2021/10/01

部落史学習と近世政治起源説 4

部落史学習と近世政治起源説  


藤田孝志氏の代表的な著作物『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』・・・、どこからどこまでが、一般的な学校同和教育の「時分の花」で、どこからどこまでが、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「時分の花」なのか、無学歴・無資格、しかも教育学・歴史学の門外漢である筆者には、それを切り分けることが困難です。

『部落学序説』で、すでに、藤田孝志氏と同様の論文を出されている方について、<批判>を展開しています。朝治武他篇『脱常識の部落問題』(かもがわ出版)に収録されている『福沢諭吉の「まなざし」から植木徹誠の「まなざし」へ 今後の部落問題学習に第三の視点を』の著者・当時埼玉県の高校教師をしておられた小松克己氏に対する<批判>のことです。

小松克己氏の論文と藤田孝志氏の講演録を<比較>しますと、両者は、部落史学習の前提となる歴史理解の枠組みがほぼ同じものであると想定されます。両者を比較して、共通部分を、一般的な学校同和教育の「時分の花」、埼玉の高校教師・小松克己氏と差異がある部分を、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「時分の花」と想定しますと、無学歴・無資格、学校同和教育とはまったく無縁の筆者にも、藤田孝志氏の主張の<独自性>が見えてきます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の教説の<独自性>をひとことで表現しますと、<封建的身分の独自の解釈>にある、ということになるでしょうか・・・。

<封建的身分>とは、<封建制度における身分>のことですが、<封建制度>とは何なのか・・・、とあらためて考えますと、またまた、回り道をしなければならなくなります。なぜなら、<封建制度>の定義は、決して一様ではなく、多樣な解釈が存在するからです。

無学歴・無資格の筆者が理解する限りでは、「封建制度」は、「古代社会のあとを受けて近代社会に先行する社会制度」のことで、この「封建制度」という言葉は、「明治以降、西欧史学の導入にあたり、 Feudalismus または Lehnswesen の訳語」として、漢語の「封建」という言葉がわりふられたものです。

つまり、「封建制度」という概念自体が、近代中央集権国家・明治天皇制下における、日本の近代歴史学が創作した概念です。「封建制度」は、「ヨーロッパ中世における Feudalismus または Lehnswesen が土地恩給制度と従士制度(土地を媒介とする私的主従関係)を根幹として、それによって生じる政治形態がきわめて分權的であることに着目したもので、これは諸侯が土地を家臣に分与し、家臣がそれを陪臣に分与するという、土地を媒介にしたピラミッド型の階層秩序をもとにした政治形態をさした法制史概念である」(竹内理三編『日本史小辞典』(角川小辞典))といわれます。

ヨーロッパの歴史的解釈を日本に適用したとき、「鎌倉幕府創設の時点においてこれ(従士制と恩給制、あるいは、家士制と知行制)を認めようとするのが通説である。すなわち、平安時代の後期には、武士の主従関係は、主人の従者に対する所領(土地財産)給与と、従者の主人に対する軍事的勤務・忠誠によって成り立っていた。当時前者を<御恩>、後者を<奉公>といったから、武士の主従関係は<御恩>と<奉公>によって成り立っているということができる」(佐藤進一)そうです。

佐藤進一氏によりますと、「封建制度という語の用法は、学者がこれを学問上の述語として用いる場合にも、けっして一様ではなく、やや極端な言い方をするなら、それぞれの学者が多少とも相異なった封建制度概念を用いて仕事をしている、というのが実情である・・・」そうです。この「封建制度」における、従士制と恩給制・・・、「もっぱら支配階級内部のみについての法秩序を意味するものであり、被支配階級に属する農民の問題は直接的にはまったく含まない概念である。」そうです。

近世幕藩体制下の封建的身分関係においても、「もっぱら支配階級内部のみについての法秩序」と解釈するなら、封建的身分関係が直接適用される身分は、支配階級の「士」みであって、被支配階級の「農・工・商」は適用対象外になります。従来の身分制度の図式「士・農・工・商・穢多・非人」においては、「穢多・非人」は、被支配階級の「農・工・商」のさらに下位に位置づけられることになりますので、「穢多・非人」に対して、支配階級の封建的身分関係、従士制と恩給制を適用することはますます困難になってきます。

