2021/10/03

宗教としての神道

宗教としての神道


日本の歴史学上の「詭弁」のひとつに、「神道は宗教にあらず」というのがあります。

その主な理由として、神道が、教典と教義を持っていないことがあげられます。そのような主張をする立場から考えると、「宗教は、教典と教義を持つ」ことが必須の条件となります。「教典」と「教義」の両方、またいずれかを欠く場合、それは宗教といえなくなります。「神道は宗教にあらず」を唱える人々は、「神道」には、「教典」も「教義」もないと主張するのです。

そもそも、「宗教」とは何なのでしょうか。「宗教」を明確にするためには、「宗教」概念を定義しなければなりません。「宗教とは何か」、その問いに対する学問として、歴史学・社会学・民俗学・人類学等、いろいろな個別科学をあげることができますが、より直接的には、「宗教」そのものを直接研究対象とする「宗教学」をとりあげることができるでしょう。

「宗教学」とは何か。筆者が、「宗教学」のテキストとして使用しているのは、岸本英夫著『宗教学』です。岸本は、戦後、東京大学で宗教学を講義された方で、1864年東京大学在職中に逝去されています。筆者が、高校生の時であったと思います。

中学3年生のとき、尊敬していた教師が、完全犯罪を企てて、公金横領事件を起こしたことがあります。ちょうど、高校入試を前にした3学期のある日、その事件は、ラジオで報道されました。筆者は、その教師のような教師になりたいと思っていましたので、その事件は非常にショックでした。高校に入ってから、「罪」とは何か、「犯罪」とは何か・・・、思索するようになりました。失われた人間(教師)に対する信頼を取り戻すべく、高校の図書室や公民館の図書室の本を借りては読書するようになりました。親からもらった小遣いは、ほとんど岩波文庫と岩波新書を購入するために使いました。

読んだ書物は、多分野に及びましたが、中でも哲学・宗教関連を多く読みました。それらは、直接、「罪とは何か」という問いに、何らかの答えを提供してくれたからです。岸本英夫著『宗教学』も、そのとき目にした一冊です。

岸本は、宗教を定義して、このようにいいます。

「宗教とは、人間生活の究極的な意味をあきらかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられているいとなみを中心とした文化現象である」。

岸本の宗教の定義では、宗教が宗教であるためには、「教典」と「教義」を保持する必要性はないのです。「教典」や「教義」がなくても、上記の内容を満たしている限り、宗教は宗教であるといえます。

しかし、岸本英夫の『宗教学』を読んでいますと、岸本は、「神道」を、「教典」と「教義」を持った宗教とみなしていることに気付かされます。

岸本によると、「神道」と「仏教」は、信仰の対象を持っているかどうかで大きく区分されるといいます。宗教的行為のひとつに、「祈り」があります。岸本は、「祈りが行われるのは、有神的な宗教体系に限る」といいます。

なぜなら、「祈り」は、「神と、その神を信じる人との間の、心と心の交りである。神との対話である。」といいます。「神道」の「祈り」は、仏教の「念仏」より、キリスト教の「祈り」に近いといいます。

岸本英夫は、『宗教学』の第5章宗教的行為の形態で、「祈り」について、神道とキリスト教の「教典」と「教義」を対比してみせるのです。

キリスト教には、「定形型」(岸本が4種類に分類した型のひとつ)の「主の祈り」があります。この「主の祈り」は、新約聖書の中に収録されていますので、「主の祈り」自体が「教典」といえます。「主の祈り」は、その言葉の背後に「教義」を持っていますので、「主の祈り」は、「教典」と「教義」という要素を持っていることになります。

岸本は、キリスト教の「主の祈り」に対応する神道の祈りとして「大祓の祝詞」をあげるのです。大祓(おおはらえ)は、年2回、6月と12月の晦日に全国の神社で執り行われるそうですが、この「大祓の祝詞」は、文書化されたもので、「教典」ないし「教典」の要素として考えられます。そして、この神道の「大祓の祝詞」は、キリスト教の「主の祈り」同様、その言葉の背後に、「教義」を持っているのです。

筆者は、神社神道について深い知識は持っていませんが、「神道」もまた、「教典」と「教義」を保有しているという点では、「神道」も本質的に「宗教」であると断定できると思います。

