2021/10/01

部落史学習と近世政治起源説 5

部落史学習と近世政治起源説  


岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、語調を強めて語る、「誰がしたいと思いますか。誰もしたくないですよ。」という、近世幕藩体制下の「穢多・非人」の職業・・・。

藤田孝志氏は、「職業」・「仕事」・「生業」という言葉を恣意的に使用しています。「生業」という言葉は、近世幕藩体制下の「穢多・非人」の「仕事」・「職業」を指す言葉として使用されていますが、「生業」の属性としての「仕事」ないし「職業」にどのような意味の違いがあるのか、釈然としません。

藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演で、「仕事」ないし「職業」という言葉をどのように使用しているのか、抽出してみましょう。

藤田孝志氏は、「教師という仕事」という表現と、「教師という職業」という表現を併用されています。藤田孝志氏にとっては、「仕事」「職業」は、相互に交換可能な言葉であるようです。藤田孝志氏にとっては、「仕事」「職業」であるといってもよいでしょう。

藤田孝志氏は、自分の職業についてだけでなく、その父親の職業について語るときも、「仕事」「職業」というふたつの言葉を同様に使用しています。佐賀で講演したときには、「父の仕事を尋ねられるたびに・・・」と表現しますが、大分で講演したときには、「父の職業を尋ねられるたびに・・・」と表現します。

つまり、藤田孝志氏にとって、その職業・教師について語るときも、「教師という仕事とゴミ取りという仕事を比べ、父の仕事を軽蔑し、人にゴミ取りの子どもと思われるのが嫌でひた隠しに生きてきました。父を見下し蔑んでいた・・・」と父親の職業「ゴミ取り」について語るときも、「仕事」「職業」は、相互に置き換え可能な言葉として使用されています。

藤田孝志氏にとって、「仕事」「職業」は、同一概念であると想定しても間違いではなさそうです。

筆者、便宜上、「職業」という概念を使用することにします。

藤田孝志氏は、佐賀市同和教育夏期講座の講演の中で、近世幕藩体制下においては、「職業の貴賤は当然のことだった・・・」と語ります。それにひきかえ、現代は「職業の貴賤がない・・・」社会であるといいます。

藤田孝志氏、近世においては、「職業の貴賤」が存在し、近現代においては、「職業の貴賤」が存在しないと言明されているのですが、近世幕藩体制下の「職業の貴賤」においてのみ、ある職業は<貴い職業>とされ、ある職業は<賤しい職業>とされたということを意味します。

<貴い職業>とは何なのでしょうか・・・? また、<賤しい職業>とは何なのでしょうか・・・?

藤田孝志氏、現代社会においては、「職業の貴賤」はないといわれます。 ほんとうにそうなのでしょうか・・・?

尾高邦雄氏は、《職業と階層》についてこのように記しています。「職業は人々の社会的役割」であり、「各役割にはそれぞれ一定の社会的な評価や尊敬が結びついており、これによって各役割、したがって各職業は、それに従事する人々の社会的地位の高さを決定する。よく<職業に貴賤上下の別なし>などといわれるが、これは要するに職業にたずさわる者の心得を説いた一つの教訓であって、事実上は職業に結びつけて考えられる社会的地位が、あるものは高く、あるものは低く評価されることは誰でも知っているとおりである」。

尾高邦雄氏、1952年の「職業格付け調査」の中で、社会的に高く評価される職業の最高位が、中学校の教師を含む「専門的・技術的職業」であり、社会的に低く評価される職業の最下位が、藤田孝志氏がいう「ゴミ取り」などの「単純労働者」であると紹介されています。尾高邦雄氏の文章は、藤田孝志氏が小学生の頃、よくよまれた文章の一節ですから、藤田孝志氏が、「生ゴミの袋を手に持ち、破れた袋から流れ出た汚い液体を体に浴び、黙々とゴミを片付けている父」親の姿を見て、「汚いものでも見るように遠ざけ」逃げ出した時代・・・、というのは、建前では、<職業に貴賤なし>といわれながら、事実上は<職業に貴賤あり>の時代です。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、「誰でも知っている」、職業に関する一般説・通説を否定され、現代社会においては、「職業の貴賤」はないと主張され、「職業の貴賤」を近世幕藩体制下の時代や社会に固有のことがらとして還元するのは、あまりにも強引すぎるのではないでしょうか・・・?

