2021/10/02

賤民史観と「解放令」 1 歴史観に関する一考察

賤民史観と「解放令」 その1 歴史観に関する一考察

大島康正の論文《歴史観の変遷》(講座哲学大系第四巻『歴史理論と歴史哲学』人文書院)は次の言葉ではじまります。

「歴史をつくるものは、人間である。時間の継起的な流れの中での、人間の主体的実践こそ、歴史の形成力である・・・」。

無学歴・無資格の筆者は、基礎的な学問の概念に対する理解が著しく欠落しています。今回、「賤民史観」からみた「解放令」を批判するにあたって、「歴史観とはなにか」、「歴史認識とはなにか」・・・という基本的な問いに直面していますが、図書館・書店を巡っても都合よく、その問いに対する答えがころがっているわけでもありません。

何を隠そう、今日の午前中は、書店・古書店で、「歴史観とはなにか」、「歴史認識とはなにか」・・・という問いの答えを求めて、時間をかけて店内を散策していました。そして、手にいれたものは、何もなく、ただ疲労感だけが残りました。

こういう場合、筆者がすることは、すでに持っている資料・書籍の読み直しです。筆者の書籍や資料は、ノートがわりにマーカーで色分けしたり、メモ書きしたりしていますので、読み直すといっても、その痕跡をたどるだけなのですが・・・。

人文書院の『講座哲学大系』は、高校生の時入手したもので、布貼りの表紙はもうぼろぼろになっていますが、いまだに、筆者の知識の供給源です。筆者にとっては、ものごとの本質を把握するための珠玉の論文が集められていますから、大いに参考になります。

大島康正は、「歴史をつくるものは、人間である。」といいますが、その言葉を踏まえると、歴史の一分野である「賤民史」も、「人間」によってつくられたものである・・・ということになります。あるいは、「人間」によって、絶えずつくられ続けられているものである・・・といえます。

「過去」と「未来」の二つの時間領域の境界に存在する「現在」は、常に、「過去」をあとにし「未来」へと時間の流れの中を前進しているからです。誰も、その時間の流れを逆転させることはできません。歴史の中のできごとは、すべて年・月・日・時・分・秒が刻印され、歴史の中のできごと間に「因果性」を強制します。

この文章を書いている2006年8月7日14時18分は、5分後には、2006年8月7日14時23分になります。「歴史をつくるものは、人間である」としても、「人間」は、歴史の中の二つのできごとに刻印された時間を変えることはできないのです。

大島康正は、このように語ります。「人間は未来に対しては自由であり得ても、過去に対しては自由であり得ない。過去は、人間存在を、あらゆる意味で固定しているのである。人間は、歴史の「不可逆性」、「一回性」の根本性格からして、過去に対し積極的に働きかけることは不可能なのである」。

「未来」に対して、「人間」が歴史をつくっていく存在であるとしても、一端つくられた歴史は、「人間」自身の手によって作り変えることは不可能です。過去の歴史に対してできることといえば、「歴史になんらかの意味を探求し、なんらかの目標を設定しようとすることの表現」(大島)としての「歴史観」の構築と見直しだけです。

大島は、「歴史の過去的制約からのがれ、それを未来への可能性へと転換し、現在における「歴史的現実」を意味あるものにするには、まず過去を認識し、洞察することが必要である。・・・歴史観はそのための手段・・・」であるといいます。

『部落学序説』で、部落差別完全解消のための批判対象は「賤民史観」という「歴史観」のひとつですが、「賤民史観」の担い手である学者・研究者・教育者・政治家・運動家にとって、その「指導原理」となっていった「賤民史観」は、「歴史の過去的制約からのがれ、それを未来への可能性へと転換し、現在における「歴史的現実」を意味あるものにする・・・」という動機を内に秘めていたものと思われます。

しかし、「賤民史観」の担い手である学者・研究者・教育者・政治家・運動家の「動機」はいかようなものであったとしても、『部落学序説』の筆者からみると、そのために採用された「過去を認識し、洞察する」ための批判検証の方法において、重大な欠陥を内在させていたと思われます。

その欠陥は、少しく冷静に考えれば、無学歴・無資格の筆者にですらわかることを、学歴も資格も持ち合わせておられる、「賤民史観」の担い手である学者・研究者・教育者・政治家・運動家は見過ごしてしまいます。たとえ、気付いていたとしても、黙殺して、学的批判の対象にすることはありませんでした。

大島は、「「歴史認識」は、過去・現在・未来の三つの契機から構成される。「歴史観」は、このような「歴史認識」を根拠として成立する・・・」といいます。「過去」・「現在」・「未来」という、歴史という時間の流れの中での刻印は、その時系列の順序を変更することはできないのです。「過去」を「未来」にすり替えたり、「未来」を「過去」にすり替えたりすることは、「歴史認識」に対する著しい逸脱行為となります。「歴史認識」の名に値しなくなります。

大島は、「歴史観は、・・・事実の連続のうちに、なんらかの統一的、不変的原理、乃至は事実を超越した理念の探求を指向する。」といいますが、その「歴史観」が「歴史認識」の合理性に依拠している場合だけ、そのことが可能になります。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」は、古代・中世・近世・近代に渡って、日本の歴史の中に存在していた、社会の治安維持に従事してきた「非常・民」の正統な評価を破棄し、近代歴史学者の「造語」である「賤民」概念を適用し、日本の歴史の中に登場するさまざまなひとを「賤民」として解釈しなおし、貶めていきます。

「賤民史観」の採用した典型的な「歴史認識」のありようは、明治4年の「穢多非人等ノ賤称廃止」の太政官布告に対する解釈に対しても確認することができます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

Nothing is unclean in itself, but it is unclean for anyone who thinks it unclean.(NSRV)  それ自身穢れているものは何もない。穢れていると思っている人にとってだけ穢れている(英訳聖書)。 200...