しかし、明治以降、日本政府は、「神道は宗教にあらず・・・」として、日本の国民すべてに「神道」(神社参拝)を強制してきました。戦争中には、クリスチャンの中にも、「神社は宗教にあらず・・・」と吹聴して、いたずらに軍国主義に迎合する人々も出てきました。キリスト教だけでなく、浄土真宗をはじめとする仏教教団も、戦時中は、同様の主張をしています。

神道は、「教典」と「教義」を持っている宗教であるにもかかわらず、それを否定し、「神道は宗教にあらず」、「神社は宗教にあらず」ということを国家が強弁するのは、事実に反した「詭弁」に過ぎません。戦前においては、日本政府は、「詭弁」であることを認識しつつ、国民に「詭弁」を「詭弁」として受け止めることを禁止したのです。筆者は、そこに、国家権力によって屈折させられた「宗教」の姿をみます。

明治新政府が、欧米のキリスト教国家に対峙すべく持ち出したのが、日本の古来の神道でした。欧米の「キリスト教」と日本の「神道」とは、どこでどのように対峙することになったのか・・・。筆者は、岸本英夫著『宗教学』に掲載されている「主の祈り」と「大祓の祝詞」を比較しながら読んでいたとき、ある共通点に気づきました。両者に共通しているのは、いずれも「罪のゆるし」という純然たる宗教教理・教説を含んでいるということです。

「主の祈り」も「大祓の祝詞」も、祈りの対象である「神」に「罪のゆるし」を求めているという点で一致するのです。中世・近世において、当時の日本の権力者が、キリスト教を迫害し、日本の社会から排除しようとした理由のひとつに、「罪のゆるし」を与える権威、それは、神道の神(日本の宗教の頂点である天皇)に独占的にあると考え、その秩序と伝統に抵触・破壞するキリスト教を極力排除しようとした結果ではないかと思わされました。

もし、あるひとが罪を犯したとしましょう。そのとき、当然、法律違反として逮捕され、取調を受けて、有罪が確定すれば、罰を受けることになるでしょう。この『部落学序説』では、その法的逸脱を「穢れ」と呼んできました。しかし、『部落学序説』では、「穢れ」は取り上げてきましたが、「罪」についてはほとんど取り上げることはしませんでした。近世社会において「穢れ」が、法的逸脱、人間の行為における違背をあらわすのに反して、「罪」という言葉は、人間の行為の奥にある内面(精神状態)を指していると考えられます。「行為」を罰しても「心の内面」を罰することはできないのですが、その内面も視野に入れて使われる言葉が「罪」という言葉です。「罪」は、法的逸脱として公権力によって摘発されることのない「こころの罪」・「内面の罪」をも含むと考えてよいでしょう。

「大祓の祝詞」をみると、日本社会のすべての罪を許す権威は、「神道」の「祭司」である「天皇」に帰属すると考えられます。近代的天皇制用語を使用すれば、「臣民」すべての「罪」を許す権威を持っているのは「天皇」のみということになります。「天皇」は、「臣民」の「罪」を糾弾することもできるし、それを許すこともできる・・・と、考えられていたと思われます。神社で行われる「大祓」の儀式に参加して、すべての国民は、「罪のゆるし」を受けなければならない・・・。それが、日本古来の習俗であったと想定されます。

しかし、中世に、キリスト教が伝わると、キリスト教は、「罪のゆるし」を宣教しはじめます。キリスト教徒たちは、神社で、「罪のゆるし」を求めるのではなく、教会で、「われらの罪をも許したまへ」と祈るようになるのです。キリスト教徒たちは、「罪のゆるし」は、「大祓の祝詞」で言われる天皇によって受けるのではなく、神道を信奉する人々の目からみると、キリシタンたちは、先祖の神を忘れて、異教の神に「罪のゆるし」を乞い求めている・・・と受け止められるようになります。「罪のゆるし」の権威、人民の宗教的束縛に危機感を抱いた神道側は、中世・近世、そして近代において、キリスト教弾圧に走ります。

筆者は、キリスト教と神道の葛藤は、それぞれの「教典」と「教義」の対立に起因すると思うのです。特に、「罪のゆるし」の「教義」の違いは、国家による国民支配の譲ることのできない基本的政策と考えられたのでしょう。

