2021/10/05

浄土真宗の寺を尋ねて・・・

浄土真宗の寺を尋ねて


「研究者」と私は、被差別部落の古老の家を訪ねる前、その村の浄土真宗の住職を尋ねました。その住職に、その寺の門徒の中に、被差別部落の門徒がいれば紹介してもらうためでした。


その浄土真宗の寺は、南北に伸びた門前町の南の側に位置していました。時代をしのばせる門をくぐると、浄土真宗の部落差別問題との取り組みを示す「同胞運動」に関する文字が目に飛び込んできました。殺風景な冬枯れの境内にあって、その文字はひときわ大きく目立っていました。

居間に通された私たちは、住職から質問されます。
「何のご用でしょうか・・・」。

そのとき、聞き取り調査の同行を求めてきた研究者が、あらかじめ会見の約束をとっていなかったことを知りました。へたをすると、何の話も聞けず、聞き取り調査も失敗に終わる可能性がある・・・と思って、焦りににた思いを持たざるを得ませんでした。

聞き取り調査をするときには、それなりの「礼儀」が必要です(私には、突然、浄土真宗の寺を尋ねて、その門徒の中にいるかもしれない被差別部落のひとを紹介してもらうという発想はありませんでした・・・)。

会見の予約をとることもそうですが、調査に先立って、あらかじめ、歴史資料や文献を漁って、既に公表されている情報は、あらかじめ予備知識として持っておく必要があります。そうしないと、尋ねられる方も、思いつきで聞き取りをされたのでは、何をどう話していいかわからず、結果、通り一遍の話を聞くに終わってしまう可能性が大きいのです(後日、筆者は、研究者と周防国東穢多寺を尋ねましたが、そのときの聞き取り調査は、住職が業者に頼んで作ってもらったという系図と歴史に関する資料をみせられました。近世の「穢多寺」であることを一切触れることのないその系図と歴史は、差別的な聞き取りを回避するための住職の苦肉の策だったのでしょう。そのときの聞き取り調査に、研究者は満足しておられましたが、筆者は、きわめて不満足でした・・・)。

聞き取り調査に際して私がいつも目を通す書物に、井之口章次著『民俗学の方法』(講談社学術文庫)であります。文庫本なので、誰でも手軽に入手できます。

山口県北部の寒村にある被差別部落を尋ねたときにも、私は、あらかじめ、徳山市立図書館の郷土史料室を尋ねました。そこには、山口県の寺院に関するいろいろな資料が保存されていますが、その中に寺院に関する総合的な調査書があります。表紙はボロボロで、何度も補修をしたあとがみられます。おそらく、多くの人がこの資料を手にしたのでしょう。

その資料には、私たちが尋ねる寺に関する記載もありました。

しかし、その内容は、他の寺の内容と違って、いたって簡素なものでした。文書量も少なく、「記録等一切なし・・・」という記述が目立ちます。調査員の質問に対して、当時の浄土真宗の寺の住職はそのように答えたのでしょうか・・・。調査員は、「資料がなければ、口頭でもいいから話を聞かせてほしい・・・」と申し出たと推測されますが、それに対しても、「一切知らざるか不語・・・。」と書きとどめています。

寺の住職が、その寺の歴史や由来を知らないはずはありません。たとえ火事で消失するようなことがあったとしても、寺の重要な書類は、他の寺院に別途複写を保管するのが一般的な習わしですから、「記録等一切なし」というのは、調査員が、住職から、必要な事項を聞き出すことができなかったということを意味しているのでないかと思いました。

私は、慎重に言葉を選びながら、被差別部落の人々に聞き取り調査をする意味を伝えました。住職は、私たちの気持ちを少しく察してくださったのか、いろいろと話をしてくれるようになりました。少し、雰囲気が和らいだころ、「研究者」は、「この寺の過去帳を見せてください」と住職に求めました。返ってきた答えは、「この寺には過去帳はありません。火事で喪失しました」というものでした。

私は、その寺の調査記録に記されていた「記録等一切なし・・・」という言葉を思い出していました。

住職は、過去帳の話に触れないように話題を変えて、山口県の被差別部落が直面している現実について話をはじめられました。住職は、「山口県では、他の県に先駆けて、高齢化と過疎化が進んでいる、社会同和教育で、よく、「被差別部落があるから差別がある。被差別部落がなくなれば差別はなくなる」ということが言われるが、そんなに簡単なものではない」といいます。

住職の話では、その寺にも、門徒の中に、被差別部落の人がいるし、いくつかある、その寺の下寺(末寺)にも少なからぬ被差別部落の門徒がいるというのです。ある被差別部落は、高齢化と過疎化が進み、最後の家がその被差別部落を後にして出ていったそうです。ひとつの被差別部落が消えてしう。それは、いいことかというと、決してそうではない。なぜなら、この地方にあっては、被差別部落の人々は、そうでない人々と、いつの時代にも共に生きてきたという現実があるというのです。江戸時代も明治になってからも、差別したりされたりという関係ではなく、共に生きてきたという現実がある、だから、被差別部落がなくなるときは、被差別部落だけでなく、村全体がなくなるときだ・・・というのです。

浄土真宗の住職は、被差別部落がなくなり、その村がなくなり、最後の門徒が出ていくのを見届けない限り、その寺を離れることはできないといいます。

私の過去の経験では、浄土真宗の住職は、誠実な人が多いと思います。
真摯に問いかければ、真摯に答えてくださるのです。

住職は、奥から帳面を出してきて、「この村には、誰々が被差別部落の人で、この村には、誰々が被差別部落の人である・・・」と、具体的な村名と姓名をあげて話を進められました。研究者の「過去帳を見せてください」という要望に、別な形で応えてくださったのでしょう。

しかし、途中、住職がお茶を入れるために席を立ったとき、「研究者」が、私の耳元でそっとささやきました。「今の住職の発言は差別発言ではないか。彼は、被差別部落の人の名前を列挙している。これは、差別になるのではないか。住職は差別していると指摘して、この話を止めさせようか・・・」というのです。

私は、研究者に耳打ちしました。「住職は差別していない。被差別部落出身の門徒の通婚圏について話をはじめている。貴重な話をしてくださっているのだから、黙って聞いていよう・・・」。

話が一段落したとき、住職は、その寺の由緒を示す仏像や古文書を片づけ、「この寺が被差別部落の人々と共に生きてきた証を見せてあげましょう」といって、私たちを、その寺の後ろにある境内へ連れ出しました。

そして、住職は、墓地の真ん中にある古めかしい墓石を指さしながら、「あの墓が、被差別部落の人々の先祖を祀っている墓です。被差別部落の人々の墓の周りを取り囲むように、村の主な住人の墓が配置されています。」と言われます。墓地の、一段と小高い丘の上に被差別部落の墓石が並び、その周辺に村の住人の墓が並んでいました。それは、不思議な光景でした。そう

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