2021/10/01

部落史学習と近世政治起源説 1

部落史学習と近世政治起源説  


岡山の中学校教師・藤田孝志氏の、2001年度同和教育夏期講座における講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体性を育てる部落史学習-』について、批判検証をしていますが、今回は、<部落史学習と近世政治起源説>について・・・。

前回、この講演録に出てくる、藤田孝志氏自身が語る個人情報、「10数年間社会科の教員として歴史の授業をしてきました・・・」という言葉を手がかりに、藤田孝志氏が、中学校教師として教壇に立った年代を推定しました。1988~1989年・・・。

1980年代後半・・・、といいますと、部落史学習をになっておられる方々にとっては、非常に微妙な時期です。この時期は、「近世政治起源説が崩壊の憂き目に遭遇した・・・」、<近世政治起源説前夜>ということになります。この時期、「社会科の教員」として教壇に立った方々は、その時点では、「近世政治起源説」にのっかって部落史学習を指導していたと思われますが、まもなく、部落史の学者・研究者によって「近世政治起源説が崩壊・・・」していくという事態に直面して、小中高の学校教師をはじめとする教育者が、どのように、部落史学習を展開していけばいいのか、<迷いと混乱>試行錯誤の時代に突入していくことになるのです。

八木晃介氏によりますと、「近世政治起源説が崩壊の憂き目に遭遇した・・・」のは、「1990年代以降」のことです。それまでの部落史学習にとって通説であった「近世政治起源説が崩壊・・・」していく衝撃を、八木晃介氏は、このように表現します。「研究レベルでのパースペクティヴの変容が教育レベルに与えるインパクト」・・・。無学歴・無資格の筆者、どうして、こんなに<英語>を使用して説明しなければならないのか、理解できないところがありますが、無学歴・無資格の筆者が<意訳>すれば、<部落史研究の世界における学問的枠組みの見直しが、直接、部落史学習の教育の現場に適用されるようになった衝撃>、ということになるでしょうか・・・。

『<差別と人間>を考える 解放教育論入門』(批評社)の中で、著者の八木晃介氏が、「近世政治起源説」について説明しておられるくだりを少しくご紹介しますと、「戦前に近世政治起源説が主張された形跡はほとんどなく、おおむね1950年代中期頃からマルクス主義に依拠する歴史家のあいだで徐々に有力になった説」で、「この被差別部落創出についての解釈論が・・・同対審答申を水路づけ、逆に、同対審答申がこの解釈論を自明化し・・・戦後の部落解放理論の骨子」になっていったそうです。

八木晃介氏は、「近世政治起源説」を次のように定義します。

「近世政治起源説とは、被差別部落の起源を江戸時代に措定し、その創出者を徳川幕府権力にもとめて、その社会的存在意義を<分割支配>として説明し、それが部落の<悲惨と貧困>を決定づけたと解釈するところに特徴をもつ理論である」。

この「近世政治起源説」・・・、戦後の部落解放運動において、「<三つの命題>路線」として「集大成」されていきます。

ついでに、八木晃介氏のことばを借りて、「<三つの命題>」を説明しますと、「<三つの命題>路線とは、部落差別の本質(行政による市民的権利の不完全保障)、部落差別の社会的存在意義(分割支配)、社会意識としての差別観念という三領域から部落問題をとらえる理論である」。「<三つの命題>路線」は、「戦後部落解放運動の基本路線であったが、最近はかなり修正され、部分的には否定されてもいる。」そうです。

ところが、「1990年代以降、従来の運動にその理論的根拠を提供してきた近世政治起源説が崩壊の憂き目に遭遇・・・」。しかし、ここで大きな問題が発生します。それは、「近世政治起源説を批判する研究者の論点は必ずしも同一ではない」、「諸説紛々」の状態にあったことです。<死に体に群がる蛆や蠅>のような状況だったのでしょうか・・・。「近世政治起源説」を否定する研究者には、畑中敏之・吉田栄次郎・斉藤洋一・大石慎三郎等があげられています。また、「近世政治起源説」崩壊を加速させた要因として、「奈良、京都、岡山等々における史料研究」によって、「部落の近世以降における<悲惨・貧困>説」「明確に否定」されたことがとりあげられています。

八木晃介氏は、戦後の部落解放運動の基本理念であった「近世政治起源説」崩壊を、部落史「研究者の方法論が「従来の<部落史>研究から<差別史>研究に移行する」できごととして認識します。八木晃介氏は、この部落史の研究方法の移行は、部落史学習の指導において大きな影響を与えることになったといいます。

「教育の現場においては、部落の実態と無関係に差別してしまう部落外の民衆の生活のありよう、つまり部落民を排除することによって成立する部落外民衆の生活の実相を解明し、差別と排除を媒介させない関係性の構築の方向について学習する」ことが重要になってきたといいます。

部落史学習の目的は、「差別をなくす」とされます。そして、部落差別の原因は、歴史の中のできごとではなく、歴史を超えた、「人類史発生以来」「排除と差別」として認識されるようになります。八木晃介氏、「誤解をおそれずにいえば、差別は人間社会と人間関係にとっていわば本質的な編成原理であったともいえる・・・」と、筆者の視点・視角・視座からしますと、<絶望的な人間観>に身を委ねることになります。

部落差別の体質が、人間の本性に深く組み込まれているというなら、部落解放運動による取り組みは、あるいは、同和教育・解放教育は、意味がなくなるのか・・・。八木晃氏は、「逆に、それであるがゆえに差別と排除の問題を真正面からうけとめ、<かなわぬ>までもこの問題と誠実に対決し<続ける>というプロセスをこそ、我々は「同和教育」の中で体験したいものだと考える」。それは、「まずなによりも関係性の解放」として認識されるといいます(岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演録に出てくる用語法はこの時代の用語法・・・)。

八木晃介著『<差別と人間>を考える 解放教育論入門』・・・、おそらく、現代の部落解放運動、あるいは解放教育(同和教育)の一般的な潮流について言及したものなのでしょう。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の、2001年度同和教育夏期講座における講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体性を育てる部落史学習-』について、批判検証をする際、藤田孝志氏が部落史学習の理論と実践において依拠していると思われる、ポスト「近世政治起源説」の思想的枠組みを、八木晃介氏の教説を手がかりに<措定>することにしました(『部落学序説』の筆者である私は、八木晃介氏の説とは異なり、筆者の、山口の地における部落史の師である、山口県立文書館の元研究員・北川健先生の教説に依拠しています。後述します)

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の、2001年度同和教育夏期講座における講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体性を育てる部落史学習-』において、<部落史学習と近世政治起源説>をどのように認識しておられるのか・・・、一考してみましょう。

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