戦前も戦後も、学校教育を通して、生徒は教師から、「職業の貴賤」感覚、少しでも勉強・努力して、<貴い職業>を身につけるよう指導・誘導されてきたのではないでしょうか・・・。藤田孝志氏が、小学生のとき、父親の職業を蔑視していたのは、その時代の学校教育の負の遺産でしょう。

筆者、藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演の中で、自らが、小学生・中学生のとき、どのような教育、<反差別教育>ではなく、<差別教育>を受けてきたのか・・・、ほとんど言及されていないのは、とても不思議に思います。

藤田孝志氏、現代社会においては、職業は、「貴賤」によってではなく、「社会に役立つ仕事」あるいは「尊敬される仕事」という表現によって選別されるといいます。<自然結合>を適用しますと、藤田孝志氏の理解する現代の「職業」は、4種類に分類できます。

①社会に役立ち、尊敬される職業
②社会に役立つが、尊敬されない職業
③社会に役立たないが、尊敬される職業
④社会に役立たないし、尊敬もされない職業

藤田孝志氏、<社会に役立つ職業>あるいは<尊敬される職業>というのは、「現代の価値観」であり「江戸時代の価値観」ではないと力説します。「現代の価値観で江戸時代のことを解釈すべきではないと考えます。」といいます。

そう言明する、藤田孝志氏、近世幕藩体制下において、「被差別身分」(穢多・非人)が「押し付けられた仕事」「首を切り落とす罪人を押さえたり、あるいは死体を処理する仕事」は、「社会に必要不可欠な仕事」(藤田孝志氏のいう「社会に役立つ仕事」)であるが、それが<賤しい仕事>であるがゆえに「誰もしたくない」仕事であると・・・、藤田孝志史が否定したはずの「現代の価値観」で江戸時代の「被差別民」について言及しています。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の文章・論文・講演・・・、それらを精読していますと、いたるところで、こういう論理的矛盾に遭遇します。ものごとを<二分法>で整理しながら、その<二分法>が、藤田孝志氏固有の恣意的な要素を多分に含んでいるため、同一文章、同一論文、同一講演の中ですら、矛盾が発生するのです。

しかも、藤田孝志氏、近世幕藩体制下の「被差別身分」である「穢多・非人」の職業を論じるに、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての広範な職務の中から、極めてセンセーショナルな職務だけをとりあげて、それが、「被差別身分」である「穢多・非人」の職務の全体・本質であるかのような表現をし過ぎます。

そのため、藤田孝志氏、「近世政治起源説」を否定しながら、「近世政治起源説」の、藤田孝志氏がいう「マイナス」の資産の継承者に成り果てているのです。藤田孝志氏は、日本法制史上における「穢多・非人」の関与を極端に矮小化し、マイナスのイメージを押しつけます。藤田孝志氏、「近世政治起源説」を否定しながら、「近世政治起源説」の負の遺産だけは、しっかりと継承されているようです。

無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者の目からみますと、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、部落史の、2流・3流の学者・研究者・教育者でしかないのでしょうか・・・?

『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者である私は、<広義の政治起源説>に依拠しています。なぜ、<広義の政治起源説>に依拠するようになったのか、それは、山口の小さな教会に赴任してであった、当時、山口県文書館専門研究員の北川健先生にであったからです。彼は、<広義の政治起源説>の支持者・・・。当然、自称<北川門下生>の筆者も、<広義の政治起源説>の支持者です。

その北川健先生の論文に、『同和問題認識の諸段階と部落史学習の課題』があります。

その中で、「同和問題の認識の三段階」として、次のように図式化します。
①差別をするのはあたりまえのことである。
②差別をするのはいけないことである。
③差別をなくしていなかければならない。