明治政府は、近代天皇制国家を樹立するために、「天皇」の神格化と、「罪のゆるし」の権能を「天皇」に、ひいては「国家」に集中していきます。

戦後、『菊と刀』という本が流行しましたが、日本は、罪の文化ではなく恥の文化であるという主張は、極めて一面的な見方であると思います。日本の古来の文化は、「罪の文化」です。「大祓の祝詞」でうたわれているのは「罪の文化」であって「恥の文化」ではありません。行為にあらわれた法的逸脱としての「穢れ」と違って、「罪」は人間の内面・・・、人に知られざる罪をも含んでいます。日本の神道は、「恥」よりも「罪」により多くの関心を持っています。

問題は、「罪のゆるし」の「教義」が、キリスト教と神道では、大きく異なっていたということです。つまり、キリスト教と神道では、「罪」の許し方が大きく異なるということです。

キリスト教は、「罪のゆるし」を実現するために、「神の御子」である「イエス」が、「罪人」に代わってその罪を負、十字架にかかることによって「贖罪」(イエスキリストの血で罪人を罪から買い取る)を説きますが、神道の「罪のゆるし」には、そのような「贖罪」はともないません。「神道」の「罪のゆるし」は、「罪の忘却」という形で実現されるのです。つまり、「神道」における「罪のゆるし」は、その罪を、罪を裁く権威を持っている天皇(神主が代行)が忘却することで、許されると解するのです。すべての罪のお品書きは、「速川の瀬にます、瀬織りつ姫と云ふ神」に渡され、最後は、「根の国底の国にます速佐須良ひめといふ神」(物忘れが速くて、罪のお品書きをどこかに紛失してしまう)の手に渡るのです。そして、人々は「罪といふ罪はあらじ」と宣告を受けるのです。

近代天皇制国家は、その背後に、宗教的装置として、「天皇」のため、「国家」のために、犯罪を犯した人を救済するシステム(忘却という形で救済するシステム)を内包していたのです。罪を明らかにして斷罪することで罪から解放するというのではなく、罪を罪のまま許すことによって、「罪のゆるし」を実現するのです。「罪のゆるし」の権能は、「天皇」にしかない・・・、それが、近代天皇制下の国家神道の本質であったのです。

靖国神社も同様かも知れません。靖国神社は、「天皇」のため、「国」のために死んだ軍人の「罪」を「忘却」という形で許し救済を与える「宗教的装置」なのです。靖国神社は、本質的に、戦死者を「祈念」する場所ではなく一切の罪を「忘却」する場所なのです。

筆者は、尊敬していた教師(陸軍士官学校卒)の公金横領事件をきっかけに、「罪」について考えるようになりましたが、高校生活3年間を通じて読書した600冊の書籍から、「罪は火で焼いても消えない」、許されるとしたら、神の子イエス・キリストの「十字架の贖罪」を通じてのみ・・・という聖書の言葉を信じるようになりました。「天皇」は、「赤子」である私のために何も考えることはないでしょう。しかし、神の子イエス・キリストは、私の罪を、その十字架で流された血潮を持って贖いとってくださる・・・、高校3年生のとき、そう信じたのです。中世・近世のキリシタンの伝播の背景には、筆者が経験したのと同じ状況がいたるところにあったのではないかと思います。天皇制社会の腐敗と頽廃が、ひとりの軍人出身の教師による犯罪が、筆者のものの見方、考え方を根底から変えたのです。

「教師」に対して研ぎ澄まされた感性を持つ筆者は、「教師」に対して批判的になり過ぎる傾向があります。島崎藤村の『破戒』に出てくる教師・丑松は、筆者にとっては、否定するどころか、尊敬すべき人物(教師)に映ります。なぜなら、丑松は、紆余曲折を経ながら、結局は「所与の人生」を自ら選びとっていったからです。自らを裏切らないで生きるとういうことは、教師としての基本的資質です。「表」と「裏」を使い分け、自らをごまかして生きるやからとは雲泥の差です・・・。筆者は、島崎藤村と違って、キリスト教を棄教することはありませんが、島崎藤村の精神的葛藤がわからないわけではありません。

神道と部落差別の関連について、筆者独自の精神的背景から言及していきます。

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