そういう意味では、筆者、『近世身分と被差別民の諸相 <部落史の見直し>の途上から』(解放出版社)の著者・寺木伸明氏の「穢多・非人」身分解釈は、衝撃的なものがあります。寺木伸明氏は、支配階級における従士制と恩給制という封建的身分関係を、「士」の世界を越えて、「穢多・非人」に対しても適用されるからです。

寺木伸明氏は、従士制を「役負担」、恩給制を「職業」として表現されます。寺木伸明氏にとって、この「役負担」「職業」は、封建的身分の「本質的規制」であるといいます。そして、「役負担」「職業」は、武士だけでなく「穢多・非人」にも適用された・・・、といいます。

「武士が統治・行政の職業を辞めて農業や商工業に就いたり、役負担である軍役を拒否することは原則として許されなかった。近世部落は死牛馬処理業を返上して百姓・町人身分の者に譲ることはできなかったし、行刑・警察役などのかわた役を返上することも許されなかった」。

寺木伸明氏、武士を<軍事>に関与する身分、「穢多・非人」を、<軍需産業>である死牛馬処理業・皮革業、あるいは、「行刑・警察」、<司法・警察>に関与する身分として、同等の枠組みの中で解釈されます。

筆者、昔、山口県同和教育研究協議会の集会で、寺木伸明氏の講演を聞いたことがありますが、その講演録を作成して、印刷物がよれよれになるほど精読したことがあり、筆者が、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するとき「武士」と「穢多・非人」の両者を含む上位概念として、「非常民」(<非常の民>という意味)を採用しましたが、それは、「近世政治起源説」の立場からの、部落史の見直しの作業を意味していました。

ただ、筆者、寺木伸明氏と違って、「役負担・職業」ではなく、「役務・家職」という表現を採用しています。「穢多・非人」においても、武士同様、「家」が大きな意味をもっていたと考えたからです。

2001年度の佐賀市同和教育夏期講座で、『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』と題して講演された、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、「近世政治起源説」を誤謬説として、<徹底的>に批判します。無学歴・無資格、歴史学の素養のない筆者の目からみますと、「近世政治起源説」に対する、藤田孝志氏の「独断と偏見」、「誹謗中傷・罵詈雑言」としてしか見えませんが・・・。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、その講演において、寺木伸明氏等が指摘する、近世幕藩体制下の「穢多・非人」の、支配階級である武士身分に相当する封建的身分制の「役負担」「職業」の関係を全面否定するのです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、「近世政治起源説」に依拠する寺木伸明氏の「役負担」「職業」にかえて導入する概念が、「役負担」「生業」です。岡山の中学校教師・藤田孝志氏の部落史学習・部落史研究の独自性は、寺木伸明氏のいう意味での「役負担」を否定し、藤田孝志氏のいう「役負担」「生業」を、寺木伸明氏のいう意味での「職業」に還元してしまう、発想です。

「生業と役負担」と題して、藤田孝志氏は、このように語ります。「江戸時代では「仕事」は大きく分けて2つあるんです。ひとつは「生業」、これはご飯を食べるための仕事なんです。もうひとつは「役負担」です。これは身分固有の役で、必ずしもこの役負担をすることによって収入を得てご飯を食べているわけではないのです。しかし、仕事なんです」。

つまり、岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、「生業と役負担」を、寺木伸明氏いう、武士のそれと共有する「穢多・非人」の封建的身分の特質、「役負担」「職業」<御恩>と<奉公>を全面否定するのです。

藤田孝志氏、その根拠を、短く、このように述べています。「江戸時代の差別というのは、上下の差別ではなく、排除の差別である・・・」。藤田孝志氏にとって、近世幕藩体制下の「穢多・非人」・・・、封建的身分から排除された、「人間を人間としてみなさ」れない人々であったようです。なぜ、近世幕藩体制下において、「穢多・非人」は、「人間としてみなさ」れなかったのか・・・? 

藤田孝志氏、藤田孝志氏が語調を強めて語る、「誰がしたいと思いますか。誰もしたくないですよ。そういう誰もしたくない・・・」という「職業」に原因があったと考えておられるようです。

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