2021/10/02

人権の父・江藤新平、政敵・大久保利通に敗れる

 人権の父・江藤新平、政敵・大久保利通に敗れる


(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その6)

「部落学」の祖である川元祥一著『部落差別を克服する思想』の中に収録されている「近代初期の警察と差別構造」という文章の中にこのようなことばがあります。

「こうした混乱を明治政府は直視し、各地にある偏見と差別を克服する努力をすると同時に、被差別身分が行ってきた現場の警察の仕事、そこにある技術や思想、地域の自治警察的機構となっていた歴史を徹底的に研究し、古い体質を内部から変革する努力をすべきだった。そのような努力を行うことで初めて明治維新近代革命と呼ぶことができたのだ。しかし明治政府はその努力を怠った」。

これまで記述してきた文章(「その1」~「その5」)と重複するところが多分にありますが、川元のこのことばを批判(批難ではありません・・・)してみましょう。

川元は、「司法省」と「内務省」の政治的葛藤を「混乱」という言葉で表現しています。しかし、『部落学序説』の筆者は、それを単なる「混乱」と言い切るにはかなり抵抗があります。それは、単なる「混乱」ではなく、明治新政府内部の明らかな「権力闘争」であると考えられるからです。

明治新政府は、日本史の教科書が描いているような、「一枚岩」の政府ではありませんでした。「権力闘争」の両側を、代表的人物の名前をあげることで象徴的に表現すれば、当時の「権力闘争」は、「江藤新平」対「大久保利通」という図式で表現できるのではないかと思います。「江藤新平」(司法権)と「大久保利通」(行政権)との対立は、明治政府内部の「混乱」というよりは、「政変」(クーデター)の類であったと考えられます。

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」として「旧穢多・非人」の処遇をめぐって、「江藤新平」対「大久保利通」という「権力闘争」の中で、重要なことが選択されていくのです。

川元は、明治新政府は、「各地にある偏見と差別を克服する努力」を怠ったといいますが、江藤新平にしても大久保利通にしても、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」として「旧穢多・非人」に対して、今日的な「偏見と差別」の対象としては認識していなかったのではないかと思います。「明治6年政変」前後の時代には、江藤新平や大久保利通だけでなく、多くの民衆にとって、「旧穢多・非人」は「偏見と差別」の対象ではなかったと考えられます。

川元は、明治新政府を批判して、非常民「(被差別身分)が行ってきた現場の警察の仕事、そこにある技術や思想、地域の自治警察的機構となっていた歴史を徹底的に研究し、古い体質を内部から変革する努力をすべきだった。そのような努力を行うことで初めて明治維新近代革命と呼ぶことができたのだ。しかし明治政府はその努力を怠った。」と厳しく指摘しています。

しかし、川元が指摘する「司法省」と「内務省」の法的齟齬を「混乱」としてではなく、「江藤新平」対「大久保利通」の「権力闘争」として認識するとき、川元の指摘は、的を射たものではなくなります。

なぜなら、「権力闘争」の一方の当事者である「江藤新平」は、川元が期待しているように、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「旧穢多・非人」を、専門的知識と技術を持つ「現場の警察の仕事」として再評価し、近代日本の「警察システム」の中に組み込もうとしていたからです。

司法卿「江藤新平」の、近代警察システム構築の青写真は、「江藤新平」対「大久保利通」という図式で表現できる「明治6年政変」の中で、「勝者」となった「大久保利通」によって、「敗者」となった「江藤新平」が、明治新政府から排除されるとともに、その近代警察システム構築の青写真も、実現されることなく反古にされてしまうのです。

川元が指摘しているように、「明治政府はその努力を怠った」のではなく、明治新政府は鋭意「努力」してはいたけれども、その努力が、「大久保利通」と「長州汚職派閥」によって、血塗られ、踏みにじられてしまったというのが現実です。

政敵「江藤新平」に対する「大久保利通」のことばとふるまいは身の毛がよだつものがあります。

法的合理性を説く「江藤新平」に対して、「大久保利通」は、「計画的」に「江藤新平」を「抹殺」してしまうのです。前にも引用しましたが、『明治六年政変』の著者・毛利敏彦は、「大久保利通」は、その政敵「江藤新平」に対して、一片の同情も憐れみも持つことなく、ほとんど裁判らしい裁判にかけず、「江藤新平」の「陳述もほとんどさせず」、「斬首梟首という極刑」にするのです。「大久保利通」は、「江藤醜躰笑止なり」といって、「勝者の優越感を露骨に表した」というのです。

毛利敏彦は、このとき、「人権の父」である「江藤新平」だけでなく「近代日本における法治主義・・・の非命の最後であった」といいます。

「大久保利通」は、その政敵「江藤新平」を抹殺するだけでなく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の言葉のとおり、「江藤新平」が構築しようとしていた「近代日本における法治主義」(それに対応する「警察システム」)をも反古にしてしまうのです。

川元が指摘する、明治政府に対する批判は、「大久保利通」には該当しても「江藤新平」には該当しないのではないか・・・・、と『部落学序説』の筆者は考えるのです。

「大久保利通」は、その政敵・「江藤新平」の首を野にさらすとともに、「江藤新平」が構想していた「近代日本の警察システム」の青写真をも、「刑場の露」として消しさってしまったのです。

『部落学序説』の筆者は、近代・現代の「部落差別」は、川元が指摘しているような明治政府の「不作為」が原因ではなく、川元が期待しているような、「明治維新近代革命」に相応しい変革は、非常民「(被差別身分)が行ってきた現場の警察の仕事、そこにある技術や思想、地域の自治警察的機構となっていた歴史を徹底的に研究し、古い体質を内部から変革する努力・・・・」をしていた「江藤新平」側が、その政敵である「大久保利通」によって抹殺・虐殺されたことで頓挫させられたのです。

「大久保利通」ではなく「江藤新平」がもし政権を握っていたとしたら、近代中央集権国家も、明治天皇制も、近代司法・警察も、かなり異なったものになっていたに違いないと思われます。想像力の貧困な筆者には、そのイメージを描くことはできませんが、少なくとも、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「旧穢多・非人」が、近代警察システムの中で、その専門的知識と技術に相応しい処遇をされていたとしたら、今日のような「部落差別」は発生しなかったのではないかと思います。

「勝者」である「大久保利通」の視点・視角・視座からではなく、「敗者」である「江藤新平」の視点・視角・視座から、「部落学」の研究対象を見直すことによって、近代日本における部落差別発生のメカニズムを解明することができるのではないかと思われます。

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