2021/10/01

「特殊部落」・「差別」の実質的定義について

「特殊部落」・「差別」の実質的定義について

実質的定義(Real definition)

近藤洋逸氏は、その著『論理学概論』において、「実質的定義」を、「被定義項が指示する事物を分析して、それの構造や機能を明示する定義である・・・」と説明します。

「特殊部落」という概念(被定義項)が何を意味しているか、史料・研究論文・聞き取り調査等を分析して、その属性、すべての「特殊部落」に共通する属性を抽出し、その概念の外延を確定する作業をすることになりますが、「概念の内包(属性)は一度に定まるものではなく、経験を重ねるにつれて変化するが、やがて安定すれば、これが概念の公共的内包となり、そのクラス(外延)も確定する・・・」ことになります。

筆者は、『部落学序説』の執筆に先立つ十数年の準備期間において、部落研究・部落問題研究・部落史研究の基本的な概念について、その内包と外延を確定する作業を延々と続けてきたのです。まず、内包を確定し、それから外延を確定します。そして、その概念定義のもとで、史料や伝承を読み直します。不都合が生じたときは、また最初から、概念と内包を検証し、新たに外延を確定します。そして、『部落学序説』を執筆する際に使用する基本的な概念が「安定」してきましたので、『部落学序説』の執筆に踏み切ったのです。

近藤洋逸氏は、「実質的定義」を、「被定義項が指示する事物を分析して、それの構造や機能を明示する定義である・・・」と説明しますが、その定義を実践するためには、膨大な時間と労力が必要になります。「実質的定義」は一朝一夕に獲得することができる類のものではありません。

筆者が『部落学序説』を<自信>を持って書き続けているのは、部落研究・部落問題研究・部落史研究の基本的な概念の再定義のために多くの時間と労力をかけて、それを苦心して獲得してきたからに他なりません。

近藤洋逸氏は、「アリストテレスの類と種差による定義はこの型に属する定義である。」といいます。

「アリストテレスの類と種差」について、筆者がはじめて目にしたのは、高校生のときでした。田中美知太郎著《古代哲学》、山下正男著《論理学の歴史》を通じて、「アリストテレスの類と種差」を知りました。なぜだかわかりませんが、最初、それらの文章を読んだとき、深い衝撃を受けたのです。そのとき、こころの底から、「学問をしたいな・・・」と思わされたのです。

しかし、通っていた高校での成績は最下位・・・。大学進学の可能性はほとんどありませんでした。

おそらく、「アリストテレスの類と種差」にひかれたのは、筆者の誤解・・・、に基づくものであろうと思いますが、その衝撃は、筆者の脳裏に深く刻み込まれたのです。

そういうこともあって、筆者は、今日まで「アリストテレスの類と種差」についての言及に深い関心を持ち続けてきたのです。

「実質的定義」は、「被定義項の属する最も近い<類>と、その項を他のものから区別する<種差>とを示す定義である。」といいます。

『部落学序説』第1章で筆者が、試行錯誤の上に、嵯峨天皇による司法・警察制度の確立以降の<国民>を「非常民」と「常民」という<類>を、両者の<種差>を非常民であるかいなか(軍事・警察に関与しているかいなか)によって分類するというのも、「アリストテレスの類と種差」に由来します。

歴史学で使用される「発生的定義」をいくら累積しても、それは、必ずしも「事物の本質」に迫ることができるとは限りません。歴史学上の「発生的定義」は、ややともすると、「発生的定義」のアトランダムな累積で終わる可能性があります。

それに比べると、「実質的定義」は、概念の、たとえば、「特殊部落」という概念の本質を定義するのに向いています。

筆者は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の中にも、「発生的定義」を固守しないで、積極的に「実質的定義」を導入して、部落差別の本質に迫ろうとしている人が存在していることを否定するものではありません。筆者が、山口県の部落史を知る上で大きな影響を受けた、元山口県立文書館研究員・北川健先生(山口大学で教鞭をとっておられる・・・)や、静岡大学・黒川みどり教授などの論文は、概念の定義が明確で、彼らの論文の趣旨を明確に理解することができます。

概念の定義があいまいですと、その論文の意味するところもあいまいになってしまいます。

山口県立文書館の研究員の「二大巨頭」といわれた北川健先生と、もうひとりの布引敏雄氏・・・、比較すると、布引敏雄氏は、その論文に使用されている概念定義が極めてあいまいです。筆者は、山口県の部落史研究の両「巨頭」の論文を比較検証することで、筆者の研究スタイルを確立していったのですが、それが半ば習慣化された分、既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の論文を読むことにおいてシビアになっているのかもしれません。

『田舎牧師の日記』で、布引敏雄氏の最近の論文(紀要『部落解放研究』(第178号 2007.10)に掲載されている「部落史の窓/長州藩の検断」)は、長州藩とその支藩の「検断」について論及しているのですが、「部落史の窓」という場でなされる、「検断」についての論及はあくまで「検断」についての論及であって、「穢多非人」に関する言及ではない、と明言しないことで、読者に同一視させ、「検断」の持っている負の属性を「穢多非人」に転化しようとしている、あるいはそれを期待している可能性があります。

論理学では、「論点相違の虚偽」(Fallacy of irrelevant conclusion)に該当します。

「定義」と「推理」を常にあいまいにして、歴史資料の引用でもって、「発生的定義」に終始する部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者はあとをたちませんが、彼らによって、「論点相違の虚偽」・「人に訴える論証」・「権威に訴える論証」・「衆人に訴える論証」・「無知に訴える論証」・「論点窃取の虚偽」・「多問の虚偽」が横行し、日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」が拡充・強化されてきました。

無学歴・無資格の筆者の目からみますと、山口県立文書館の部落史分野の「二大巨頭」、北川健氏と布引敏雄氏は、学者としての良心を持っている前者と、学者としての良心をどこかで反故にしている後者として映ります。

『部落学序説』は、「実質的定義」法によって、「非常民の学としての部落学・・・」を執筆してきました。『部落学序説』に対する批判は、『部落学序説』の「非常民論」・「新けがれ論」に対抗しうる、「実質的定義」をかかげてなされるべきです。

「論点相違の虚偽」・「人に訴える論証」・「権威に訴える論証」・「衆人に訴える論証」・「無知に訴える論証」・「論点窃取の虚偽」・「多問の虚偽」・・・に基づく筆者への批判は、反論する気力さえ失せてしまいます。

『部落学序説』の、現代の被差別部落の祖先にあたる「穢多非人」は、差別されていた「賤民」ではなく、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」であった・・・、とする説に対して、豊富な部落史に関する史料や論文から、「穢多非人」は、一般説・通説・俗説通りに、差別されていた・・・として、恣意的に引用して反論してくる<批判>の本質はいったい何なのでしょうか・・・?

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