2021/10/02

部落史上から無視される江藤新平とその政策

 部落史上から無視される江藤新平とその政策


(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その7)

明治4年7月14日の廃藩置県の次の年の4月25日、江藤新平は司法卿に就任します。

司法卿・江藤新平とはどのような人物であったのか・・・。江藤新平の人物評価は、かならずしも的を射ていないものが数多く見受けられます。「江藤新平」対「大久保利通」の権力闘争とみなされる「明治6年政変」の敗者となった「江藤新平」は、勝者の「大久保利通」から、はげしい侮蔑と嘲笑を受けます。

今日、一般的に知られている「江藤新平」像は、「明治6年政変」の勝者の側からの視線で見られている場合が多く、史料や論文を、無自覚的に読んでいると、勝者の側によって、ゆがめられた虚像としての「江藤新平」像が飛び込んできます。

日本の近代史・明治維新史を研究している専門家ですら、勝者の「大久保利通」の側から見て、敗者の「江藤新平」の存在とその業績を過小評価する傾向が少なくありません。

「江藤新平」の虚像を捨てて、江藤新平の実像に迫るには、どうしたらいいのでしょうか・・・。筆者は、長い間、もつれた糸の端をつかむことができず試行錯誤していましたが、最近、江藤新平の実像を追い求めるひとが少なくないことに気付きました。小島慶三著『戊辰戦争から西南戦争へ 明治維新を考える』(中公新書)、毛利敏彦著『明治六年政変』(中公新書)、岩波近代思想大系『官僚制・警察』、そして、異色な資料としては、長州藩の系譜をひくと思われるのに、長州藩に偏向することなく、客観的な歴史記述に徹している『山口県警察史』があります。

やがて、江藤新平の実像が明らかにされ、歴史の真実に則した人物評価が行われる時代がくることでしょう。

明治政府の「権力」の側(「大久保利通」の勝者の側)に立脚する歴史学者や歴史研究者は、「大久保利通」の政敵である「江藤新平」を無視するか、過少評価する傾向があります。

部落史を視野に入れるとき、その代表的な歴史研究として、部落解放研究所編『部落解放史』があります。3巻・1030頁に及ぶ大著ですが、「江藤新平」について言及されることはほとんどありません。「中巻」の18頁の「自由民権運動の展開」の項で、「明治6年政変」で下野した人々の人名表の末尾に出てくるのみです。

つまり、『部落解放史』においては、「江藤新平」とその業績は黙殺されているに等しいのです。この『部落解放史』は、「部落の歴史と解放運動に関し、科学的資料によって、その正し理解と判断の基礎を提供することは、今日、すべての面から要求されつつある。それは高度に科学的であり、説得力を持つ教育的なものでなければならない。出典を明らかにし、必要な原資料も示さなければならない。そして長期の歴史的批判に耐え、内外の多くの人々の望みをみたすものでなければならない。」として、執筆・編集されたものですが、「新しい視点からの資料の読み直し、整理、執筆、誠に2年の月日」をかけて完成したといわれます。

『部落解放史』を一瞥する限り、部落史における「江藤新平」とその業績は、部落解放研究所の学者・研究者の認定する「科学的資料」足りえず、「新しい視点からの資料の読み直し」の対象外であったと推定されます。

『部落解放史』は、近世幕藩体制下の「穢多」とその末裔「旧穢多」を、「学術用語」としての「賤民」概念で把握しようとします。そういう意味では、部落解放研究所の記念碑的労作『部落解放史』は、筆者が指摘する「賤民史観」の典型であると断じても間違いないと思います。

「明治6年政変」当時、権力闘争の当事者であった「江藤新平」にしても、「大久保利通」にしても、「旧穢多」を、『部落解放史』が指摘するような「賤民」理解の所有者ではありませんでした。むしろ、明治4年7月の廃藩置県によって、近世幕藩体制下旧体制は、身分制度を含めて、全面的に廃止になります。明治政府は、一端廃止にしたうえで、「旧穢多・非人」の再編成に取り組みます。その作業に積極的に関与したのは、司法卿・江藤新平でした。大久保利通は、疑獄事件で窮地に陥った「長州汚職派閥」を救済すべく、画策して、江藤新平を明治新政府中枢から排除していきますが、大久保利通が、主観・感情をまじえて、江藤新平を批判・排除していくことで、かえって、江藤新平と同じ土俵にたたされてしまったと考えられます。

旧約聖書の中に、カインとアベルの話が出てきます。兄カインは、弟アベルを殺害しますが、カイン(定住民)は、自分が殺したアベル(遊牧民)の生涯を背負って生きていかなければならなくなります。政敵「江藤新平」を、政治的に不純な動機で殺害した「大久保利通」は、「江藤新平」の生涯を背負って生きていくことになります。

江藤新平がそうであったように、大久保利通も、「旧穢多・非人」を「賤民」とはとらえていなかったと考えられます。しかし、今日に、歴史学者・歴史研究者は、近代「被差別部落」の歴史を解明するのに貴重な、この時期の資料を墨で抹消してしまうのです。抹消した上で、切り取ってしまうのです。直接、文章化した奈良産業大学助教授・桐村彰朗だけでなく、部落解放研究所全体の傾向であると想定されます。

なぜ、『部落解放史』は、江藤新平とその業績を排除するのでしょうか・・・。排除したことで、『部落解放史』の価値は、「部落差別」をめぐる歴史の真実を隠蔽したことで、「長期の歴史的批判に耐え」ることができなくなってしまっているのではないでしょうか・・・。「日常多忙な本業をもつ方々ばかり」の「副業」的営みとして、この『部落解放史』が執筆された・・・という弁明は、弁明になっていないような気がします。(続)

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