2021/10/02

「旧穢多」の受容と排除 その3 筆者がであった本当の教育者

 「旧穢多」の受容と排除 その3 筆者がであった本当の教育者

  『部落学序説』執筆のために使用している資料は、①徳山市立図書館の郷土史料室の蔵書、②部落解放同盟新南陽支部(部落史研究会)の福岡文庫の蔵書と資料、③宮脇書店・明屋書店で購入した市販の書籍に依拠していることは繰り返し述べてきました。

「「旧穢多」の受容と排除 その2」を書いてから約3週間、『部落学序説』の資料の整理をしていましたが、その途中、林竹二著『田中正造の生涯』を読んで、政治家・田中正造と教育者・林竹二の思想と生き方に深くこころ打たれました。

もっと早く、両者のことを知っていたら、『部落学序説』はもっと早く完成できたし、その内容も充実できたのに・・・、と思わされましたが、「無学歴」・「無資格」の筆者は、「高等教育(大学教育)」に携わっておられる方々から、指導を受けることはいままで皆無でした。林竹二のような教育者がいたことに驚きの思いを持ちつつ、そのような教育者に出会わなかったことにさびしさを感じていました。

しかし、資料を整理していて、あるものがでてきました。資料の際に、パンフレットやカバーを全部はがしていった(スリムにするため)のですが、その中に、下関書店(後日梓書店の名称変更)の請求書とその機関紙(『梓通信』)がありました。筆者が、『部落学序説』執筆の基本的な資料として評価しているほとんどの書籍に、その「請求書」と「通信」が挿入されていました。

そして、ふと気がついたのです。

筆者が、日本基督教団西中国教区の小さな教会に赴任してまもなく、下関書店のMさんという人が尋ねてこられるようになりました。いろいろ話をしているときに、「西中国教区の部落差別問題特別委員会委員を命じられたのですが、何を勉強していったらいいでしょうか・・・」と質問したことがあります。Mさんは、「他に関心のある分野は・・・」と尋ねられるので、「三里塚問題と天皇制問題・・・」とお答えしたことがあります。

そのときから、下関書店のMさんは、月1回、部落差別問題・三里塚問題・天皇制問題に関する書籍を配本してくださるようになりました。岩波書店の『日本近代思想大系』も下関書店から全巻購入することになりました。

もちろん、下関書店のMさんには、筆者が「学歴」も「資格」も持ち合わせていないことはあらかじめ伝えていたのですが、彼は、いつも2~3冊持って来られては、その本の内容を紹介してくれるとともに、すでに購入した書籍群との関連性についても話してくれました。

そして、いつのまにか、『部落学序説』執筆の基本的な資料が整うまでになったのです。『部落学序説』執筆に際して、①徳山市立図書館の郷土史料室の蔵書、②部落解放同盟新南陽支部(部落史研究会)の福岡文庫の蔵書と資料、③筆者の蔵書に依存していることは繰り返し述べてきましたが、筆者の蔵書がある意味充実しているのは、下関書店のMさんの「読書指導」によります。

下関書店のMさんは、風のうわさでは、「東京大学を出て小さな書店を経営されている人・・・」ということでした。筆者は、彼に直接、そのうわさの真偽を確かめるようなことはしませんでしたが、筆者は「さもあらん・・・」と思っていました。筆者と妻が結婚するとき、お世話になった各種学校の事務長をされていたSさんも、東京大学を卒業された方です。「東京大学を出ても在野に身を置いているひとはたくさんいる・・・」、筆者はそのように思っていました。

今振り返ってみると、部落差別問題・三里塚問題・天皇制問題について、読書指導を通じて、筆者に「学問」の世界に目を開いてくださったのは、下関書店のMさんでした。林竹二のような、真正の教育者が、実は筆者のそばにも存在していたのです。そして、筆者は、その「読書指導」を通じて、彼から真正の教育を受けることができたのです。その期間は8年間・・・。

筆者は、部落差別問題を論ずるとき三里塚問題・天皇制問題を、三里塚問題を論ずるとき部落差別問題・天皇制問題を、天皇制問題を論ずるとき三里塚問題・部落差別問題を同時に検証するように、その有機的連関を、下関書店のMさんは、多忙な中、「無学歴」・「無資格」の筆者にていねいに指導してくださったように思われます。

筆者は、日本基督教団西中国教区の中で最も小さな教会の牧師・・・、牧師の「収入」は他の牧師と比較しても3分の1以下に過ぎず、下関書店のMさんの紹介してくださる本をすべて購入することはできませんでした。もし、そのすべてを購入していたとしたら、『部落学序説』は、より論拠の堅いものになっていたと悔やまれます。しかし、その当時はままならぬ状況にありました。

東京大学卒業という肩書を一度も示すことなく、また研究者・教育者であることを自負することもなく、「無学歴」・「無資格」の筆者に読書指導してくださり、『部落学序説』執筆の前提を養成してくださったことは、感謝に耐えません。

本当の教育者というのは、林竹二さんや下関書店のMさんのような方のことをいうのかも知れません。

下松市出身の写真家に福島菊次郎という方がおられますが、その講演会にでかけたことがあります。その講演会のあとの交流会で、筆者が、北村カメラで309円で買ったオリンパスOM-1を片手に、「先生、写真を撮らせていただけますか?」と尋ねると、「撮ってもいいよ・・・。でも、写真家の私に私の写真を撮ってもいいかと聞いたのは君がはじめてだよ・・・。」と苦笑いされておられました。

日本基督教団西中国教区山口東分区下松愛隣教会という、「前任者が自害した・・・」といわれて誰も赴任することをためらった教会に身を置くようになって24、5年・・・。少しく長く居続けたと思われますが、そうできたのは、いろいろな出会いがあったからです。旧約聖書の預言者第二イザヤの、「わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませる・・・」という言葉を身をもって経験してきたからに他なりません。

『部落学序説』の方法論は、山口の地で、いろいろな人との出会いの中で構築されてきたものです。山口の地に「同化」することはできませんが、山口の歴史と文化の本質を「被写体」として見続け、記録していきたいと思います。

その1~その3は、内容的に脱線してしまいました。次回から、本論に戻します。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

Nothing is unclean in itself, but it is unclean for anyone who thinks it unclean.(NSRV)  それ自身穢れているものは何もない。穢れていると思っている人にとってだけ穢れている(英訳聖書)。 200...