2021/10/01

朝治武・歴史の記憶としての「水平社宣言」説

朝治武・歴史の記憶としての「水平社宣言」説

筆者が、第1節・史料としての「水平社宣言」で、原文として紹介したのは、水平社創立後、その機関誌『水平』(第1巻第1号)で、「全国水平社創立大会記」に収録された「宣言」です。

水平社は、創立大会から第16回の最後の大会まで、全11の宣言が採択された・・・(朝治武)、といいます。それは、いずれも「宣言」として採択されますが、一般的には、第1回の創立大会の「宣言」を指して、「水平社宣言」という名称が用いられています。

この「水平社宣言」の原文とは何か・・・

筆者が、朝治武氏の「水平社宣言」に関する論文にはじめておめにかかったのは、1999年2月発行の雑誌『現代思想 特集・部落民とは誰か』(青土社)に収録されていた、朝治武著《歴史的記憶としての「水平社宣言」》でした。

筆者の「史料としての「水平社宣言」」という表現は、朝治武氏の「歴史的記憶としての「水平社宣言」」という表現を相当強く意識したものにほかなりませんが、朝治武氏は、「歴史的記憶という言葉は一般的に使われているわけではなく、私がそう呼んでいるものである。」と説明しておられます。

彼にとって、「歴史的記憶」は、「日常に埋没している時には歴史を振り返ろうともしないし、体験や歴史的な事柄は過ぎ去った単なる過去でしかない。」といいます。「しかし時として、生活・仕事や生き方で何かにぶつかったり、課題に直面したりすると、歩んできた道を辿ってみることがある。その時に蘇るのが・・・歴史的記憶」であるといいます。

「被差別部落」のひとびと、あるいは、「部落解放運動」に従事してきた「被差別部落」のひとびとが、人生のいろいろな問題に挫折し途方にくれたときに、立ち返る場所としての「歴史的記憶」が「水平社宣言」であるというのです。

筆者の場合、同様の状況に立たされたとき、筆者が立ち返る場所、そこに立ち返って、現状を認識・克服して、あらたな希望に向かって旅立ちをすることができる場所は、キリスト教の歴史の中で「信仰告白」と呼ばれているもので、いかなる意味でも、「水平社宣言」ではありません。

朝治武氏は、「水平社宣言」の原文の可能性として、今日、部落解放同盟全国大会・都道府県連合会・支部大会で採用されている「水平社宣言」のテキストは、「1982年時点で全く新しく作られたもの」であると主張します。

今日、多くの学者・研究者・教育者が「水平社宣言」として引用しているものは、この「1982年時点で全く新しく作られた」「水平社宣言」でしかないのです。25年前の部落解放運動団体、それと連動していた部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者が合同で、公的に認定した「水平社宣言」が、今日、一般的に「水平社宣言」として流布されているのです。

それ以降、「水平社宣言」は、当時の部落解放運動の要請から再解釈されて、各種、現代語訳を生み出したきました。「水平社宣言」の歴史的原文からの逸脱的解釈、著しいものがあります。

朝治武氏は、「水平社宣言」の原文として可能性があるのは、次の3点であるといいます。

(1)京都市立崇仁小学校などに所蔵されているビラ
(2)全国水平社の機関誌『水平』第1巻第1号に収録されている「宣言」
(3)(2)の誤植を直して作成されたビラ

朝治武氏は、今日、一般的に流布されている1982年版「水平社宣言」は、「原文」として評価することはできないと断定しています。

朝治武氏は、(1)のビラに印刷された「宣言」を、「全国水平社創立宣言は創立大会に提出された可能性が高い、もしくはすくなくとも最も早く作成されたビラを原テキストとすべき」であるといいます。「一歩譲っても・・・」、上記の(2)と(3)に「とどめるべき」であるといいます。

ところが、朝治武氏も指摘しておられる通り、美作修氏は、「全国水平社創立大会では印刷された宣言文があるかどうかについては全国水平社創立者の西光万吉と阪本清一郎はなかったといい・・・「いまとなってはたしかめるすべはない」といいます。

「水平社宣言」の起草者とみなされる西光万吉が、<全国水平社創立大会では、水平社宣言は印刷物としては配布されなかった・・・>と回顧している事実を最大限尊重すると、朝治武氏のように、(1)をあえて「原文」として選択することは大きなリスクを背負うことになります。