①は<偏見>の段階、②は<同情>の段階、③は<連帯>の段階・・・。①から②へ移行するためには、<偏見の除去>が必要であり、②から③へ移行するには、<連帯の認識>が必要である、といいます。

③の「差別をなくしていく」段階では、次のことが、「学習の要件」になるといいます。

(イ)部落差別はそもそも一般民衆をこそ抑圧支配するために設定されたものであること、
(ロ)部落差別が存続利用されることによって一般民衆もまた抑圧されていくこと、
(ハ)であればこそ、部落解放はひとり同和地区住民のみならず国民一般の生活と権利の向上と確立につながるものであること、の3点を明らかにすることが必要である。

いいかえれば、部落差別の社会的な構造と機能を具体的な事例でもって明示し、部落問題を国民全体の、自分の問題として受けとめていくという「連帯」への認識を可能とすること、これが学習の要件となる。

北川健先生は続けてこう語ります。

部落史学習で、(イ)部落差別は一般民衆をこそ抑圧支配するためにこそ設定され利用されてきたものであることと、(ロ)水平運動の歴史を通してその運動論の発展の意味を明らかにすることは、同和問題の解決を「国民的課題」としていく上で不可欠の課題である。・・・(部落史学習の最終段階においては)水平社以降に提起されてきた・・・部落差別を社会的構造との関連でとらえることによって・・・(部落史学習の)認識段階は成立する。すなわち、そこでは、差別を単に個人の意識や観念の範囲にとどめて問題にするのではなく、部落差別を民衆抑圧の手段として温存利用してきているものこそを「差別の元凶」「真の差別者」として告発する。つまり民衆に対する搾取と抑圧の体制、社会的関係をこそ問う」。

北川健先生は、『郷土に関する近代部落史学習の意義と課題』においてこのように記しています。

「部落史の学習は、あくまでも部落差別をなくしていくためのものでなくてはならなし。そのためには、①部落差別はどうして作られたのか、また②どうして今日までの部落差別が存続してきているのか、③部落差別をなくしていくためにどのような努力がなされてきたか、ということが部落史学習の主要な課題となる。民衆の遅れた意識(差別意識)を支え、あるいは利用してきた、そして民衆の社会的な覚醒を抑圧し屈折させてきたものこそが究明されなければならない。・・・民衆を規制づけてきた社会的な諸関係を抜きにして民衆の遅れた意識(差別意識)のみをあげつらうのでは、いわゆる心がけ主義の学習にとどまる。・・・部落の歴史は「日本史全体の流れのなかでとらえられなければならない」というのは、要は民衆全体の歴史の中でという意味内容のことである。もしも民衆史としての日本史の学習を進めてきてもいないなかで部落の歴史が扱われるとしたら、それはまさにとってつけたような部落史の叙述、と云うよりは同和関係事項の説明でしかない。民衆全体とのかかわりが明確にされていない部落史の学習であるならば、それこそ「特殊な歴史」としての部落史の扱いにほかならない」。

筆者、<広義の政治起源説>自体が間違っていたのではない・・・、と思います。<広義の政治起源説>の主張しているところを、小中高、大学の学者・研究者・教育者が充分に同和教育・部落史教育において指導できなかった、授業実践が的を外したものであったことに原因があります。それは、とりもなおさず、小中高、大学の学者・研究者・教育者の、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観」に原因があるのですが、筆者の目からみますと、岡山の中学校教師・藤田孝志氏をはじめ、藤田孝志氏を支援する多くの、部落史の学者・研究者・教育者の<傾向>は、民衆の差別意識にすべての責任を転嫁し、国家・権力・政治の責任を免罪しようとする<保守反動>の<妄説>であると思われます。

部落差別の原因を民衆の差別意識にのみ収斂させて、どのような解決がなされるというのでしょうか・・・?

筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、山口県文書館の元研究員・北川健先生の<広義の政治起源説>という温床から芽生え、育ち、実を結んだものです。

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