ばされ、文化という世界にたどりつくのです。そして、政治起源説を否定して、同和対策審議会答申が否定している職業起源説をあらためて提案します。
私は、部落差別の完全解消のためには、問題の中心に鎮座して、研究者を容易に近づけない権力の秘密を明らかにする以外に方法はないと思っています。問題の中心に、より近づける「視角」を貪欲に吸収し、中心からはじきだされ周辺に逃げていく「視角」は留保していきます。
ひとりの研究者の中に、両方が共存している場合は、一部は吸収し、一部は留保することになります。
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