『部落学序説』の筆者としては、筆者自身、無学歴・無資格を十分自覚していますので、学的研究方法については極めて一般的・常識的であろうとしますので、(1)を捨てて、朝治武氏が、「一歩譲って・・・」原文として認めることをやぶさかとしない(2)の全国水平社の機関誌『水平』第1巻第1号に収録されている「宣言」を、「水平社宣言」の「原文」としたわけです。

「水平社宣言」の「原文」を、(1)にするか、(2)にするか、で「水平社宣言」の解釈は大きく影響を受けることになります。そのことに触れる前に、朝治武氏の、「水平社宣言」の西光万吉と平野小剣による「共同執筆説」・「合作説」をとりあげてみましょう。

朝治武氏は、「共同執筆説」を採用しているひとに、木下浩(「平野重吉(小剣)について」)・原田伴彦(『入門部落の歴史』)・渡辺徹(『部落問題事典』)がいるといいますが、村越末男(『部落解放のあゆみ』)・師岡佑行(『西光万吉』)によって、西光万吉単独執筆説が主張され、結局、「全国水平社宣言の執筆はあくまでも西光万吉のみである」とされるにいたったといいます。

朝治武氏は、「これは裏切者視さえするこれまでの平野評価の低さと、それを前提とした研究の蓄積の貧困さも関係していると思われる。」とその背景を推測しています。

朝治武氏は、「水平社宣言」の、西光万吉単独執筆説を捨て、西光万吉・平野小剣共同執筆説を採用します。

そして、西光万吉の思想の核心を、当時の日本の知識階級を席巻していた欧米の「人間主義」であるとし、平野小剣の思想の核心を、伝統的な「部落民意識」であるとします。朝治武氏が、西光万吉については「主義」とよび、「平野小剣については「意識」と呼びかえることにいささか疑問の思いを持ちますが、朝治武氏は、「この人間主義と部落民意識が全国水平社創立宣言の思想的特徴である」とし、「人間主義と部落民意識は部落問題および部落解放運動にとって必要不可欠な重要な要素」であるといいます。

朝治武氏は、従来の部落解放運動は、「人間としての平等を希求する・・・抽象的・理念的側面」を訴える「人間主義」が強調され、「部落民以外は信じるに足りない差別的存在であるとする部落排外主義につながる・・・」おそれがあり、「部落問題および部落解放運動にとって抹殺すべき有害なもの」としてみなされ、否定的に評価されてきた・・・、といいます。

今日、一般的に流布されている1982年版「水平社宣言」は、西光万吉単独執筆説を前提にしたもので、朝治武氏や『部落学序説』の筆者が採用している、西光万吉・平野小剣共同執筆説は、部落研究・部落問題研究・部落史研究上の「異端説」であるといえます。

朝治武氏は、「部落のアイデンティティ」・「差別-被差別という立場や関係のあり方」・「部落解放の展望」が揺らぎ、問われる中にあって、「この自己の存在に肯定的な部落民意識こそは、当時のみならず現在においても西光万吉に代表される人間主義に負けず劣らず重要なものである・・・」として、平野小剣のそれを評価します。それどころか、「部落民の団結と自主的運動が必要であった当時においてはむしろ部落民意識の方が心を打った・・・」と力説します。

朝治武氏は、「水平社宣言」におりこめられた、西光万吉の「人間主義」、平野小剣の「部落民意識」、それは、今日の頽廃と混迷を極めた部落解放運動に「貴重な示唆」を与えれくれる・・・といいます。

「水平社宣言」は、部落差別完全解消への闘いの途上、悩み苦しみ倒れているひとびとが、再び立ち上がってその闘いをたたかいぬくための「歴史的記憶」として機能します。

朝治武氏がいう「歴史的記憶」をよびさますこと・・・、平野小剣は、それを「想起」という言葉で表現します。平野小剣曰く、「想起するは、尊大なる先祖の歴史である。先祖の歴史は美しき郷土の華(はな)である。純真なる人間の生活のそれであったのだ。然るに恐ろしき・・・」権力は、「祖先の肺腑を抉った(えぐった)。戦慄すべき政策は頭蓋骨を砕いた・・・」。その結果、「涙の歴史を遺さしめられた。血を吐く悶え悩みの歴史に綴らしめられたのだ」。

『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、朝治武氏の平野小剣評価は、まだ浅きに失していると思われます。筆者は、朝治武氏の研究成果を尊重しながら、『部落学序説』の視点・視角・視座からより徹底した批判を展開していきたいと思います。

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