2021/10/01

「水平社宣言」の2資料説

1922(大正11)年3月3日、水平社創立大会で「宣言」として採択され、雑誌『水平』第1巻第1号の「全国水平社創立大会記」に収録された「水平社宣言」をもう一度、再掲します。

『部落学序説』の筆者としては、西光万吉が晩年に告白した、「水平社宣言」の、西光万吉と平野小剣の「合作説」を踏まえて、下記のように、西光万吉の筆になる部分を「S資料」、平野小剣の筆になる部分を「H資料」と呼ぶことにします。

「S資料」と「H資料」を区分するのは、朝治武著『水平社の原像』(解放出版社)の吉田智弥氏による引用を参考にしたものです。「H資料」は、「この部分は全部、平野小剣の文章ではないかと、あるいは平野の助言、添削によって書かれた文章ではないかと推量されています。」と吉田智弥氏が紹介している部分ですが、筆者は、「H資料」は、「平野小剣の文章」であると仮定して、これからの論述を展開していきます。

「仮説」・・・、というのは、今後、この部分の研究が進み、「S資料」と「H資料」の区分が見直されるようなことがあれば、筆者の論述の変更の可能性もある・・・、という意味です。

既存の研究の中では、朝治武著『水平社の原像』の論述に勝るものはないと思われますので、暫定的に「仮説」として採用します。

あらためて、「水平社宣言」を、「S資料」・「H資料」に色分けしますと、以下のようになります。

■S資料(西光万吉の文章)
■H資料(平野小剣の文章)

宣言

全國に散在する我が特殊部落民よ團結せよ。

長い間虐められて來た兄弟よ。

過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた我等の爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが我々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際我等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。

兄弟よ。

我々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへクダラナイ嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そうして我々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。

我々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。

我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

水平社は、かくして生れた。

人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

大正十一年三月三日 全國水平社

『部落学序説』の筆者は、「水平社宣言」の執筆者が、西光万吉ひとりではなく、西光万吉と平野小剣の二人であった・・・、ということは、「水平社宣言」の価値を貶めるものではなく、むしろ、「水平社宣言」の価値を高めることであると考えます。

「水平社宣言」の「合作者」が、ほかならぬ平野小剣であった・・・、ということは、「水平社宣言」に、多様性と、異なる精神の葛藤をもたらせることになるからです。

「S資料」の西光万吉と、「H資料」の平野小剣とは、水平社創立のために先陣をきって活躍した思想家・運動家であるといえます。言わば、西光万吉と平野小剣は、「水平運動」の東と西の両巨頭であるといえます。

平野小剣は、東日本の出身、西光万吉は、西日本の出身・・・。網野善彦説に従いますと、「東日本」の「穢多」と、「西日本」の「穢多」との間には、無視することができない、歴史と伝統、「穢多」の「役務」と「家職」に大きな違いがあり、それは、今日に至るまで、大きな影響を与えています。

「水平社宣言」は、西日本の「被差別部落」を中心に展開されたのではなく、最初から、東日本と西日本の「被差別部落」の人々の共闘作業として展開されていた・・・、のですから、「水平社宣言」の執筆に、西日本の西光万吉だけでなく、東日本の平野小剣も深くかかわっていたということは、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、それは、「水平社宣言」の価値を貶めることではなく、逆に、「水平社宣言」の価値を高めることにつながると思われるからです。

「水平社宣言」は、水平社運動の西光万吉と平野小剣の両巨頭を通して、東西の旧「穢多」の歴史と文化、思想と信条が、ある種の緊張を孕みながら統合されていったとのではないかと思われるのです。

西光万吉と平野小剣という、縦糸と横糸が織りなす「水平社宣言」という布の、「表地」は、現代の部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者によって、「引用部分」・「剽窃部分」・「借用部分」と揶揄、非難中傷される、西洋の思想・信条・文化の影響を受けた<外来の思想>の部分が燦然と輝いて目に飛び込んできますが、しかし、筆者は、「水平社宣言」の「裏地」は、<外来の思想>によって駆逐されることのない、「穢多」の末裔として生きなければならない<古来の思想>、「穢多」の歴史と伝承、生活と闘いが織りなされていると思われるのです。

『部落学序説』第5章・水平社宣言批判は、「水平社宣言」という錦の「表地」と「裏地」の両方を批判・検証することによって、近世の「穢多」と、近代以降の「旧穢多」との間に、歴史的一貫性を描くことにあります。「近世」から切り離された「水平社運動」ではなく、「近世」の継承と延長線上に「水平社運動」を描くことにあります。

部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者があまり関心を持つことなく看過してきたテーマです。

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